なんで私が早応大に!?④
私立の名門、早応大学付属の高等学校であり、付属高校の中では唯一の女子高である。
通っている学生は大きく分けて二種類おり、高校受験で入学してきた外部生と付属の中学校からエスカレーター式で進学してきた内部生。
特に内部生は医者や企業の重役、果ては政治家の娘といったいわゆる「いいとこのお嬢様」と呼ばれるような生徒が結構な割合でいる。
二年生である美智子もその「いいとこのお嬢様」の一人だ。
「……はぁ」
そのお嬢様は今、紙パックのイチゴオレから伸びるストローを口に咥え、ボーっと頬杖をつきながら窓から差し込む五月の日差しを浴びていた。
昼休みも残り十分。
お昼も既に食べ終え、教室内ではクラスメートたちが各々好きなように残り僅かな休み時間を過ごしている。
(……それにしても、昨日は色々あったなぁ……)
心地よい日差しの中、少しまどろむ頭で美智子は昨日の出来事を振り返った。
――そう。最初は多分自分の『殻』みたいなものを、破りたかったんだと思う。
美智子の両親は、彼女が生まれる前から世界で活躍する敏腕経営者。
その多忙さは美智子が生まれた後も変わることはなく、日本の自宅に帰ってくることはほとんどなかった。
直接会っている時間で言えば、おそらくは青葉や瀬谷の方が長いだろう。それぐらい都築家は互いに顔を合わせない家族だった。
最後に一緒にご飯を食べたのは、いつだっただろう?
一緒に出掛けたのは?
一緒に笑ったのは?
そんな家族のアタリマエも、美智子にとっては全てが遠い昔の思い出。
いくら豪華で大きい家があっても、そこには『家族』という中身が決定的に欠けていた。
青葉がそれを感じさせまいと気を使ってはいるが、完全な代替とはなりえない。
美智子は空っぽの入れ物の中にただ一人、ひたすら孤独だった。
だからとにかく家を飛び出してみたくなって、美智子は夜の街に繰り出したのだ。
青葉には「友達の家で勉強する」と嘘をついて。
あえて背伸びした服装と化粧をし、自身が思う「夜の大人の女性」の恰好をする。それで何をするでもなく、ひたすら夜の繁華街に佇んでみるのだ。
「服装が変われば性格も変わる」とはよく言ったもので、いつもはうざったいと思っていた異性からの不躾な視線もこの時ばかりはなぜか妙に心地よく感じられた。
ひっきりなしに突撃してくるナンパの群れ。それを片手間にあしらっていく度に、本当に女としての魅力がグングン伸びているような気がしたのだ。
しかし結局は英人や瀬谷に見つかり、美智子のささやかな挑戦はたった一夜にして終わったわけであるが。
(――瀬谷さんなんか無視して、どこかに連れていってくれればよかったのに)
あの時かばってくれなかった英人に対して、美智子の中に少しずつイライラがこみあげてくる。
筋違いな怒りであることは百も承知だが、こればかりはどうしようもない。
まだ腕には昨日英人から掴まれた感触が残っている。美智子はそれを少しさすりながら、小さくため息をついた。
「な~にしてんのっ!」
「ふひゃあっ!?」
美智子が物思いにふけっていると、いきなり横から抱き着かれた。
あまりに突然の出来事に、恥ずかしいくらい間抜けな声を出してしまった。
「お、普段はマイペースな表情を崩さないつづみんからは想像できない、なんとも可愛らしいリアクションが! これは永久保存版ですな~。」
「もー! びっくりさせないでよ彩那~!」
いきなり美智子に抱き着いてきたこの天真爛漫な少女は
ちなみに「つづみん」というのは彩那が付けた美智子のあだ名である。
「まあまあ。それにしても考え事なんて珍しいじゃん? まさかイイ人でもできた!?」
「いやいや違う違う」
美智子は手をややオーバーに振って否定する。
女子高あるあるなのか、ここの生徒は他人の恋愛話(今回は違うけど)に関してはその真偽に関わらず異様に食いつきがいい。
そんなに気になるもんなのかな? と美智子は常々思っているが、かくいう自分自身もまったく興味がないわけではない。
「じゃーどうしたのよ?」
「まあ家庭の事情というかなんというか……にゃはは」
相手が友人といえどさすがに昨日の話をカミングアウトする勇気はないので、笑ってごまかす。
「つづみんの家お金持ちだもんねー。いまだに門限あるんでしょ?」
「そーなんだよ。しかも5時だよ5時!
華の女子高生が日も沈まないうちに帰らなきゃいけないなんてストレス溜まるーっ!」
「あはは。それに最近は成績悪くて家庭教師もつけられたんでしょ?
