第一部:元『英雄』のキャンパスライフ

異世界帰りのストーカー対処法①

『――やはり、帰ってしまうのか?』


『ああ。

 もうこの世界での俺の役割は終わったからな。

 それに、みんなとの約束もある』


『そうか……』


『しかしこの世界の景色とも、もうお別れか。

 思えばこの八年とちょっと、いろんなことがあった』


『そうだな。本当に、いろいろなことがあった。

 数えきれない程の戦いと犠牲があり、そして貴殿はこの国とこの世界を救ってくれた。

 貴殿は我々にとって、真の英雄だった』


『やめてくれよ、今更恥ずかしい』


『そうはいってもこれは紛れもない事実だからな。

 貴殿は世界を蹂躙していた魔族の軍勢を退け、その首領たる魔王まで倒してのけた。

 これを英雄と言わずして何と言う』


『閣下、転移術式、準備完了いたしました!』


『そうか。

 名残惜しいが、そろそろお別れだな――総員、整列!』

 救世の英雄、八坂 英人殿に敬礼!』


『『『『『敬礼!』』』』』


『お、おいおい』


『改めて感謝する、不死身の英雄よ。

 我々は永遠に、貴殿の尽力と献身を忘れない』


『――ありがとう。

 俺もこの世界のこと、そしてみんなのことを、決して』


『願わくは、元の世界での人生に幸あらんことを!

 さらばだ、八坂英人よ……!』


『ああ――!』




 ――――――



 ――――



 ――




「――というわけなのだが。話、聞いてたかい?」


「ん、ああ……。

 大学の近くに『異能者』が出たって話だろ?」


 四月上旬。

 研究室の椅子に寄りかかりながら、男は小さく伸びをした。


「全く……いくら新学期だからといって、少し気が抜けているんじゃないかい?」


「そんなことはないと思うが」


 ここは神奈川県にある私立早応そうおう大学。私立大学の中では知名度、偏差値ともにトップを誇る名門である。

 いま伸びをした男、八坂やさか英人ひでとはそこに通う28歳。

 つまりは今時珍しいアラサー大学生だがさらにもう一つ、大きな特徴があった。


 というのも何を隠そうこの男――18歳の時からおよそ八年間、剣と魔法の『異世界』にいたことがあるのだ。

 しかも彼はそこでみごと『魔族』の軍勢を撃破し、世界を救った『英雄』として元の世界へと帰還してきたという華々しい経歴を持つ。

 

 だがそれも今となっては一年半以上も昔の話。かつての功績を知る者などほとんどいないこの世界で、彼はただの大学二年生として生きていた。


「ああ。間違いない。新学期早々、二件目の『異能者』案件だ」


 英人の言葉にいかにもマッドサイエンティストといった風貌の人物が答える。

 白い肌に灰がかった髪をしたこの白衣の男の名は、ヒムニス=グロリアス。

 早応大学の教授であり、かつ『異世界』出身者でもある。


 彼はもともと『異世界』における魔法研究の権威だったが、五十年ほど前に祖国を追われてこの世界に来たという過去を持つ。現在は国からの依頼で『異能者』絡みの研究・調査に協力している立場だ。

