6-4 末姫の決意


「セロアさん、どうしたんだろうねー」


 リンドが中庭の池には色鮮やかな魚がいるという話をして、アルエスが見てみたいと言い、ルベルも絵を描いてみたいと言うので、三人は一緒に中庭の池に来ていた。

 池の縁で水面をつつくシィと一緒に魚を眺めながら、アルエスが心配そうに呟く。リンドが眉を寄せて言った。


「寝汗がひどかったようだが、熱はなかったらしい。緊張のせいか悪夢を見たと言っていたが……、心配だな」

「うなされてたです。寝言は言ってなかったから、どんな夢かは解りません。聞いても教えてくれません……。だけど絶対、あれは悪夢でした!」


 少女は言って、大きな瞳でリンドを見上げた。


「悪夢の呪いとか、ユウレイにとり憑かれたとかだったら、どうしよう……」

「そういえば、そういう呪いもあるねー。シィはなんか気づかなかった?」


 答えに詰まって立ち尽くすリンドの横に、アルエスが来た。シィはぴゅっと水を吹いて答える。


『炎のニオイがしたシィ。でも、呪いの気配じゃなかったシィ』

「そっかぁ。……火事の夢でも見たのかなぁ」


 何気なく呟いたアルエスの言葉に、リンドが目を輝かせた。


「そうか! 火事の夢だったからひどく汗をかいたのだなっ」


 ルベルは目を丸くして二人を見、首を傾げて考え込んでしまった。


「……ま、セロアさんは学者さんだし、ボクらより詳しそうだから、呪いとかならちゃんと対応するんじゃないかなぁ」


 アルエスの言葉を結論に、三人の興味は再び池の魚の方へ。

 小さなスケッチブックを広げ、池の中を閃くように泳ぐ魚を描いているルベルの隣、リンドはピクニックよろしくリンゴを剥いて皿に乗せてゆく。


「ルベルちゃん、絵上手なんだねー」


 リンゴをかじりながら、アルエスが隣に腰を下ろして覗き込んだ。ルベルはにこにこと、他のページも開いてみせる。


「ルベルはまだまだです。たくさん練習して、パパみたいに上手になるんです」

「ルベルの父さまは絵が上手なのか?」


 美しいものが好きなリンドは、絵画を見るのも好きだ。興味を引かれて尋ねる彼女にルベルは、はいっと答えてスケッチブックの間から一枚の紙を取り出した。


「これ、パパの絵です」


 リンドとアルエス、それぞれが覗き込んで目を瞠る。それは木炭で描かれた若い男の似顔絵だった。ラフでありながら、緻密で繊細な。自画像だろうか。


「――彩色された絵も見てみたいな」


 ぽつんとリンドが呟いた。アルエスはしげしげと絵を眺める。


「ルベルちゃんのお父さんって、今何歳なの?」


 絵の姿はずいぶん若い。きっと失踪する前に描いたものだろうから、五年以上は経っている。ルベルは指を折って数えながら、答えた。


「今は三十六歳です」

「そなんだ」


 そのくらいなら、極端な変化もないだろう。この似顔絵で捜すにしても、それほど当人と剥離してはいなさそうだ。


「ところでルベル、バイファル島にはセロアと二人だけで行くのか?」


 リンドが思い出したように言った。ルベルは大きな目で彼女を見上げ、頷く。


「はい、セロアさんとゼオくんです。フリックくんも来てくれるかも……」

「セロアにゼオに、フリック……? なんだ、男ばかりじゃないか!」


 何を思ったかリンドがいきなり立ち上がったので、アルエスとルベルはそれをきょとんと見上げた。


「ルベルは立派なレディなのにそれでは困るだろう!? 年頃の娘には、男に聞けぬこともたくさんあるというのに……! よし、決めた! アルエス、私たちもルベルの旅に同行しようじゃないかっ」

「ええっ?」


 突然振られて面食らうアルエスと、目を丸くするルベル。

 リンドの蒼い目はきらきらと輝いていて、使命感だけでなく好奇心も満載なのは一目瞭然。茫然とした沈黙から先に立ち直ったのはアルエスだ。


「でも、ルベルちゃんは迷惑じゃない?」

「あっそうだな、ルベルが迷惑なら無理を言ってはいけないな! すまない」


 心配そうに覗き込むアルエスと慌てるリンドを交互に見て、ルベルは照れたように笑った。


「んと、ぜんぜん迷惑じゃなくて、嬉しいです。……けど、バイファルは危険なところだから来ちゃダメです。リンドちゃんだってきっと、女王さまにオッケーもらえません」


 そんなことは、――思わず言いかけて、リンドは口をつぐむ。

 彼女とてバイファルの特異性を知らないわけではない。それなのに今ここで宣言してしまうのは、軽々しいことに思えた。


「よし、それじゃあ私は姫さまと父さまたちに、ちゃんと許可をもらってくる! その上で改めてこの話をしよう!」


 アルエスはまだきょとんとしていたが、ルベルはそれを聞いて大きく目を見開き、次いで嬉しそうに笑った。


「はい、了解です」




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