なんで私が早応大に!?⑥

 英人が美智子を魔眼で見つけてから、時間は少し遡る。


 美智子が裏門から駆け出して一時間ほど経った頃、当の本人は横浜に来ていた。


 瀬谷から逃げるために結局はひと駅分も走る羽目になり、疲れた体で電車に転がり込んだ美智子は何故かまたこの横浜に来てしまったのだ。

 昨日のことが尾を引いているのだろうかと考えたが、確たる結論は疲れ切った脳からは出てこない。

 そして今現在、あてもなく横浜駅周辺をさまよっている状況だ。


 電車賃に関しては交通系ICカードにある程度チャージしてあるから心配はないが、現金の持ち合わせがほとんどない。

 というのも都築家の方針として、余計な寄り道を防ぐために最低限度のお小遣いしか渡されていないのだ。具体的に言えばジュース一本買えばそれで殆どなくなってしまうくらいの。

 だからICカードが使える店以外では時間がつぶせない。そして使える店はごく少数。


 考えれば考えるほど、今の状況は絶望的だ。


 疲労からか足取りはいつになく重い。沈みかけの夕日が一層この状況の悲壮感を盛り立てる。


「やあ。

 君、今一人かい?」


 途方に暮れながら歩いていると、突然声をかけられた。

 美智子は伏せていた目を声がした方に向けてみると、一人の男が立っている。

 年齢は大体50歳くらいの、スーツを着た中年男性だった。


「な、何かな」


 普通なら、無視して通り過ぎていたに違いない。

 しかし今は疲れていたこともあって、ついその呼びかけに反応してしまった。


「いやぁ、お腹空いてないかなと思ってね。もしよかったら一緒にご飯食べないかい? おじさんも一人で食べるのは寂しいからさ……どうかな?」


 やはりというかなんというか、案の定ナンパだった。美智子も内心呆れる。

 いくらなんでも年が離れすぎているでしょ……いや待てよ、これが世に言う『パパ活』というやつなのでは?

 最近ニュースで話題になっていたワードを思い出し、美智子は改めて目の前の男の姿を眺めてみる。


「もちろん食事代はこっちが持つから心配しないで。これでも結構お金持ってるから」


 額に汗してこちらに話しかけてくる姿は、完全にどこにでもいるしがない中年サラリーマンだ。体格はそこそこがっしりしているが、その物腰の低いへりくだった態度にはあまり脅威や危険性を感じない。


 昨日は若い男三人だったから怖かったが、今回はおじさん1人だし気を付けていれば大丈夫かな……。

 美智子は怪しいとは思いつつも、最後は何でもいいから早く体を休めたい、という欲が勝った。


「ん~。おごってくれるなら行くよ。ただしそれ以上はナシ! それが条件!」


 決心した美智子は少し悩む振りをして返答した。一応予防線も張っておく。


「ほ、本当かい!? いやー誘ってみるもんだね。じゃあ早速行こうか」


 こうして美智子はこの男について行くことになった。



 ………………

 …………

 ……



 男に連れられて近くのファミレスに入ってから、早一時間半。

 食べ終ったハンバーグの皿はとっくに店員が回収し、テーブルにあるのはドリンクバー用のコップのみ。


 う~ん、困ったなあ、と思いながら美智子はメロンソーダをストローで吸った。


 (お腹もいっぱいになったし、正直そろそろおさらばしたいんだけど……)


「いや~最近の若い子の流行りに乗ろうと思ってスマホゲーム始めてみたんだけどこれがむずかしくてね~。良かったらやり方教えてくれない? 美智子ちゃん、そういうの詳しそうだし!」


「い、いや。私もよく分かんない」


「あれ~そう? 意外だなぁ。いやでもしかし困ったなぁ。う~ん」


 相手がひっきりなしに話しかけてくるので、美智子は切り上げるタイミングを掴めないでいた。一応おごってもらう身分な以上、無理やり抜け出すのもなんだか申し訳ない。


「あっそうだ。デザートとかいる? 全然遠慮しなくていいよ」


 男はそう言ってメニューを差し出してくるが、美智子はそれを手で制して断る。


「大丈夫。もうお腹いっぱいだし」


 すると男は再び一方的な会話に戻った。


 こっちが食いつくわけでもないのによく話題が尽きないなあ……と思いながらも、ただひたすら時間だけは過ぎていく。

 いくらタイミングが掴めないといってもこのままズルズルいくもの良くない。


 ……よし! このメロンソーダ飲みきったら切り上げよう。

 そう決心した美智子はさりげなく帰る準備を始める。

 そして椅子の上に置いてある自分のカバンを横目で確認すると、あることに気付く。


 父から貰ったキーホルダーが、ない。


 あるべきはずのものが鞄に付いていない。美智子は慌ててカバンをまさぐる。

 別に高級品でもなんでもないキーホルダーであるが、美智子にとっては唯一『家族』というものを感じさせてくれる宝物。

 こんな時に無くすなんて、と焦りつつ美智子は鞄をまさぐる手を強めた。


「ん?どうしたんだい? 忘れ物?」


 異変を察した男が美智子に声を掛ける。


「う、うん。キーホルダーなんだけど、どこかに落としちゃったみたいで……」


 美智子は返答しつつ、引き続き鞄を探す。


 もしかしたら、裏門から走った時にどこかに引っ掛けてしまったのだろうか。

 だとしたら早く探さなければ。

 なくしたキーホルダーの事を思うと、もういても立ってもいられない。


「それは大変だ、早く探さないと。長く引き留めちゃってゴメンね。そろそろここから出ようか」


 男は心配そうに身を乗り出しながら声を掛ける。 


 その一言は美智子にとって渡りに船だった。

 美智子は中年男性に向き直り小さく頭を下げる。


「こちらこそごめんね。せっかくご馳走になったのにこんな形で……」


 美智子はキーホルダーを探すのを一旦中断すると荷物をまとめ、席から立ち上がろうとする。

 キーホルダーをなくしたおかげで今は気が気じゃないが、人生初のパパ活(?)も終わってみればこんなものかとひとまず安堵する。


「いいのいいの。おじさんにとってこういう機会は中々ないから」


 男は笑顔を崩さずに喋る。というより終始笑顔のままだった。それがむしろ美智子にとっては怪しさ満点だったが。

 しかし喋り終わった瞬間、その笑顔が気味悪いくらいに歪んでいくのに美智子は気付く。


「お、おじさん……?」


 その得も言われぬ不快感に、美智子は少したじろぐ。

 しかし男はそんな様子を気に掛けるそぶりも見せない。

 そのままゆっくりと口を開き、


「でもね……ここから出る前に少し『眠ろうか』」


「えっ」


 そのニヤついた笑顔を最後に、美智子の意識は途切れた。  

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