十.早朝の訪問者


 中央通りの繁華街から少し外れたところに、この家はある。

 居住用ではなく主に研究用として使用しているため必要最低限の物しか置いていないが、商店街に近く買い物に便利で、余り騒がしくもないのが気に入りだった。

 普段は閉め切っていることが多く、訪ねてくる者も滅多にいない。ごくたまに何かのセールスに遭遇するくらいだ。だから朝早くに玄関の扉がノックされた時も、広報誌か何かの押し売りだろうと軽い気持ちで扉を開けたのだった。


「おはようございます」


 玄関に立っていたのは、見知らぬ男女。元気よく挨拶をしたのは人間フェルヴァーの少女で、その後ろに立っているのは学者風の背の高い男性だった。


「……何か?」


 怪訝けげんそうに問い返すリトを、少女の大きな瞳がまっすぐ射抜く。


「人捜しでお訪ねしてます、ルベルといいます。つかぬことをうかがいますが、うちのパパを知りませんか?」


 幼いながら、意志の強そうなあかね色の両眼。高く結んだオレンジ色のツインテールと相俟あいまって、快活な印象を与える。ジャケットとミニスカート、ロングブーツという出で立ちはどこかの学生のようだ。

 そうすると、後ろに立つ背の高い人間フェルヴァーは教師か何かなのだろうか。短く切り揃えられた色の薄い髪に緑玉エメラルドの双眸。穏やかな笑みを浮かべてこちらをじっと見ている。


「悪いけど、余所を当たってくれないかな」


 深く考えず返事をして扉を閉めようとした、が、ガキリという音に阻まれる。見れば少女が小槍ショートスピアの柄を、扉の中に差し込んでいた。


「ちょっと、君」

「これ、似顔絵です」


 初対面だというのにこの強引さは何だろうか。困惑しつつも差し出された紙切れに目を落とし、そしてリトの意識が固まった。


「ロッシェ、って名前です。背が高くって、こちらのセロアさんと同じくらいの年齢で、髪は藍白あいしろ、目は紺碧こんぺきです。……知りませんか?」


 畳み掛けられる特徴と、画用紙に描かれた丁寧な似顔絵。心当たりが有りすぎて、自然表情が強張こわばってゆく。紙から視線を外すと、少女と目が合った。


「ご存じ、ですよね」


 柔らかな声がゆっくりと念を押す。確か少女がセロアと呼んでいた。

 間違いなくこの二人は確信を得てここへ来たのだろう。ロッシェかルティリスが自分の気づかぬ間に連絡を取ったのだろうか。とは言っても二人に、この家の位置を特定する手段があったとは思えないのだが。


 答えに迷うリトの思考をかすかな金属音が遮断しゃだんした。それが何かなど考えるまでもない。無言で振り返り、そこに立つ長身の相手を睨み付ける。

 ――が、なぜかロッシェは自分以上に困惑した顔をしていた。


「呼んだのか?」

「まさか。どうしてわざわざ娘を危険に巻き込みますか」

「パパ!」


 抑えた声で交わすやりとりに、扉の外の少女が即座に反応した。ロッシェは一瞬手足の鎖に視線を落とし、観念したようにため息をついて、哀願するような目をリトに向ける。


「……会わせてください」


 ロッシェの隣でルティリスは、尾をゆっくり揺らしながら成り行きを見守っていた。ルベルは扉をこじ開けるわけでもなく、外に立って答えを待っている。さすがにそんな状況の中で否と言う気分になれず、リトは無言で扉を大きく開けて道を空けた。

 途端、ルベルが家の中へと駆け込んでくる。そして、立ち尽くすロッシェの姿を上から下まで確認し、大きな両眼を瞬かせた。


「パパ、何かの罰ゲームですか?」

「……そうだったら、今頃はおまえの所に帰れてただろうね」


 苦笑混じりにロッシェが応じ、後から入ってきたセロアがにこにこと突っ込んだ。


「多分それは罰ゲームじゃなくて、結構なピンチだと思いますよ。ルベルちゃん」


 少女は大きく目を見開いて、両手両足に鎖を絡めた父親の姿を眺めていたが、やにわに槍を左手に持ち替えて右手を振り上げた。思わず身をすくめたルティリスの前で、ぱしんと軽い音が響く。


「パパ、殴られてくださいっ」

「いやだ」


 振り下ろそうとしたてのひらはロッシェの左手に捕らえられ、父と娘はしばし睨み合った。はらはら見守るルティリスと黙って様子を眺めているリトの隣、連れの賢者は一人にこにことそのやりとりを眺めている。


