6-3 世界が彼女に敵しても


 炎帝がレジオーラ家を系図上から抹殺まっさつしたかった理由。気づいてしまえば、何と単純な理由だろう。


「レジオーラ卿は、フェトゥース国王の母違いの兄、……でしたね」


 彼自身がひた隠しにしていたこの事実は、ライヴァン王宮関係者の中でもほんの一部の者しか知らない。ルベル自身も知らず、セロアはこの旅が始まって間もなくルウィーニから手紙でこの事実を知らされた。

 知った時に意外とも思わなかったせいか、ほとんど忘れていたと言ってもいい。その事実と、炎の夢が不意に、つながったのだ。


「炎帝は、彼と彼女の関係……そして彼女の懐妊かいにんを、知っていたのですね」


 はっとしたように、ゼオが顔を上げる。カミルは薄く笑んだまま目を伏せた。


「ルヴェリエリウはレジオーラ家にとって滅びの種だった、という事だ」


 途端、いきなり立ち上がったゼオがカミルの襟をつかみ、紅い双眸に射竦いすくめられて動きを凍らせた。積み上げられていた本が数冊、床に落ちてほこりを舞い上げる。


「てめぇに、何の権利が……ッ!」

「私は事実を述べただけだ、ゼオ」


 ちりりと埃をく、熱気と、背筋が粟立あわだつ冷たい、殺気。張りつめた緊迫感に、セロアは金縛りにったように動けなかった。


「存在そのものが罪悪だったのだよ、あの娘は。だから父親は事実を自らの胸に封印し、娘の罪を引き受けてバイファルに行ったのだ。 その覚悟を打ち砕くということは、娘に、己の存在の罪を自覚させることに他ならない」

「……やめろ、てめ、……っ」


 名を持つ破壊特化の精霊をすら威圧する、白き賢者の魔性の瞳。その底知れぬ存在力を目の当たりにして、普通の人族が平常心を保てるはずがない。

 意志力を総動員して、セロアは目をつむった。それでさえ皮膚を通して感じる魔力の圧に、心臓が冷えるような怖気おぞけを感じる。


「はっきり言おうか。炎帝が恐れたのは、ロッシェの子を宿したレジオーラ家が宮廷内で力を持つことだ。凡才のフェトゥースに父を排する覇気はないが、ロッシェは母に似て賢い若者だった。炎帝はレジオーラの娘が彼をそそのかし、自分に牙を向けさせるこを恐れた。だからこそロッシェにかの家の虐殺ぎゃくさつを命じたのだ。彼が他者に想いを向けることはゆるされざる罪悪だと思い知らせるために」

「てめっ! 黙れッ」


 淡々と語るカミルと、声を荒げるゼオ。傍らでセロアは目を伏せたまま思考を巡らせる。


「だが、人の心は計算通りに動かぬものだ。ルヴェリエリウはレジオーラ家に滅びを招いたが、〝殺戮さつりく人形〟を〝人間ひと〟へと変じる奇跡を起こした。ロッシェは炎帝を殺し、無能なフェトゥースは無能なゆえに、炎帝が追放した稀代きだい傑物けつぶつをライヴァンへ連れ戻した。――皮肉なものだ。レジオーラの滅びの種は、ライヴァン帝国を戦争と、それがもたらすであろう崩壊から救ったのだからな」


 セロアは黙って目を開き彼を見る。血色の双眸に映っていた魔性の光はすでに無く、彼は穏やかに笑んで灼虎の手を振りほどいた。


「人であろうと国であろうと、私のものを脅かす相手は容赦なく消すよ。私は」


 ふっと殺気が霧散する。ゼオが崩れるように座り込み、セロアは柔らかく微笑んだ。


「私は、ルベルちゃんを守ります。どんな真実を突きつけられても、私はあの子の味方です。――そういうこと、なんですね?」

「性悪ヤロウてめ、その回りくどい論法いい加減やめやがれ」


 ゼオはさとい。精霊特有の感情への感応力以上に、精霊には珍しい洞察力を持っている。唸るような言い方は相変わらずだが、彼も悟ったのだろう。

 ――白き賢者の言葉は、流血の過去を負ったあの父娘おやこに対し向けられるであろう、未来の悪意の代弁だ。

 カミルは乱れた襟を直しながら続ける。


「守秘能力に絶対などない。いくら黙秘を固く決意していたとしても、記憶を拾う手段は幾らでもある。スーシアのような特殊能力、あるいは魔法、薬など。本当に事実を隠し通すには、その記憶を持つ者を消し、精霊を黙らせるしかない。あの男は賢い。意図的か無意識か知らぬが、それを実行したのだからな」


 セロアは黙って白い魔族ジェマを見た。精霊が口を閉ざすという、館の過去。恐らく精霊王に匹敵ひってきするであろう存在力を持つこの大賢者は、精霊たちの口を割らせることができたのだろうか。


「あなたにも解らないのですか」


 静かに問うたら、彼は薄く笑んだまま、今度ははっきり頷いた。


「あの男は精霊に相当深く愛されている。彼と精霊たちの間には一種の契約関係が存在し、それをくつがえすことは私の術式をもってさえできない。……ゼオを見るに、無意識のうちに成立したのだろうがな」

「……ナニ?」


 怪訝けげんそうに顔を上げるゼオを見、カミルは説明を加えた。


「おまえは心の根底で、真実を知らせたいと願っている。それに感応できたのは、精霊王の魔力を内包ないほうするスーシアだったからこそ、だ。おまえたち精霊は無自覚のまま、あの男の願いに感応しているのだよ。だからこそ、話せないし、逢わせたくない。そしてそう強く思う理由をおまえたち自身も、知らない」


 ゼオのきんいろの猫目が驚きにみはられる。言葉を失うセロアに視線を向け、カミルは穏やかに笑った。


「おまえにも言ってやろうか、セロア=フォンルージュ。どんな無謀にも、理由があると同じく。どんな決意にも、理由はあるものだ。それに、シェルシャの言葉を考え併せてみると良いだろうよ」

「……解りました」


 明確に意味が解ったわけではなかった。たとえて言うなら、剣を手渡された――そんな感覚。

 この曲者くせものの賢者が与えた、過去と未来の断片。それを正しく配列し、道を見定め、方法を選ばなければ、すべてが崩壊することもあり得るのだという、そんな重圧。


 ――けれど。

 あきらめるつもりは、ない。答えはまだ解らなかったが、セロアの中ではその時ひとつの決意が固まっていた。




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