異世界帰りのストーカー対処法②

 英人が現場に飛び込む少し前――


 早応大学の二年生、東城とうじょう瑛里華えりかは自宅へと向かっていた。

 いつもの帰宅ルートを、必要以上の早歩きで進む。

 それはひとえに、ストーカーの目から逃れるためだった。


――1週間ほど前から、誰かに尾行されているという感覚はあった。

 それがストーカーのものであると確信したのは、三日前のこと。


 いつか自分がストーカー被害を受けるのではないかという予感はしていた。

 だから家賃を奮発してセキュリティの整ったマンションに住んだりもしている。

 でもいざ実際に被害にあってみると、纏わりつくような恐怖心に押し潰されそうな自分がいるのも事実。


 後ろから付いてくるのは誰?

 私を監視しているのは誰?

 たかがストーカーがこんなにも、怖いなんて。


 恐怖心を少しでも和らげるためにバッグの紐を強く握りこむ。

 整った顔で生まれてしまった以上、この後の人生もこういった輩に付き纏われなければならないのか。

 瑛里華は自身の美貌を今更ながら恨めしく思った。



――東城瑛里華は、世間一般で言えば「美人」と呼ばれる存在である。

 それも「超」という言葉が付くほどの。


 彼女がそれを自覚したのは、小学校に入ってから。

 田舎の学校だったので生徒数は多くなかったが、それでも男子の自分に対する態度、言動は他の女子達へのそれとは全く違っているのが分かった。

 初めて男子から告白されたのは小学二年生の時。それからは告白をされない年などなかった。


 女子たちからの妬み、やっかみも当然あった。

「あんたに好きな人を盗られた!どうしてくれんのよ!」などと言われるのは日常茶飯事。

 同性の友人がゼロというわけではなかったが、その何倍もの敵が瑛里華の周囲にはいつも存在していた。


 中学に上がっても毎日のように繰り返される興味のない男子からの告白、そして女子からの陰口。

 そんな日常の繰り返しにいい加減嫌気がさしてきた最中、瑛里華の中で一つの考えが浮かんだ。


 ――だったらもう、この顔を使って行くとこまで行ってしまおう。


 要するに自分が美人過ぎていわゆる「普通」の生活に馴染めないのなら、この美貌を使ってのし上がれるだけのし上がってみよう、というわけだ。


 そう決意してからはファッション・化粧の勉強を本格的に始め、田舎から東京の大学に行くために勉強もより一層励んだ。

 のし上がるにしても、上京するのが一番手っ取り早いと思ったからだ。


 もちろん、そういった外面的なもの以外にもちょっとした気遣いや仕草などいわゆる「モテる」言動というものも徹底的に研究し、実践した。


 その甲斐もあって高校在学中は今まで以上にモテにモテてきた。

 校内はもちろん、他校のイケメンたちや大地主や地元議員の息子といった上流階級の人たちからも好意を寄せられた。

 あくまで瑛里華にとっては好かれるまでが目的なので、告白は全部断ってしまったが。


 というより瑛里華には誰かを「好き」になった経験がなかった。

 そもそも「好き」という感情すら未だによく分からない。


 ともあれ瑛里華の高校生活は順調に進み、日頃の勉強も功を奏して無事都内の私立トップである早応大学に進学することができた。

 さらには一年生にしてミス早応のグランプリを圧倒的な大差で獲得。

 瑛里華の容姿は東京でも通用したのだ。むしろ通用しすぎたと言えるくらいに。


 そこから半年が過ぎ、学年も二年に上がった。

 異性からの好意、同性からの悪意はいつものことであるが、テレビ・雑誌の取材や芸能関係からの接触もより多く来るようになった。

 もう知名度的には半ば芸能人と言っていいのかもしれない。


 だが、まだまだだ。

 内面・外面共にもっと自分を磨き、今以上にもっと好かれる存在になるんだ。


 もっと。もっと。もっと――

 私はまだ、立ち止まるわけにはいかない。


 まるで何かに祈るように瑛里華がそう思った時、不意に足が止まった。

 突然自分の前に誰かが現れた――そう体が感じたのだ。


 何事かと思い瑛里華が前方に視線を向けると、男が道を塞ぐように立っていた。


 別に、それだけなら何の問題もない。

 しかし、その男は気配が無かったはずの所から突然現れたのだ。またその様子も尋常ではないと一目で分かった。


 おそらく、この男がストーカーだ。


「と、東城さん……?」


 男はゆっくりと口を開く。


「は、はい……」


「僕のこと、覚えてるよね……?」


 いや知らんわ、と瑛里華は思いつつも脳は周囲の状況を迅速に分析し始めた。


 目の前のストーカー男の体型は中肉中背。

