14-2 父対娘


 本能的に追いかけてとっ捕まえたはいいけれど。

 逃げた当人はひと足先に気絶しやがって、自分はうっかり死に掛けたりしたわけで、ちょっと貧血気味でくらくらするのは恐らくそのせいで……頭の中が動かない。


 自分よりずっと背の高い人間族フェルヴァーを担いで足場の悪い崖を登るなんて、腕力にも体力にも運にも恵まれてない自分には無理だ。でも呼びに行ってる間にまた逃げられたら困るし。

 どうしたものか決めかねてロッシェの隣で呆けていたら、複数の足音が近づいてくるのが聞こえて、思わずフリックは垂れ耳をひょこりと動かした。


 向こうから急ぎ足で来たのはゼオとルベル。そのすぐ後にセロアの姿、もっと後方にはアルエスとリンドも見える。結局みんなで追って来たらしい。

 こちらに気づいたルベルが一瞬大きく目を見開いて、焦ったように駆け寄って来た。ゼオはその場に立ち止まってしまったが、セロアが足を速めたのも解った。


「あー……、ルベルちゃんゴメン、ちょっと修羅場ッちゃってさぁ」


 説明のしようがなく、はは、と力なく笑って誤魔化してみる。ルベルははぁはぁと息を弾ませ、力尽きてる二人の間辺りに座り込むと、真剣な瞳でフリックを見上げた。


「フリックくんっ、無事ですか!?」


 背中の裂け目と衣服に染みた血の跡と。経過についてどんなふうに解釈されたか解らないが、普通は驚くだろうし心配するに決まっている。

 申し訳なさとバツの悪さに、うんまぁと濁したら、少女はやにわに昏倒している父親の襟首を両手で掴むと、がくがく揺さぶって大声を上げた。


「パパっ! 寝てないで起きてくださいッ!」

「お、おぃっ、ルベルちゃん乱暴するなって……」


 ずいぶんとひどい誤解が生じている気がする。思わず止めようと手を出し掛けたら、肩を掴まれた。見上げるとセロアが黙って様子を見ているから、フリックも仕方なくそれに従うことにする。

 そうしているうちにリンドとアルエスも追いついて、やはり何も言えずに立ち尽してしまった。


「起きないと……!」


 ウサギの心配を余所に、ルベルは一呼吸を飲み込み、ためらいもなく【覚醒アウェイク】の魔法を唱えた。途端ロッシェの身体がびくりと痙攣し、まぶたがわずかに開かれる。真上から覗き込むルベルを確認し、彼は低く呻いた。


「あぁ……ウサギのバカ。娘に捕まっちゃったじゃないか」

「ぅぇオレっ?」


 責任転嫁に動揺するフリックの隣、ルベルが無言で右手を振り上げた。――ぱん、と乾いた音が響く。ルベルが、父の頬を平手で叩いたのだ。

 ロッシェは驚いたように目を見開くと、ゆるゆると右手を持ち上げ娘の顔に手を触れた。少女の目からは涙があふれていて、それが父の指を濡らしていく。


「パパの、ばかっ……!」

「バカとはなんだいルベル。パパはさっき、無謀ウサギを救出して精根尽き果てちゃったんだから、休ませてくれないと倒れちゃうよ?」


 オレのせいかよッ、と言いたい気持ちを飲み込んで、フリックはとりあえず黙って見ていようと心に決めた。一発殴ってやりたかったけど、ルベルが殴れたンなら自分はまぁいいや、と思う。

 ルベルは襟から手を離し、両手の拳で父の胸を叩いて叫ぶように言った。


「バカバカっ! やっとここまで逢いに来たのに逃げちゃヤダ! フリックくんはパパを足止めするためにカラダ張ってくれたんですッ! だからパパには休む権利なんてないんです!!」

「そうか、あれは作戦だったのか……って誰だい、うちの娘にこんな変な二段論法教え込んだのは」


 細い目を隣にいる大人二人に向け、ロッシェはもう片方の手を上げてルベルの髪に触れた。びくんと肩を震わせて、少女の両手が止まる。


「私ではないですよ。レジオーラ卿」


 セロアがにこにこ笑って言ったので、ロッシェはフリックを見た。


「じゃあウサギだな」

「えぇッ」

「パパ、話そらさないでルベルの目を見てくださいっ!」


 視線が彷徨う父の顔を両手で挟んで強引に自分へ向かせ、ルベルはまたもじわりと涙ぐむ。


 歳相応のいとけなさに、見てるだけの自分さえこんなに胸が痛むんだから、父親ならなおさらのはずだ。なのに笑って誤魔化そうとするなんざ、言語道断。こんなヤツ、娘に泣かれて怒られて、困って途方にくれたらいい。そんだけ大事に想われてンだと思い知って、反省すればいいんだ。

