13-3 これも予言の答えなら


 ぼんやりとした意識で初めに気づいたのは、薪のはぜる音とパンの焼ける匂い。脳髄がじんと痺れるように重かった。確かめるようにてのひらを握って開いてみたら、さらりとした布の感触に気がついた。


「起きたか」


 聞き慣れない幼い声は、聞き覚えのある口調。上と下のまぶたを引き剥がすみたいに気力を振り絞って目を開けたら、小綺麗な部屋に設えられた暖炉の前に、猫みたいな子どもが座っている。


「……れ?」


 あんなに重くてだるかった身体が、今はどこも痛くないし億劫でもない。海水に濡れた服ではなく薄地の部屋着を着せられ、髪も耳も綺麗に洗われていた。

 全然記憶がない上に目覚めたベッドが心地よすぎて、フリックは一瞬、前後不覚のひどく覚束おぼつかない心境に襲われる。


「早速死に掛けてんじゃねー、バカヤロ」


 子どもが振り向かずにぽつんと呟いた。途端一気に記憶が蘇り、フリックはベッドから跳ね起きた。


「ゼ、ゼオかよっ!?」

「悪ィか。起きれるんなら、そっちで朝飯食って来いや」

「う、ぇ、……あぃ」


 どうにも事情を聞ける雰囲気じゃなさそうで、フリックは言われるままに隣の部屋へ向かう。

 起きたばかりの身体は足元が不安定でくらくらしたが、ほぼ全快といって良さそうだ。仕切りを通り抜けざま、不意に思い出してフリックはゼオを振り返った。


「あの、アルちゃんは……?」

「今捜索の真っ最中だ」


 重苦しく返って来た答えに、それ以上何も聞くことができず。仕方なく、フリックはベッドルームを後にした。





「あっ、フリック目が覚めたか!」

「お、おぅ、オハヨー姫ちゃん」


 リンドの声は今日も快活で、フリックはどんな顔で返したらいいか掴めず、中途半端な笑顔で片手を挙げた。そうしているうちに軽い足音が駆けてきて、簡易キッチンの方からルベルが顔を出す。


「フリックくん! もうどこも痛くないですかっ」

「オレはもう全然バッチリだぜ! ルベルちゃんこそ無事で良かったよマジでさ……」


 極力明るく言おうとしたのに、やっぱり無理だった。なんとも言えない気分に陥りつつ、フリックは、ゴメンな、と消え入るような声で付け加えた。

 リンドがなんだか泣きそうな顔で首を振る。


「どうして謝るんだ、フリック。大丈夫だから、そんな顔するな」

「……けど」


 意識がはっきりして真っ先に蘇ったのは、どうしようもない無力感と罪悪感。ムルゲアと逢ったことも、父の夢を見たことも、闇色の聖域に匿われたことも、ぼんやり霞がかかって現実味が薄いけれど。

 この場にアルエスがいない事実は、すべてが現実だったと知らしめている。自分は、彼女らに助けられただけでなく足手まといになって、ゼオと合流するまで守ってやることもできなかった。それが情けなくて、申し訳なくて。

 軽口をたたく元気も出せず、フリックは無言で視線を落とす。


「フリックくん」


 痛いほどの沈黙の中、ルベルがそっと呼び掛けた。


「たとえば、何もかもがうまくいかなかったら、フリックくんは、一緒に来なきゃよかったって思いますか」

「――え?」


 問い掛けの意味が解らず、でも、じぃっと自分を見る少女の双眸に何かを答えなきゃいけない気がして、フリックは言葉を探す。


「いや、悔しいとは思うけど、来なきゃ良かったとは思わねーかな」


 誰かに強制されたわけではない。自分自身が、一緒に来て、助けになりたかったのだ。それに、ルベルの父を見つけ出して殴ってやるという決意は、今もこっそり胸中に隠してある。

 たとえ願い叶わず旅の途上で命を落とすことになったとしても、一緒に来たことを後悔なんてしないだろう。それは死に掛けていた間も思ったことだし、まして自分以外の誰かを責める気持ちなど起きるはずがない。


「それなら、うまくいかなかったコトの責任さがしは禁止です」


 ひどく真剣な瞳で、少女がそう言いきった。何のことか咄嗟に掴めず、フリックは目を丸くしてルベルを見る。


「それに、まだわかんないだけだもん」


 一瞬だけ泣きそうに表情を歪め、少女はそう言い残してゼオのいた部屋の方へ走っていってしまった。

 慌てて追いかけようとするも、肩をリンドに掴まれ止められる。


「祈るしかないって、こういう気持ちなんだな」


 静かで悔しげな呟きが、リンドの口からぽつんと落ちた。


「ゼオの時もアルエスの時も、危険は解っていたのに何もできなかった。どうしていいか解らなかったし、力も及ばなかった。今さらこうすれば良かった……なんて思ったって、どうせ戻れない。待つしかない、祈るしかないって、案外と苦しいんだな」