 いかにも根暗そうな風貌でそこまで力が強そうには見えないが、男であることに違いはない。女である瑛里華にどうこうできる相手ではないだろう。

 また後ろ手に隠しているみたいだが、凶器の類を持っていることは容易に想像できた。


 ここから自宅までは走っても五分はかかる。

 女の足で振り切るのは厳しいし、コンビニや交番など周囲に駆け込めそうな施設もない。


 結果そのまま逃げ切るのは無理だと判断した瑛里華は、なるべく相手を刺激せずに、通行人が通りかかるまで時間を稼ぐことにした。


「ご、ごめんなさい。ちょっとド忘れしちゃったみたいで……よければ名前を教えて?」


 まずは正直に謝る。

 この手のタイプは「裏切られる」「嘘をつかれる」という行為が逆鱗となり得る。余計な誤魔化はかえって逆効果だ。


「そういえば本名は教えてなかったね。

 僕は馬越うまこし文博ふみひろ。『涅槃ネハンくん』っていうアカウント名なら分かるかな……?」


「あっ」


 思わず声が出てしまったが、瑛里華は完全に思い出した。

 昨年のミス早応開催時、出場者はそれぞれ期間限定のSNSアカウントを作成して自身をアピールしていた。もちろん瑛里華もその一人である。

 その中で瑛里華のアカウントに絡んできていたのが「涅槃くん」というアカウントだ。


 内容はいわゆる「バブみ」というやつで、SNS上で謎の赤ちゃんプレイを仕掛けるという半ばセクハラともとれる行為である。

 瑛里華は内心「なんなの、コイツ」と思ったが、それでも表面上は真摯に対応した。結果それが神対応として逆に話題になり、グランプリ獲得の一助になったわけだからある意味思い出深い相手でもある。


「ええ『涅槃くん』さんよね? うん覚えてるよ、久しぶりだね。

 それで今日は何の用かな?」


「……僕を慰めてよ」


「え?」


「だからあの時みたいにいい子いい子してくれよぉ!! いつでも僕のこと応援してくれるって言ってたじゃないかぁ!」


 半泣きになりながら馬越は叫ぶ。後ろ手に持っていた凶器はもはや隠そうともしていない。

 数秒前とはまるで人が変わったかのような豹変ぶり。英華はその迫力に思わず一歩だけ後ずさりをしてしまった。


 しかし、その一歩が彼女にとって致命的な悪手だった。


「逃げるなよおぉ!! 僕のことを受け止めろよおぉ!!」


 おそらくたった一歩の後ずさりが、馬越にとっては全否定の意思表示に見えてしまったのだろう。

 これまでとは比べ物にならない剣幕で瑛里華に迫る。


 振り上げられるナイフ。

 その切っ先が狙うのは、瑛里華の命。


「ひっ……!」


 このままでは確実に殺される。

 でも体が動かない。

 初めて直面する「死」の現実に、瑛里華の体は完全に硬直してしまった。


 でも生きるためには、なんとしてもこの男の前から逃げないと……!


 しかしなけなしの勇気をふり絞って踏み出した一歩も、恐怖でもつれる。瑛里華はそのまま尻もちをついてしまった。


 タイツに包まれた脚が、笑えるくらいに震えている。

 紛れもない自分の体なのに、どうしてこういう時に限って言うことを聞かないのか、と瑛里華は自身の情けない肉体を呪った。


「た、助けて……!」


 人生で初めて、心の底から発する命乞いの言葉。

 地べたに尻もちをつきながら行う命乞いは、傍から見ればさぞかし無様に映ったであろう。

 しかし恥も外聞も投げ捨てて発した決死のSOSも虚しく、東城瑛里華の人生はあとコンマ数秒で終わる。


 男の荒々しい息遣い。

 近づく刃。


 ふと、瑛里華の脳内に「美人薄命」という言葉が走馬灯のように浮かんだ。

 なまじ美人に生まれたせいで人から好かれることばかり覚え、誰かを好きにならずにいたから神様が怒って罰を与えたのだろうか。  


 ……なら、神様。もし私に罰を与えるというのなら。

 どうか最後に一つだけ、教えてほしい。



 ――『恋』って、なんですか?



 目をつむった時、


「ちょっと待った」


 後ろから声が聞こえた。瑛里華は眼を開け振り向く。

 

――そこには、一人の男が立っていた。


 服装は学生そのものだがその顔はどこか陰気で、というか学生にしてはやや老けて見える。

 おそらく年齢は二十代後半だろう。

 そういう意味ではこの男も瑛里華から見ればかなり不自然な見た目だった。


 だが男は相手の持っているナイフなどまるでお構いなしに、ストーカー男の前に立ちはだかる。


 正直「なんなの、コイツ」と瑛里華は思った。


 でも目の前に立つその背中は少しだけ、頼もしく映った。

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