なんで私が早応大に!? ③

 さてどうしたものか、と英人はもう一度目の前の状況を整理する。


 現在、目の前で生徒である都築美智子がナンパを受けている。彼女一人に対して男三人が取り囲んでいる状況だ。

 今のところ無理やり腕をつかまれたり暴力を振るわれたりしているわけではないようだが、相手がなかなか諦めてくれないのでかなり困っている様子。

 それにそもそもの事を言えば、ナンパの件以上にいいとこのお嬢さんがこんな時間に露出度の高い格好で繁華街をうろついている方が問題だ。


 ……しょうがない。少し首を突っ込むか。


 そう頭の中で結論付け、英人は事件の渦中へと足を運んだ。


「ねー頼むよー。絶対楽しませるからさー」


「いやだから……」


 英人が近づく間も、ナンパたちは美智子を相手に粘っている。


 ――まあ見てくれはかなりいいからな、あの娘。


 そんなことを考えつつも、英人はさも当たり前のように美智子たちの間に割って入った。


「よっ、お待たせ」


 右手を上げ、美智子に挨拶する。

 もちろん待ち合わせなどしていない。完全に出まかせだ。


「え、え!? ……せ、先生? なんでここに……?」


「い、いきなりなんだよおっさん。邪魔すんなよ」


「邪魔なのはそっちだ。この娘は俺と待ち合わせしてたの……じゃあ行こうか」


 英人は美智子の腕を掴む。


「え、ちょっと待……」


 美智子の戸惑う声が聞こえるが、気にしてられないとばかりに英人は半ば強引に手を引く。

 場をややこしくしないためにも、さっさとこの場から離脱するに限る。

 しかし、そうはさせじとナンパが後ろから英人の腕を掴んだ。


「いやちょっと待てよ。

 そのまま行かせると思ってんのか?」


「…………」


「おい、なんとか言えよオッサン!」


「…………」


「おい聞いてんの……――ッ!?」


 少しの静寂の後、ナンパ男はいきなり英人の腕を放した。

 まるで爆発寸前の爆弾を手放すかのように。


 対する英人は最後まで何も言わず、美智子を連れてそのまま静かに去っていった。



 ………………


 …………


 ……



「……チッ。おい! なんでそのまま行かせちまったんだよ!」


「…………!」


「手なんか見つめてねーで何とか言えよ!」


「……ピクリとも動かなかった」


「ハァ!?」


「あいつの腕、こっちがいくら力を入れてもびくともしなかった! 

 いくら力が強いといってもなんてことが有り得るのか!? とてもじゃないが同じ人間とは思えねぇ……!」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ナンパ現場から美智子を連れて離脱してから約五分。英人たち二人は繁華街の中心地からは少し離れた場所に着いていた。