 自分のことは棚上げで心中呟くウサギは、でもやっぱり自分も泣きそうな顔になっていた。


「ルベル、大きくなったね」


 瞳を細めてロッシェが囁く。そして、地に手をついて上半身を無理矢理起こし、両腕で頭を抱え込むようにルベルを抱きしめた。ルベルの細い手が、しがみつくように父の身体を抱き返す。くぐもって漏れる、嗚咽と。

 長い指でゆっくり頭を撫でながら、彼は溜め息混じりに言った。


「僕は大事な娘を、とんでもない大人たちに任せてしまったみたいだなぁ。ルベル、もう十分だから、『ゲート』を通って帰りなさい」

「……やだっ」


 腕の中で頭を振って、ルベルが泣きながら答える。


「パパと一緒じゃなきゃ……、ルベルは帰りませんっ……!」

「我侭言うんじゃないよ。ルベルが我侭言ってるうちに、ウサギ君が死んじゃったらどうするんだい?」


 ダシに使われるのは甚だ不本意だが、身に覚えがあり過ぎて反論できないフリックだ。それでもさすが娘というべきか、ルベルは怯まず言い返す。


「じゃ、パパが守ってあげてください」

「うーん、パパはむしろ巻き込まれて一緒に死んじゃいそうだなぁ」


 こちらもウサギ的には身に覚えのある話だが、ルベルは冗談を返されたと思ったのだろう。怒ったように父を睨み上げ、父は娘の表情に目元を緩めて続けた。


「魔獣の監獄、無法領域と呼ばれる場所なんだよルベル。彼らの技量じゃ絶対的に危険だ。パパは自分の身くらいは守れるけど、全員分の護衛は無理だと思うよ」

「……ゼオくんが、いるもんっ!」


 震える声で強く答え、ルベルは両手の指で父の服を掴んだ。ぱた、ぱたりと膝の上に涙が落ちて、染みを作っていく。


「それならルベルひとり残ればいいです! 皆に帰ってもらえば危険ないもんっ……。逢いに来たなんてルベル嘘つきました……、ホントは、パパと一緒に暮らすために来たんですっ!」


 その台詞は予測の範疇だとでも言わんばかりに、ロッシェは泣きそうに笑んで首を振った。


「本気だとしてもそれは許さないよ、ルベル。……僕のいるここには何も無いし、おまえが暮らしていける場所でもない。ライヴァンにはおまえの居場所があるんだから、そこで待つ人たちにこれ以上心配掛けちゃいけない」

「なにもなくない、……パパがいるもん」


 ぐ、と指に力が込められた。爪を立てるように、噛みつくように、少女はまっすぐ父を見て、強い声で言い募る。


「他のダレも代わりにならないんです! ルベルが一緒にいたいのは世界中でパパだけなんですッ! 代わりじゃダメなのっ、……パパじゃなきゃだめなの!」

「……どうして」


 本気の叫びだった。言葉というより悲鳴に近く訴えられ、半ば茫然としながらかすれる声でロッシェが応じる。ルベルの大きな両眼から、再び涙があふれた。


「だってっ……、もう誰もいないんだもん! ママを憶えてて、ママの想い出を話せるのは、パパだけなの! キレイな想い出なんかじゃなくてっ……ルベルは、パパが憶えてる本当のママのコトが聴きたいの……ッ! パパがいなきゃ、ママも一緒になれないっ! だからっ、ルベルはパパと一緒じゃなきゃ絶対帰らない……!」


 今度こそ、ロッシェが絶句した。永遠にも思える長い沈黙の後、吐き出すような囁きが、落ちる。


「ルベル……、おまえは確かにママの――リィンの娘だ。僕の世界を容赦なく、壊してくれちゃってさ、そんなところまでそっくりだよ。…………参ったなぁ」


 独白めいた呟きはルベルへの答えではなかったけれど、彼の中で何かが変わったのは明白だった。……それが何を意味するのかまでは、まだ解らないとしても。


「とにかく今は少し、休ませてくれないか? まったくあの、ウサギめ……」


 また振られた。恨まれてるのか、むしろ気に入られたのか。やっぱり殴っておけばよかったぜ、とフリックは思ったがイマサラだ。

 そんなことを考えている間に、娘を抱きしめたままの姿勢でロッシェは今度こそ、本当に気を失ってしまったようだった。




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