7-2 天よりの宝物


 単刀直入なセロアの切り出しに、一瞬空気が張り詰める。フリックは落ち着かないのか、無言のまま窺うように隣へ視線を向けた。イアルゥが首を傾げる。


「ナティと何かあったのですか?」

「そうだな。とにかく、話してごらん」


 サイヴァに促され、セロアは穏やかながらも緊張の込められた声で話を続けた。


「五年ほど前、ライヴァン帝国内で大きな事件がありました。その最中、ひとりの男が監獄島へ渡り、効力を保った旅渡券を所持したままその地で失踪しました。私たちは今、彼の娘とともにかの地へ赴く手段を探っています。――娘を、父親に会わせるために」


 老いた建国王はセロアの話を聞きながら、眉間に困惑のしわを寄せる。彼も過去には王族だった者であり、それゆえ監獄島についての知識を持っていた。


「失踪は彼の意志だったのかね?」

「そのようです」


 セロアは頷き、続ける。


「ライヴァンの『ゲート』は封じられたと同じ状態で、使えません。ですから私たちはティスティルの女王陛下に、券発行と『ゲート』の使用許可をいただければと考えました。ですが、貴国の『ゲート』は既に無く、券発行も不可とのお言葉をいただきまして」


 サイヴァは苦い顔で笑い、カップをテーブルに置いた。


「私が壊してしまったからね、『ゲート』は。他に『ゲート』を所有する国は、空大陸でシーセスと地大陸のゼルスくらいしか知らないな」

「はい。どちらも〝裏帝国闇ギルド〟の力が強い国ですから、今のライヴァンの不安定な政情を考えましても、私としては隣国で関係の友好なティスティルに協力を求めたいんですよ」


 まっすぐ視線を向けられ、サイヴァは目元にしわを刻んで表情を緩める。


「なるほど。それで君たちは、私にどうして欲しいと?」

「理由を伺うつもりでした。女王陛下がなぜあれほど頑なに、監獄島との関わりを拒むのか、を」


 そう言いながらも、緑玉の双眸には強い確信が宿っている。それを見て取ってサイヴァは再び苦く笑った。


「もう理解したって顔だね」


 セロアは頷き、そして穏やかに笑った。


「黒曜姫様はあなたに非難が向くのが嫌なんですね。旅渡券を発行することが、建国の際に失われた『ゲート』の必要性について論争を引き起こす切っ掛けになりはしないか、と危惧しておられるのでしょう」


 否定も肯定もせず、老齢の建国王は曖昧な笑みを刻んで溜息を吐き出した。


「君も、愚かだと思うかい?」


 問われた賢者は否定の意味に首を振る。


「いいえ。あの場所は、人の運命を狂わせますから。あなたの決断が国としてあの島へ関わる事への抑止力として働いている現状、私はそれを英断と捉えています」


 媚びへつらいではなく、それはセロアの本心だ。ルベルも、ライヴァン帝国が監獄島と関わらなければ、こんなふうに人生を揺さぶられることはなかっただろう。


「ですが、狂ってしまった運命は正すべきだと私は思うんですよ。この件が個人の力の及ぶ範疇を超えているのは解っています。だからといって手をこまねいたままで状況が動くとも、考えられません」


 サイヴァは黙って目を伏せ、考え込んでいるようだった。イアルゥはその隣に座って静かに成り行きを見守っている。

 会話を落ち着かなげに聞いていたフリックが、やにわに立ち上がった。


「これも何かの縁だしさっ、ご老公サマ。姫さんに旅渡券発行してあげなーって説得してくださいよ。姫さんてばどーやらじぃちゃんっ子ぽいオレ的推理、どうよ?」


 軽い口調ながら直球な頼みに、サイヴァは目を丸くして彼を見返した。


「ダイレクトに来たなぁ」

「へへっ。だってさー、自国で使う気ねえんだったら、ちょっとくらい別件で塞がってたって困らなくね?」

「そうですよね。券発行に伴う不利益なんて、再発行できないくらいなものですし。使用予定がこの先ずっと無いなら、問題なさそうですね」


 隣で大いに納得する賢者と立ったままのウサギを交互に見て、イアルゥがぷっと吹き出した。サイヴァは眉尻を下げて白い髪を掻き回す。


「だがねぇ君たち。ティスティルには直通の『ゲート』がないから、渡航の手段は船だけだよ。その途上で何かあれば、やっぱり問題になるだろうしなぁ」

「心配しすぎだってっ。旅人が、船沈むかもとか盗賊に襲われるかもとか、出掛ける前から心配したってキリねーじゃん?」


 微妙に論点のずれた会話が可笑しかったのか、イアルゥがとうとう声を上げて笑い出した。セロアは困ったように視線を傾け、ウサギの腕を引いてソファに座り直させる。


「懸念なさっている事は理解しているつもりです。確実なことは何も言えませんし、けれど、だからこそ、一刻も早く渡島の手段を手に入れたいのですよ。彼女の父や、あるいは私たちに、明日何が起きるかなど解りませんからね」