 先程よりも人はまばらではあるが、その分雰囲気はやや落ち着いている。


 もうここまでくれば大丈夫だろう、と英人は歩くスピードを下げた。


「――ょっと」


「ん?」


「ちょっともういいでしょ。いい加減手をはなしてよ」


「お? ああ悪い」


 無意識に掴んだままにしていた手を放してやると、美智子は気まずそうにそっぽを向く。


「……なんでこんな所にいんのさ」


「横浜は『こんな所』ではないと思うが」


「だからそういうことじゃなくて!」


 見られてほしくないものを見られてしまったせいからなのか、美智子はいつになく激しく感情をあらわにする。

 短い付き合いとは言え、普段はマイペースな彼女が怒る姿を見るのは初めてだった。


「別にただの買い物だよ。お前を見かけたのはたまたまだ」


「……むぅ」


 理解はしたけれどもどうも納得しきれていない様子の美智子。


「まあ今回みたいに相手が三人というのはレアケースだとしても、やっぱりそんな服装で夜の繁華街に出歩くのは危険だからやめた方がいいぞ」


 それに対しうーむ困ったなと、言わんばかりに英人は人差し指で頬を掻き、言葉を捻りだす。

 その姿はまるで思春期の娘の対応に苦慮する世の父親たちのようだった。


 流れる沈黙に気まずさを感じつつも、英人はさらに続ける。


「そもそも、何でこんなことしてんだよ?」


「…………」


「何かお悩みがあるのならお兄さんに言ってみ? ん?」


「…………フッ」


 英人渾身(?)のジョークを美智子は鼻で笑う。

「お兄さん」という言葉がやっぱりまずかったのだろうか、と英人はショックを受けるが、すぐに頭を切り替えた。


 こうなったら、飯で釣るしかない。


「おい」


「…………何?」


「晩飯はもう食ったか?」


「…………まだ」


「じゃあせっかくだしどっか飯でも食いに行くか。

 もちろん俺の奢りだ。お前にはバイト代稼がせてもらっているし、たまには還元しよう」


「……うん」


 美智子は少しそっぽを向きつつも、静かにうなずいた。



 ………………


 …………


 ……



「……ご飯ってラーメン?」


 どうやら期待が外れたのか、抗議するようなトーンで話しかける美智子。

 というのも二人は今、ラーメン屋から伸びる行列に並んでいた。


 ここは繁華街の外れからさらに歩いて数分。英人行きつけのラーメン屋『浜獅子ハマジシ』だ。

 英人が異世界に転移する前から通っていた店であり、かつては週に最低一度は顔を出すほど英人はここの味にハマっていた……というより現在進行形でハマっている最中である。


「ああそうだ……もしかして、ラーメン食うの初めてなのかお前?」


「そんなわけないでしょ……」


 普段の言動からは想像しにくいが、美智子も一応いいとこのお嬢様。

「らーめん? ワタクシ生まれて初めて食べましたわ!」とか言い出すのかと思って英人も内心ヒヤヒヤしていたが、どうやらその心配はなさそうだ。


「まあ見ての通り行列のできる店だ。味は保証する」


 この店は英人の転移前、つまり十年前までは「知る人ぞ知る名店」という感じだった。

 それなりに繁盛はしているけれども行列まではできない程度の。

 しかし十年と言う時間のあいだに口コミなどで知名度が広がってしまったのだろう、今ではいつ行っても行列のある人気店になっている。

 このように取り巻く状況こそ変わってしまったが、味は十年前のあの懐かしい味のまま。

 ここだけの話、帰還後に初めて食べた時はその変わらない味に感動して少し泣いてしまったくらいだ。


「そういうことじゃないんだけど……先生、デリカシーないとかよく言われない?」


「そ、そんなことは……ないと思いまスゥ」


 美智子の言葉に、英人は一瞬凍り付く。

 ま、まだこの世界では言われたことないからセーフだし(震え声)。


「いや目ぇめっちゃ泳いでるし……。

 せっかく二十八歳のおじさんが現役JKとデートできるんだからもっと何かこう……あるでしょ。大人の余裕見せたりとか。

 先生みたいなおじさんがJKとご飯食べる機会なんてなかなかないよ~?」


 美智子の言葉に、周囲に並んでいる客が一斉に反応する。


 今日に限って露出の少ない恰好をする女子高生と、アラサー男のセット。傍から見ればただでさえ事案だろう。

 それに『おじさん』と『JK』という言葉の組み合わせもかなりマズい。

 危うく警察沙汰な事態から助けた英人の方が、今度は逆に警察のお世話になりかねない。


 ここはなんとしても誤解を解く必要がある。

 そう思った英人はすぐさま口を開いた。


「いやー私は君の家庭教師だからなー。

 やはり教える立場として生徒とのコミュニケーションは大切だよなー」


 英人は周りに聞こえるように、わざとらしく大きな声で話す。

 これで理論武装(?)は完璧だといわんばかりの態度だ。


「だからと言ってこんな恰好の生徒の腕を引っ張って連れまわすのは良くないと思いまーす」


 悪ふざけなのか、美智子はさらに追い打ちをかけてくる。

 腕の件はともかくその恰好はお前の趣味ちゃうんか? と英人は心の中でツッコむが、周りのヒソヒソ声がより一層強くなる。

 英人の体中に疑念と軽蔑が混じった視線が突き刺さる。


 ……もはや詰みか。


 静かに目を閉じようとした時。


「お次の二名様ー。店内へどうぞー」


 店内より女性店員の声が響く。どうやらいつの間にか英人たちの番になっていたようだ。

