12-4 つかめない心


 彼の取った部屋がどれほどの値段かは知らなかったが、意外にもライヴァンで泊まった宿より備えが良く、アルエスは所在なく立ち尽くしていた。

 氷月はなにやら窓と扉を確かめていたが、それが終わっても固まったまま動く様子のない彼女に、とうとう呆れたような声を掛ける。


「ベッドでも椅子でも好きな場所で寛ぎたまえよ。ちなみにベッドは奥、ダブルだから一つしかないけどね」


 さらりと告げられた衝撃の事実に思わず振り返ったら、氷月は備え付けのかまどに火を入れ、ヤカンを掛けていた。


「食べれないものある?」

「え、……っと、魚とか肉とか」

「菜食主義?」


 即座に返ってきた問いは、答えを期待するものではなかったらしい。テーブルの上で手際よくパンを切り分け、それを炙って皿に置く彼を見ながら、アルエスはやっぱり動けず立ち竦んでいた。


「怖い?」


 低く、揶揄するような声音で尋ね掛けられ、どきりと胸をつかれて視線を落とす。

 椅子を引く音と足音が木床を擦り、傍まで来た氷月がアルエスの前にしゃがみ込んで、彼女を見上げた。


「大丈夫、心配ないさ。僕も一緒に連れを捜してあげるから、今日はしっかり食べて、ゆっくり眠りなさい。いいね?」


 どうしてこんな瞬間だけ、彼は〝父親〟になるのだろう。

 胸を疼かせる不安も焦燥も吐き出せないからもどかしい。沈黙を貫くシィも、心とかみ合わぬ彼の優しさも、この言葉に出来ない息苦しさの一因なはずなのに。

 甘えたいと思ってしまう自分に不意に気がつき、慄然りつぜんとしてアルエスはその思考を振り払う。


「はい」


 心なし硬くなってしまった声に気がついたのかどうか。彼は立ち上がり、テーブルを示した。


「食べてしまいなよ。僕は風呂とベッドを準備してくるから」


 そう言って仕切りの向こうに消えた氷月の、それは気遣いなのかもしれなかった。

 事情を知らない彼からすれば、この無法島で同行者とはぐれてしまった上、得体の知れない暗殺者アサシンの男と狭い部屋で二人きり、しかも寝食を共にするという現状に、怯えていると見えたのだろう。

 確かに不安がないとは言わないけれど、心のどこかで信頼しているのも事実だった。それだって根拠の曖昧な感覚だが、少なくとも彼自身が怖いわけじゃない。


(……ナニぐるぐるしてるんだろ、ボク)


 いくら考えたって仕方のないことだ。

 出口の見えない迷路に彷徨いかけた思考を引き戻し、アルエスは椅子に座る。皿にのったパンにポテトサラダを適当に挟んで、飲み込むように食べてたら、不意にぱしゃりという水音。


『アル、早食いすると喉に詰まるシィ』

「……っ!?」


 思わずシィ、と呼びかけようとしたら、カタマリが喉を塞いで声が出ない。慌ててミルクで流し込み、乱れた息の下アルエスは目の前に浮かぶ水精を凝視した。


「い、……っ今までどうしてたのッ」

『彼の傍はヘンな負荷がかかるシィ。なんか引きずられるっていうか……上手く説明できないシィ』

「彼ってヒヅキさん?」


 シィは同意するようにくるりと回転し、ぱしゃりと姿を消した。


『たぶんゼオの方が僕より説明上手いシィ。害意は感じないから大丈夫シィ……』

(虎のお兄ちゃん無事なの?)


 心話に切り替え、アルエスは聞き返す。たぶん声に出さない方がいいのだろう。シィは言葉を探してかしばらく沈黙し、自信なさげに返してきた。


『炎の中からそんな気配がしたんだケド、場所わかんないシィ』


 なるほど、かまどの火からか。恐らく魔力が弱まって、気配が弱くなっているのだろう。それでも無事に陸上にいると解っただけで、今は十分だった。

 ゼオさえ回復すれば、気配を辿ることも炎を通して会話することもできる。時間は必要だけど、それまで自分が氷月の傍を離れなければ、確実に再会できるわけで――。


(それじゃきっと、もう少しで虎のお兄ちゃん迎えに来てくれるよ。それまで、勘付かれないようにしなきゃ)

『アルはドジだから気をつけるシィ』


 厳粛な気分に水を差すヒトコトを言い置いて、シィの気配は再び奥へと消えた。あまりにナイスなタイミングに反論し損ない、アルエスは無言でパンを握りつぶす。


(気をつけてるよっ)


 そりゃ確かに、いささか裏目に出ている自覚はあるが。

 と、言うか。もう全部見抜かれてるんじゃないかという不安があるのも、嘘じゃないけど。でもこれだって、今考えても仕方ないことだ。


 逃がさないようにしなきゃ。心中で決意を固め、アルエスはパンの残りを口の中に押し込んだ。じっくり味わう余裕もなかったが、とりあえず人心地ついた気はする。

 氷月はまだ戻らない。自分に遠慮してるのかもと思い、アルエスは立ち上がって仕切りの向こうを覗き込んだ。


「ヒヅキさ……」


 発しかけた声が途中で途切れる。視界に飛び込んで来た現実に頭が真っ白になって、アルエスは思わず叫んでいた。


「二人部屋……は仕方ないケドっ、本当にダブルってなんでですかー!」


 一人用よりほんの少し幅が広いだけのベッドが、この宿で言うダブルらしい。そこに座って広報誌を読んでいた氷月が、彼女の大声に瞳を上げる。


「だから、そう言ってるじゃないか初めから」


 それはそうだが、これはどう見たって一人分のスペースしかない。人間ひととして怖くないのと異性として意識しないのとは、イコールじゃないわけで。

 非難がましい視線を送るアルエスに、氷月はからりと笑って言った。


「接触していないと、魔法で干渉された時に解らないだろ? 大丈夫だよ、優しくしてあげるから」

「はぃぃ!?」

「本当に面白いなぁ。過剰反応しすぎだね」


 うろたえるこちらを完全にからかってる。怒りのあまり絶句して肩を震わせるアルエスをよそに、彼は立ち上がり、棚から部屋着を取って差し出した。


「風呂に入って来るといいよ。今着ている服は、後で洗っておいてあげるから。君にも言い分あるのは十分に承知だけどね、ここは大陸の常識じゃ生きていけない所だから、素直に聞いてくれると面倒がなくて助かるな」


 アルエスは無言でそれを受け取り、氷月を睨み上げた。

 本当に言いたいことはたくさんある。でも、彼は意地悪だが親切だ。信用できないけれど、助けてくれた。そしてルベルの捜し人だ。


「ハイ、わかりましたっ」


 ちょっと投げやり気味に答えたら、彼は懐っこくにこりと笑んだ。




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