……そういえばどんな人か聞いてなかった。どうなん? かっこよかったりするん?」
英人の話題になった時、昨夜の光景が再び美智子の頭に浮かぶ。
うん、あの人は――
「そりゃーヒドイ人ですよ。デリカシーないし、28歳で大学生だし。
ただのアラサーのおじさん」
「えぇー! 早応大の男って聞いてたからてっきりイケてるもんだと思ってたけど、現実は甘くないかぁー。
イケメンの家庭教師に手取り足取り、なんてマンガの中だけの幻想か……」
「そうそう。現実はそんなもんなんです」
美智子が投げやりにそう言うと、彩那は深くため息をつく。
「ハァ……女子高生が二人そろって浮いた話の一つもないのはなぁ~。やっぱり女子高じゃなくて共学にしとけばよかったか」
一応、他の付属高校には共学の所もある。
共学の高校に進学した中学時代の友人が彼氏を作った、なんて話を聞いた日にはここの女生徒は嫉妬に狂って奇行に走るだろう。
実際そういうエピソードはちらほら耳に入り、その度にここの女子たちは憂鬱な気分になるわけだ。今の彩那のように。
「ん~私は別にいいかなぁ。変に気を使わなくて済むし」
美智子自身は今の所そこまで恋愛、もとい異性にガツガツしないタイプである。
昨夜の件で化粧やオシャレは楽しいと感じてはいたが、同時に準備が面倒だという事実も思い知った。
もし共学に入ろうものなら男子の目を引くために毎日そういうことをしなければならない……想像しただけで気が滅入る。
「さすがモテるオナゴは余裕がありますなぁ~」
「そ、そんなことないって」
「ノンノン、謙遜はいけませんぜ旦那。
そのモデル体型と高校生にしちゃ無駄に色気のあるルックスは他校の男子からは結構人気なのよ」
「い、色気って……嘘だぁ~」
美智子とて年頃の女子。自身の見た目が全く気にならないわけではなかったが、「色気」という観点で自分の体を見たことはなかった。
私って身長高いな~くらいには思っていたが。
「いや、実際他校に男友達がいる娘は合コンの依頼が結構あるらしいよ? もちろんつづみん目当ての」
「ふ、ふーん」
美智子は興味のない素振りをして、ストローに口をつける。
中学から女子校だったこともありあまり恋愛沙汰について考えたことはなかったが、「自分に需要がある」という事実を突きつけられるとちょっとだけ気になってしまう。
「物は試しと思って一回だけでもセッティングしてもらう? 合コン」
それに自分で考案した夜遊びも一夜にして見つかってしまったし、代わりになるものが欲しかったところだ。
……物は試し、か。
「ん~家庭の事情がひと段落したら、ちょっと考えてみる」
そう言ってイチゴオレを飲み干した時、次の授業を知らせるチャイムが鳴った。昼休みモードだったクラスは途端に慌ただしくなり始める。
「うわ。私も急いで準備しないと」
イチゴオレのパックをゴミ箱に放り込み、美智子は急いで鞄から教科書を取り出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
午後の授業とホームルームも終わり、クラスメートは部活や帰宅の準備を始めている。
美智子は門限がある関係上、部活には入っていないため基本的にはまっすぐ帰宅することが多い。今日もそのまま直帰の予定だ。
なのでいつも通り帰りの支度しようと思ってノートを手に取ると、美智子はふとあることに気づいた。
(……最近、ちゃんとノート取るようになったんだな、私)
拙いながらも授業の内容が整理されたノートをパラパラとめくりながら、以前の自分との変化を実感する。ちょっと前までは授業なんて退屈の代名詞みたいなもので、大体は聞き流すかぐっすり眠るかだった。
でも最近は授業の大部分をつまらないと思いつつも少しずつ興味を持って聞いている自分がいる。
そうなってしまった原因は、間違いなくあの家庭教師だろう。
今になって思い出すと英人は勉強を教えるというよりも、どうすればつまらない勉強を面白くできるか、興味を持てるようになるのかを熱心に伝えてくれたような気がする。
(……なーんだ、けっこういい先生じゃん。デリカシーはゼロだけど)
めくり終わったノートを鞄にしまい、美智子は教室を出た。
上履きから靴に履き替えて校舎から出ようとすると、ガヤガヤした声が聞こえてくる。
どうやら校門の辺りが騒がしくなっているようだ。
「何あれ、お迎えかな? 最近だと結構珍しいよね」
「うんうん、お嬢様って感じ」
「運転手の人、かなり渋い感じじゃない?」
そんな声が聞こえてくるので、美智子は少し背伸びをして遠くから覗いてみた。
周りの女生徒よりも一回り以上大きい身長は、遮られていた美智子の視野を容易に広げる。
しかし騒ぎの中心を視界に収めた瞬間、美智子は背伸びをした状態で固まった。
「な、なんで……?」
そこには、校門の近くに車を停めた瀬谷が立っていた。
この光景には、見覚えがある。
美智子がまだ小学生だった頃、毎日こうして瀬谷が運転する車で登下校していた。
いま目の前に広がる光景はその時の状況と全く同じ……つまりは迎えに来たということだ。以前と同じように。
やっぱり昨日のことがあったから?
家出させないために?
そう美智子の頭は冷静に考えようとするが、心がそれに追いついてくれない。
……嫌だ。
5時という早すぎる門限。
家族のいない家。
美智子が唯一好きにできる時間は、登下校の間だけだった。
嫌だ。
あの車に乗ってしまったら、そんな僅かな自由までなくなってしまう。
その事実に直面した時、言いようもない恐怖が美智子の心を覆う。
そんなのイヤ!
――気付いたら、美智子は裏門から駆け出していた。
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