七.主従の鎖[後]


 ロッシェはゆっくりながらも一皿分は残さず食べられたらしい。リトが食器を片付けようとまとめ始めると、ロッシェが椅子から立ち上がった。


「僕が洗いますよ」

「無理だろう」

「平気です」


 暗に鎖を示唆しさしつつのリトの言葉にも、ロッシェは淡々と答える。呆けかけていたルティリスが思い至って勢いよく立ち上がった。


「あの、わたしが洗いますっ」

「大丈夫。君は彼と、話してて」


 柔らかい笑みながらきっぱり断られてしまい、ルティリスはきゅうんと耳をへにゃけさせながらうなずいた。うかがうようにリトを見れば、彼は口元に手を当ててロッシェの動きを観察している。


「割ったらどう責任を取ってくれる?」

「何をさせますか?」

「そうだな。おまえが洗っている間に考えておく」


 にやりと笑ってリトが言い、ロッシェは黙って曖昧に笑った。所在なげに二人を見ていると、リトがルティリスに顔を向ける。


「コーヒーと紅茶、どちらが好きかな。ルティ」

「え、……んと、ミルクティーがいいです」

「了解」


 リトが棚からカップとソーサーを出して準備を始めた。ロッシェがキッチンへ消えたのを見送ってから、ルティリスはこっそりリトに尋ねる。


「ロッシェさん大丈夫でしょうか」


 確かに、鎖が長いので両手は比較的自由に使えるが、長いゆえに食器と鎖がぶつかって邪魔そうだ。足の方も、普通に歩くだけの歩幅はありそうで、でも自分なら足に絡んで転びそうだと思うのだけれど。

 本当は外してあげて欲しいのだが、きっとリトにとってそれはできない相談で、恐らくロッシェもその意図を理解し納得はしているのだろう、けど。


「……無茶だと思うけどね」


 意外にもリトは複雑な表情で、そう呟いた。黒い瞳が動いてキッチンの方を見る。

 水音と、陶器や金属のぶつかる音。数刻聞いて、すぐに紅茶の続きに戻った。


「やっぱり手伝って来ましょうか」

「いや、いいよ。あれだけ言ったんだから、本当に割ったら責任を取らせる」


 くすくす笑いながら答えるリトは、なんだか楽しそうだ。


「責任って……何をさせるんですか」


 割ったら取り返しがつかないような高級な食器はないだろう、とは思いつつも、不穏な発言に不安がつのる。

 ただでさえ巻き込んで大怪我させて帰れない状況に追い込んでしまっているのだから、これ以上つらい目に遭って欲しくはないのだけれど。


「うーん、何をしてもらおうか。彼は、何が出来るのかな」


 それにしても、どうしてリトはこんなに楽しそうなのだろう。


「なんて顔しているんだい、ルティ。ほら、ミルクティーが入ったよ」


 ふわりと柔らかな甘さが鼻腔びくうをくすぐった。

 差し出されたカップに口をつけつつ、ルティリスは上目遣いにリトを見上げる。紅茶は美味しくて心がうきうきするのだが、キッチンの様子が心配で胸が締めつけられる気もして、なんだか気持ちが忙しい。

 リトは再度視線を傾けてキッチンの様子をうかがい、それからルティリスの前に座って頬杖をつき、にこりと笑った。


「心配しなくていいよ、ルティ。彼は、割るつもりだから」

「え、……え?」


 言い間違い、ではなさそうだ。意味が解らなくて目をぱちぱちさせるルティリスに、リトが口を開いて説明を加える。


「俺の出方を試しているんだよ、ロッシェは。ルティ、君は彼を信頼しているようだけれど、俺はまだ奴を信用はできない。それは無論、向こうも同じだろう。……解るかい?」


 思った以上にきちんとした説明だった。感情はともかくそれは納得のできる話だったから、ルティリスは素直に頷く。それを確認し、リトは続ける。


「今、彼は失血に加え精霊獣の魔力で負った傷の後遺症で、思うように動けない状態のはずなんだ。治癒魔法の効果か随分と回復は早いようだけどね。だから奴はまだ無理に逃げようとはせず、俺がどういう人物か知ろうとしているんだよ」