 年齢は既に百を超えるはずだが、四分の一ほど混じったエルフの血によって外見上はある程度の若さを保っていた。


 一人は八年間を『異世界』で過ごした「転移者」で、もう一人は『異世界』出身のエルフのクォーター。

 今この部屋では二人の『魔法』側の人間が、『異能』について話し合っていた。

 ちなみに異世界と『魔法』の存在を知る者は、この世界でもごくごく一部。


「またかよ……ついこの間解決したばかりだぞ」


「まあそう言わないで。確かに最近『異能者』関連の事件が集中しているけれども」


「はぁ……で、どんな奴なんだその『異能者』ってのは?」


「ああ。まずはこの資料を見てくれ」


 そう言ってヒムニスはA4用紙を数十枚束ねた資料をテーブルに置いた。

 英人はそれを手に取り、ペラペラめくって眺める。内容は、『異能』の行使が確認された地点や時間帯をまとめたものだった。


「……確かにこの近所で『異能』が行使されているみたいだな。

 それに時間帯は夜間だけ、か」


「ああ。

 単純に人目を避けたかったか、もしくは能力に関係しているのかもしれない」


 ヒムニスはコーヒーを一口すする。


「十分あり得るな……ま、それをここで考えていても仕方ない。

 今夜早速当たってみるさ」


「お、今回は食いつきがいいね。

 というより最近は結構乗り気になって来たんじゃないのかい?」


「なんやかんやで一年近くもやってきたんだ。

 いい加減慣れて来たよ、この仕事にも『異能』という存在にもな」


 英人はコーヒーを口に含み、自嘲ぎみに答える。


『異能者』――この現実世界に少数ながらも存在する、特殊な能力を持った人間たち。

 彼らは大昔からこの世界にて暗躍してきたが、その存在は時の権力者たちによって秘匿されてきた。もちろんこの国の上層部もその存在を知りながら世間に隠している。


 英人自身も『異能者』について知ったのは『異世界』より帰還してからのこと。それからはこの一年、ヒムニスからの依頼を代行するという形で『異能者』たちと相対している。

 今回も件についても同じ流れというわけだ。


「それは何より。それで話を戻すけど、四月から急に反応が増えたことからおそらくウチの学生がその『異能者』である可能性が高い。

 とりあえずこれまでの『異能』反応の分析は済んでるから、次に『異能』が行使されたらすぐに知らせることができると思うよ」


「了解。んじゃ夜間はいつでも動けるようにしておく」


 ヒムニスの言葉にぶっきらぼうに答えた後、英人は個室を後にした。



 ………………


 …………


 ……




 ヒムニスの個室を後にしてから数時間。


(……そろそろか)


 今日の講義を終え、英人は大学の図書館にて時間を潰していた。

 読書スペースの奥にある四人掛けのテーブルに一人で陣取り、黙々と本を読み続けている。

 机の周囲に本がうず高く積み上がっている様子はさながら「本の城壁」ともいえる光景。

 図書館の一角に時折出現するこの城の存在は、司書の間でもささやかな話題となるほどだった。


 ふとスマホの画面を見ると、時刻は夜の6時30分。

 窓に目を向けはれば、辺りはもうほとんど日が沈んでいる。


 そろそろ頃合いか、と英人が積み上げた本を片づけ始めたその時、スマホが振動を始めた。

 片手に大量の本を抱えながら、英人は器用にスマホを操作して画面を確認する。

 案の定、ヒムニスからのメールだ。


 《つい先程『異能』の反応があった。地点は添付したファイルを参照してほしい》


 英人は早速添付ファイルを開き場所を確認してみた。

 見てみると、そこは大学からもさほど離れてはいない地点。これならすぐに向かうことができる。


「……よし。じゃあ行くか」


 英人は本の塊を返却棚へと押し込み、そのまま図書館を飛び出した。




 大学の敷地に出ると、時間のせいか敷地内にいる学生はまばらだった。

 おそらく新歓シーズンということで大半は飲み屋の方へ出ているのだろう。


 英人はそそくさと校舎の影へと隠れ、周囲に人がいないことを確認する。


 ここから目的地までは、歩いても十五分はかからない距離。

 だがバカ正直に徒歩で行ってみすみす『異能者』を逃がす手はないだろう。

 

 ……つまりここは、『魔法』の出番だ。


『エンチャント・ライトニング――!』


 英人は周囲に響かない程度の声で詠唱をし、自身の体に雷撃をまとわせた。


 いま使ったのは雷属性の力を自身の肉体に装備させる魔法。

 通常攻撃に雷属性を付加する他にも反射神経や瞬発力を上昇させるという代物だ。

 今回はさらに「脚力強化」の魔法も重ね掛けする。


「はぁっ!」


 魔法の準備を終えると、英人はその場から一気に跳躍した。


 鋭い風切り音とともに、その肉体は大地から急速に離れていく。

「脚力強化」で大幅に飛距離が延びたジャンプは容易に英人の体を大学の敷地外へと運んだ。


 近くの道路に着地したら、今度は膝を曲げたまま深めの前傾姿勢を取る。


 「……はぁっ!」


 ぐぐぐ、とアスファルトの軋む音を響かせた瞬間英人の体は一瞬にしてトップスピードまで加速し道路を駆け抜けた。

 人を避け、車を避け、さらには一軒家の屋根の上を飛び越えながら一気に住宅街を突っ切っていく。

 しかしこんなにも目立つ存在が公道のど真ん中を走っていても、通行人の誰一人として英人を気に掛ける様子はない。

 それはまるで、最初からと思い込んでいるかのようだった――




 走り始めてからわずか数分、ヒムニスが特定した地点へとたどりついた。

 英人は早速「視力強化」の魔法を使い、視界を広げて周囲の捜索に入る。


「……マズいな」


 するとそこに映し出されたのは、予想以上に切羽詰まった光景だった。


 ターゲットである『異能者』はナイフを持っており、その前には腰を抜かした女性がアスファルトにへたり込んでいる。

 このまま放っておけば良くて大怪我、最悪殺されかねないだろう。


「ん? あれは確か……」


 英人は女性の方に目を向けると、見覚えのある顔が目に入った。

 確かあれは、昨年のミスコンでグランプリを取っていた東城とうじょう瑛里華えりかだ。


「やっぱ有名人ってのは、トラブルに巻き込まれやすいのかね?」


 そう誰に対するでもなくつぶやくが、とはいえ状況は一刻を争う。

 英人は再度脚に力を込め、勢いよく現場へと跳び込んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る