 言葉は穏やかでも賢者の双眸に揺るぎはない。その真剣さは確かに、人の心に訴えかける力を持っている。


「もう少し待てば戻って来るってことはないのかい? 旅渡券を所持しているなら、ライヴァンの『ゲート』を通っていつでも帰還できるだろう?」


 サイヴァの声音は優しくて、彼が本当に黒曜姫やルベルを心配しているのが解った。セロアはその気遣いをありがたく思うと同時に、もしそうであったならどれだけ良かっただろうと思う。


「あの子は、五年待ちました。ただ待っていたのではなく、旅に必要な物資を調べ、自分のできる範囲でそれを用意し、地図を手に入れ、魔法を覚えて、自分の足で旅立ちました。その本気を、私なんかが止められるはずないですよ。それに」


 指を組み合わせ目を閉じる。思い出すのは、出逢いの時に自分を見上げた幼い瞳と、願うように呟いたルウィーニの表情かお。深く息を吐き出して、答える。


「私自身は彼女の父と面識がありません。ですが、父を誰より良く知る娘は待つのではなく会いに行くことを選び、父親から娘を託された保護者はその決意を止めなかった、――つまり、そうでもしなければ彼は戻ってこないのだと、関係者すべて、っているのでしょうね」

「止めても聞かねーだろし? それならいっそ、協力してやりてーのがヒトのナサケってヤツだと思うぜ?」


 サイヴァは二人を交互に見遣り、くすりと笑った。


「なんだか君らの方が、孫を見守るお爺ちゃんみたいだぞ」

「そうですね、隠居ですからね」


 にこにこと同意するセロアをフリックは胡乱げに見たが、ツッコミは控えたらしかった。イアルゥもふふっと笑う。


「セロアさん、あなたにとってその娘さんはどういう存在なの?」


 彼女は『運命の人』発言については知らないし、別段他意はない質問だ。そして賢者はそれに、目を細めて囁くように答えた。


「そうですね。とても大切な授かりもの――、天より託された尊い宝、でしょうか」


 ひどく愛おしげな声音だった。これにはフリックもびっくりして、二度見したセロアの表情に父親を重ねてしまったほどだった。

 老人が孫を慈しむような、とでも言うのだろうか。片や老齢の建国王はそれに深く頷き、同調するように溜息をつく。


「そうかい。……ナティはあれで結構ガンコだからなぁ、私なんかが言ってどれほど効果があるかも解らんけどね」


 孫自慢を語り合う爺さん二人に挟まれているような錯覚を覚えつつも、一応は空気を読んで口をつぐんでおく。

 サイヴァがイアルゥに目配せし、彼女はそれに応じて口を開いた。


「それじゃ私、明日、城の方へ出向いてみますね。それでいいかしら、お父さん」

「ああ、そうしてくれるかイア。――あ、いやちょっと待て」


 同意しかけて不意に、サイヴァは何かを思い出したように声を上げる。


「セロア君。もしかして今王城に、カミル様が来ていたりするかい……?」

「ええ、いらっしゃいますね」


 肯定を聞いて、イアルゥの表情が途端、困った風になった。


「あら、困ったわ。それならお父さんが行きますか?」

「うーん……、行くか。だがなぁ、うーん……」


 高齢から来る気の重さばかりとは思えない、意味深な迷いの中には、もしかして因縁めいた何かがあるのだろうか。幾ばくかの不安とともに答えを待つこと数刻、やがてサイヴァは溜息と共に二人に言った。


「まぁ、とにかく今日すぐってもいかないからね。明日、城の方へ行ってみることにするよ。それでいいかい?」

「うっわぁご老公サマ、カッコイイ!」


 彼なりの賛辞なのか素っ頓狂な声を上げて手を叩くフリックの隣で、セロアもにこりと嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます、サイヴァ殿」

「行くとは言っても、役に立てるかは……。あまり期待しないでくださいな」


 イアルゥがそう言って微笑み、サイヴァも同意するように頷いた。だがセロアは目を伏せ静かに首を振る。


「いえ、感謝させてください。今のあの子には、一人でも多くの理解者が必要なんです」


 一人でも多く、少女の願いが叶うようにと願う想いが。――幸運を引き寄せる。

 建国王と呼ばれる老人は、傍らの娘と視線を交わし、そして頷いた。その後二人は礼を言って森の中の庵を後にし、王宮への帰途に着いたのだった。




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