 昨夜のロッシェの話と言い、このリトの考察といい、自分が思っている以上に二人は互いを把握はあくしているらしい。その驚きに、上手いコメントが見つけられない。

 黙って耳を傾けるルティリスに、リトは間を置きながら話を続ける。


「実の所、奴が全快したらあんな鎖程度妨げにはならない。もしも彼が君と鍵を奪って聖地へ行こうと決めたなら、俺一人でそれを止めるのは無理だろうね」


 そう語る黒い瞳に浮かぶのは、不敵な輝き。リトにとっては、その時がタイムリミットなのだろう。

 それまでにロッシェが自分を信用してくれなければ、あるいは自分が彼を信用できないのであれば。その時は強制手段も辞さない、という意志だ。


「どうして、そんな危険を承知でロッシェさんを引き留めておくんですか?」


 今なら聞いても許される気がして、おずおずとルティリスはリトに問い掛ける。リトは気分を害したりはせず、静かに答えた。


「それは俺自身と君を守るためだよ、ルティ。その鍵を使うためには、深い森を進まなくてはいけない。道を探るため森に詳しい君の助けは必須だし、遭遇するであろう野獣や魔物に対処するのに、魔法や弓だけでは限界があるからね」


 その言葉に、やはり彼が本気で精霊を解放しようとしているのだと知る。いや、そもそも『精霊の解放』という目的自体、本当かどうかは解らないのだが。


「ロッシェさんにも、リトさんの目的をちゃんと話してあげてください」

勿論もちろん。彼が起きていても平気そうなら、今日の内に話すつもりだよ」


 そう答えを得て少しだけ安堵する。

 何も知らされないまま無理やり危険な旅に同行させられる、では、あまりに可哀想だ。かといって拒否権がないのも、どうかとは思うが。

 できれば無理やりとか不信を抱えながらとかではなく、お互い信頼しあって一緒に旅ができればいいのだけれども……それはきっと難しいのだろう。

 と、キッチンから謀ったように、ガシャン、と音がした。リトがふっと鼻から息を抜く。


「まだ、何をさせるか決めていないのに」


 カップを両手で抱えたまま固まるルティリスの視界で、ロッシェがキッチンから戻ってきた。その表情に悪びれた様子や恐縮した感じはない。


「すみません、皿が一枚犠牲になりました」

「わざとだろう?」


 リトに問われ黙って笑うロッシェは、確かにそういう顔をしていた。リトがテーブルの上で頬杖をついたまま、ロッシェの方へと瞳を向ける。


「何でもするんだろうな?」

「たかが皿一枚じゃないですか」

「故意犯の癖に何を言ってる。ひとまずそこに座れ」


 目で促して席につかせ、リトはじっと自分を見るロッシェを睨み返す。


「本当は午後も休ませてやろうと思っていたが、気が変わった。おまえには俺の仕事を手伝ってもらう」


 リトの言葉に目をみはったロッシェの雰囲気は、やはりルティリスが見知った彼のものと違っている。

 言葉にできない違和感を抱きつつルティリスは首を傾げた。

 昨日の夜に出会い、割と理不尽な主従の関係を結んで済し崩しに今へと到っているはずなのに、どうしてこの二人、ずっと前からの上司と部下みたいに馴染んでいるのだろう。


「肉体労働はまだ無理ですが」

「そんなことは知っているさ。俺が何をするつもりで、おまえに何をさせるつもりなのかを今から話してやる、という事だ」


 楽しげなリトと対照的に、ロッシェは黙って眉を寄せる。警戒に近い表情の彼を見て、リトの方はますます上機嫌だ。

 席を立ち、扉の方へ行って開けると、振り返る。


「おまえにも地図を見せてやるよ。作戦会議だ」




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