 別に狙ったタイミングというわけではないのだろうが、英人はこの店に通っていて本当に良かったと心から思った。





「はい、ラーメンと活力ラーメン大盛でーす。ごゆっくりどうぞー」


 二人が席についてから数分後、注文していたラーメンが目の前に置かれる。

 どんぶりからは湯気と匂いが立ち上がり、たまらなく食欲をそそる。


「先生のラーメンに乗ってるそれ何?」


 早速目の前のラーメンを食べようとすると、美智子が英人のどんぶりを不思議そうに見つめながら聞いてきた。


「ああ、これはモロヘイヤだ」


 よくぞ聞いてくれました! と言わんばかりに自慢げに答える英人。


「モロヘイヤって……あの?」


「そう。正真正銘『あの』モロヘイヤだ」


 そう。ここ『浜獅子』は活力ラーメンという、モロヘイヤが乗っかったラーメンのある世にも珍しいラーメン屋。

 一見すれば邪道のように思えるかもしれないが、これがなかなか侮れない。

 モロヘイヤ独特の粘り気と風味がこの店の醤油スープとちぢれ麺に絶妙にマッチする、人気の一品なのだ。


 美智子がまるでゲテモノを見るかのような視線を送ってくるが、英人は気にせずに割箸を割る。


「ほら、冷めないうちに早く食べちまうぞ。いただきます」


「い、いただきます」


 腹も減っていたこともあり、英人は豪快に麺をすする。

 その後を追うようにして、隣の美智子もちゅるちゅると麺をすすり始めた。


 最初こそ怪訝そうな顔であったが、


「……これ、おいしい!」


 すぐにその表情をぱぁっと明るくさせる。

 その表情を見て、英人もニヤリと笑った。


(そうだろう、うまかろう。

 やはりうまい食べ物は良い。人を笑顔にしてくれる。

 俺が思うに料理は「美味しけりゃいい」のではなくて「美味しいからこそ良い」んだ)


 麺をすする音は軽快なまま途切れることなく、そのまま二人仲良く完食した。



 ………………


 …………


 ……



「いやー美味しかったねー」


「な? 俺の言った通りだっただろ?」


 二人はラーメンを完食した後店を出て、駅に向かってぶらぶら歩いている。

 英人はもともと書店に本を見に行く予定だったが、今日はもういいかと思いそのまま帰るつもりだ。


「次はモロヘイヤの奴チャレンジしてみよーかな」


 美智子はラーメンを食べる前とは打って変わってゴキゲンであり、心なしかその足取りも軽い。


(……機嫌も直ったみたいだし、夜に出歩いている理由を聞いてみるか)


「なあ――」


 英人が口を開いた瞬間、一台の車が二人の前に止まった。

 英人は車に詳しいわけではないので車種は分からないが、その大きめの車体と艶やかな黒い塗装は一目で高級車だと分かった。


 運転席側のドアが開き、一人の男が出てくる。

 黒いスーツで身を包み、背筋はまるで頭から紐で引っ張られているみたいに真っすぐ伸びていた。


「探しましたよ。美智子様」


瀬谷せやさん……!」


 驚愕に染まった表情で美智子はその名を呼んだ。


 確かこの人は都築家お抱えの運転手だ、と顔を見ながら英人は思い出す。

 とはいえ普段は車庫の方にいるからか直接会うことはほどんどなく、顔を合わせるのも今回で二度目だ。


 瀬谷の方も英人の姿を一瞥すると、後部座席のドアを開いた。

 車内も外見に劣らず豪華な装飾が施されている。まさに富豪の乗り物といった感じだ。


「さ、お乗りくださいお嬢様。敏郎としろう様と典子のりこ様も心配していらっしゃいます」


「お父さんもお母さんも今海外でしょ。どうやったら私の心配なんてできるのよ……!」


 そう答える美智子の声はトーンこそ抑え目だが、明らかに怒りの感情を含んでいた。


「美智子様」


 瀬谷の方も都築夫妻からの命令がある手前、引けない事情があるのだろう。その断言するような言い方には有無を言わさぬ意思を感じさせた。

 美智子は少し瀬谷を睨んだ後、


「……やだ。私今日は帰らない。

 先生と一緒にいる」


 いきなり英人の腕を掴んだ。

 

「……瀬谷さんの言うとおりだ」


 だが対する英人はそれに驚くこともなく、腕に絡みつく両手を丁寧に剥がし始める。


 確かに、帰りたくないと思う気持ちは分からないでもない。

 だがそれでは彼女のためにならないと思い、あえて毅然とした態度を取ることにした。


「さっきみたいな危ないことがまたあるかも知れないし、これ以上はご両親を心配する。

 夕飯も食ったし、今日はもう帰った方がいい」


 英人は支えを失って棒立ちとなった美智子の背中を、車へと誘導するようにポンと叩く。

 美智子は最初こそ抵抗していたが、しばらくしたら観念してゆっくりと車の方へ向かっていった。


 しかしその足取りには覇気がなく、表情も暗い。

 まるで亡霊のようにふらふらと歩いた後、自身の体を投げ出すようにして美智子は車に乗り込んだ。


「……先生には、分かんないもんね」


 乗り込む際に放ったつぶやきは果たしてただの独り言だったのか、それとも英人への抗議だったのか。

 それは美智子本人ですら定かではない。


 瀬谷は後部座席のドアを閉め、英人に形式ばった一礼をして運転席に乗り込む。


 ほどなくして発信する車。

 黒い車体が、瞬く間に夜の闇へと溶け込んでいく。


 その光景を、英人はただ静かに見つめていた。

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