「約束を守らなかった事はごめん、僕が悪かった。だけど、パパはおまえから逃げようとした訳じゃない。だから、殴られるのはいやだ」


 ロッシェの言葉は言い訳めいていたが、瞳は真剣だ。

 少女は眉間に力を込めてしばらく父を見上げていたが、やがてこくりとうなずいた。そしてロッシェの手から右手を引き抜き、黙って彼に抱きついた。


「……リトさん」


 遠慮がちに囁きかけるのは、ルティリスの声だ。促されずとも眼前の状況は一目瞭然だし、それを踏みにじるほど極悪なつもりもない。


「解ってるよ、ルティ」


 目的を果たすまで自分の元に留めておきたかったし、そのために多少非道な手段を使う心づもりもしてはいた。が、それは彼が役立つと思ったからであり、憎くて苦しめてやりたいというのではないのだから。

 それを外してやる――と言おうとしたその時。ルベルが唐突にしかも立て続けに魔法語ルーンを唱え、ぱきりと金属が割れる音が響いた。驚いて目をみはるリトの眼前で、ロッシェの手から壊れた鎖が落ちる。


「……ルベル? 今の、なんだい」


 リトの心境を代弁するようなロッシェの問いに、ルベルは得意げな顔で答えた。


「闇魔法と炎魔法のダブルコラボです。ガラスは急激に熱すると壊れちゃうって習いました!」

「まずは闇魔法で耐久力を下げ、炎魔法で熱した、という事でしょうか。ルベルちゃん、よく鎖の材質が結晶石だって気づきましたね」


 興味深げに解説を加える連れの賢者の言葉からすると、ルベルは精霊使いらしい。自由になった手首をさすっているロッシェの様子を見るに、今の破壊で幾らか痛みはあったのだろうが……それでもその制御は見事だった。

 まだ足の鎖は残っているが、これなら出る幕はなさそうだ。黙ってロッシェを見れば、紺碧の双眸と視線がかち合う。


「良かったなロッシェ。これで、晴れて自由の身だ」


 わざわざ釈明する気にはなれないが、帰れなかったのは自分に拘束されていたからだ、という事実をルベルが知れば、少しは信頼回復につながるだろうか。そう思って告げた言葉に、ロッシェは双眸を瞬かせ、ルベルは振り返ってリトを見た。


「勝手ながら、あのままじゃパパに頭をなでてもらえないので、壊しちゃいました」


 強い両の瞳に、きっぱりと言い切る幼い声。おくさぬ物言いに心中で驚かされる。この少女に自分という魔族ジェマは、どんな人物として映っているのだろう。


「ご随意ずいいに。それにしても良く、ここが解ったね」


 自然と口元に笑みが上った。魔族ジェマというだけで恐れたり嫌悪する者は多いし、黒というカラーが威圧感を与えればなおさらだ。

 それなのに、この少女は父を捕らえていた相手に対し恐れも怒りも向けることなく、対等に口を利いている。それを純粋に面白いと思う。


「はい。精霊さんが教えてくれました」


 にこ、と少女が笑い、ロッシェはため息一つ漏らして娘の頭をなでた。


「僕はおまえを巻き込みたくなかったのに、……またも先生は止めてくれなかったのか」

「だって、精霊さんがリトくんはいいひとだ、って言ってたですもん」


 どさくさに紛れて名前を呼ばれた。しかも『くん』って何だ、と心中で突っ込みを入れつつ、しかし少女が大真面目なのでとりあえずそこは不問にしておく。


「俺は『いいひと』ではないよ」


 精霊の判断基準は人とは異なる。ルベルは精霊と会話が出来るようだが、その情報がいつでも正確とは限らない。ロッシェがそれを聞いて複雑な顔をしているのも当然だろう。


「リトくんはパパに、何をさせたかったんですか?」


 その問いにはあえて答えず、リトは無言のまま視線をロッシェの足下へ向けた。ルベルの視線がつられて落ち、そして足の鎖へと留まる。

 一瞬瞳を上げてリトの表情を確認してから先程と同じ仕方で枷を破壊し、ルベルは再びリトに向き直った。


「まだ、何か?」


 自由の身になった以上、ここに留まる理由はないはずだ。

 今となれば、ロッシェに対し初めのような憤りや警戒を抱いているわけではないが、こちらの事情を話して協力を請うのもしゃくに障る。それに、ロッシェが自分にどんな感情を持っているのかもつかめない。

 が、ルベルは投げかけた問いの答えを待っているようだった。

 根比べのような沈黙がしばし続き、それを破ったのはロッシェだった。


「どうです。うちの娘はすごいでしょう?」


 あらゆる意味でその場の空気を無視した彼の発言に、セロアは吹き出しルティリスはこくこくうなずいて、ルベルは力が抜けたように眉尻を下げてしまった。

 リト自身もなんだか力が抜けて深いため息を吐き出し――、それで思い出す。


「なんだか腹が減ったよ。ひとまず、何か食べようか」


 ルティリスが目を輝かせて勢いよくうなずいた。増えた人数分に間に合う量かは怪しいが、何も食べずに朝から深刻な顔で睨み合っているのも馬鹿馬鹿しい。

 頭の中でどう数あわせをするか考えながら、リトは当面の予定を白紙に戻し、とりあえず今は考えるのをやめることに決めた。




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