 うん、と言葉少なに返して、フリックはくしゃくしゃと自分の髪をかき回す。


「……責任探し、かぁ」


 そんなつもりはなかったけれど、そうかもしれない、と思う。こういう時、責めるべき相手がいるのは楽だからだ、……それが自分ならなおのこと。

 こんな想いを胸に閉じ込めてたって、事態が好転するわけじゃないのに。そんなことは十分承知で、なのにどうしようもなく胸に満ちる罪悪感を吹き飛ばすこともできず、フリックは情けなさに唇を噛んだ。


 いつの間にか傍に居るのに慣れて当たり前になってた存在が、永久に失われてしまう可能性――、それがとてつもなく怖い。


「私は、役に立ててるのかな」


 ネガティブの泥沼に囚われかけていたら、不意にリンドが隣で言った。え、と思わず聞き返すと、彼女の蒼い双眸に視線がぶつかる。今にも泣き出しそうなその表情に、フリックは慌てた。


「もちろんだって! そもそも姫ちゃんいなかったら、ここまで来れてないじゃん?」

「本当に、そうなんだろうか。むしろ私は、みんなの足を引っ張ってるんじゃないか?」


 その問いは、フリックに訊いているというより彼女自身の内側に向けられたものだ。それに気づいて、フリックはなんだか呆然としてしまう。

 おんなじ、なのかもしれない。唐突に、そんなことを思った。


 心配な気持ちも無力感も後悔も、皆それぞれが抱えていて、最悪な想像や不安と懸命に闘っているのだ。そんなあたりまえのことを今まで考えたことがなかったことに、さらに呆然とする自分がいた。

 絵織物を構成する糸のごとく――そう言ったのは確か、白き賢者。おまえが同行しなければ娘の願いは叶わない、その台詞が慰めるための言い繕いでないのだとしたら。

 みんな、同じなんだ。


「姫ちゃん。意外にさ、ダメ込みで必須アイテム、なんつってあははは」


 んなワケあるかと笑い飛ばしてくれたら幸いとか思ったのに、それを聞いたリンドは大真面目な表情で目を見開いて、しげしげとフリックを見た。


「おまえは凄いな、フリック」

「え、ぇ? いやスゲーとかありえねーからッ」

「いや、そういう前向きさは凄いと思うぞ」


 ゼオやセロアならともかく、リンドがお世辞や嫌味を使えないことくらい、短い期間とはいえ一緒に旅していれば解ってもくる。どこがツボだったのか見当もつかないが、そんなまっすぐに感動されると、照れくさくてどう相対していいか解らなくなってしまう。

 背に冷や汗を感じつつ意味もなく一歩後退った、途端。足に何かがぶつかって、バランスを崩したフリックは、その何かの上に勢いよく尻餅をついてしまった。


「……おぃコラウサギ、邪魔だどけテメ」

「ゼ、ゼオ!? うわーごめっ」


 どうやらこちらの部屋に入ろうとしていたゼオを下敷きにしてしまったらしく、背中の下から幼い声で恨み言が聞こえる。ちびっこくて見えなかったという言い訳は通用しないだろうか。

 慌てて起き上がってどけたら、リンドが飛んできた。


「フリック、ゼオ、大丈夫かッ」

「物理ダメ受けねェんだから平気だってーの」


 抱き上げようと伸ばされたリンドの腕をかいくぐって逃れ、ゼオは椅子を伝ってテーブルによじ登ると、警戒する猫のように髪の毛を逆立てた。


「子ども扱いすンじゃね! で、セロアはどこだ」


 ゼオの呼び方が〝隠居〟から名前に変わっているのにフリックは気づいたが、なんとなく突っ込める雰囲気でもない。あとでコトの顛末を聞いてみようと好奇心を胸に収め、リンドに視線を移す。

 そういえば、目が覚めてからセロアを見ていなかった。


「支払いを済ませて来ると言って出て行ったんだが、遅いな」

「え、一人で大丈夫なのかよ」


 リンドの言葉に思わずフリックが声を上げたが、ゼオはふぅんと事もなげに応じて、言った。


「アイツは幸運属性な腹黒だから、大丈夫だろ。それより、アルエスの無事確認したぜ」

「マジでっ」

「本当か! でかしたゼオ!」


 なにやら不穏発言が耳を過ぎった気はするが、後の報せはそれより衝撃的だった。フリックとリンドの表情が一気に明るくなるが、ゼオは眉を寄せて腕を組む。


「ただ、オレの魔力も回復しきってねーし、向こうが水属で相性悪くて、場所の特定まではできなかったんだよ。あと半日もすれば、かなり精度が違うんだけどな」

「あっ、セロアさんおかえりですっ」


 扉が静かに開いてセロアが入ってきたのを目ざとく見つけ、仕切りの傍にいたルベルが声を上げた。ゼオもつられてそちらに視線を巡らせる。




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