10.婚礼式典

[10]英雄王へ「おめでとう」を(本編最終話)


 ライヴァンでは近々、国王の婚礼式典が行われる。

 狂王との対決を果たし、暗殺の企みを阻止して、主要港に領主を任命してから――実に十二年後のことだ。


 フェトゥース国王の妻となる女性は、インディア=リーシッタ。由緒正しい家柄ではあるが、貴族令嬢ではない彼女との婚約は、身分違いをはじめ数多くの障害があったらしい。

 海賊や狂王や《闇の竜》によって荒らされた国内の治安を回復し、隣国との外交を回復させ、信頼のおける人材を集め育成し。ここに漕ぎ着けるまでに要した十二年を、長いと見るか短いと見るかは、人それぞれだろう。


 婚礼式典には、他国からの来賓らいひんや式典目当ての旅行客など、多くの来訪が予想される。つまり、主要港シルヴァンも大いに賑わうというわけだ。それに乗じて海賊や盗賊が暴れる可能性を考慮し、湾岸全域と港町には最重要警戒体制が敷かれているのだ。


 ラディンは今、港湾警備隊の隊長と自警団の団長を兼任している。

 式典を取り仕切るのは父ルウィーニなので、ラディンは主要港の警備取りまとめをしつつ、暖炉ゼオを通じて父と連携をとる予定――だったのだが。前日の夜に、よりによって母エティアローゼとゼオが揉め、いつかの時のように光魔法を食らわせられて幼体化してしまったのだった。

 季節はもう寒くないのだが、ゼオの魔力回復のため詰所の待合室にある薪ストーブに火を入れて、子供姿の虎精霊は拗ねた表情で座り込んでいる。ルウィーニとの通信には幼体でも支障はないらしく、そのことでもますます不満を募らせているようだ。


「……ラディンは、あのヘタレ国王の結婚なんか素直に祝えるのかよ」

「うん?」


 報告書を書いていたら、唐突にゼオが尋ねた。視線を向けてみても、こちらを振り返るつもりはないのだろう。

 ラディンは手を止め、少し考えてから、答える。


「おれ、別にフェト様は嫌いじゃないよ?」

「そうじゃねーし。……オマエ、世が世ならだろうが」


 ずいぶんと古い話題に、苦笑する。ゼオはまだ、父が王族だった時代のことを引きずっているのだろうか。

 精霊という存在は、人とは感情の作りが違うという。大抵の人が気にかける血筋や名誉、他者からの評価など、だけでなく、親子の絆や利害関係などにも疎いらしい。そんな中位精霊の口からこういう疑問を聞くのは意外で、面白い。


「ゼオは精霊なのに、妙なところに気が回るよね」

「マスターがそういうメンドーばっか抱え込むから覚えるんだよッ」


 確かにそれはあるだろうな、とラディンは思い、そして少し気の毒にも感じた。ゼオにとってはどんな時もルウィーニが一番なのだろうに、当の父は精霊との契約に関しては節操がないのだから。


「うっせー、同情すんじゃね」


 考えていることが伝わったのだろう、ゼオが一気に不機嫌になる。取り繕う言葉が思い浮かばず、つい、言ってしまう。


「ごめん、っていうかウチの母さんがごめん」

「マスターがエティアを最優先にすんのは仕方ねーんだよ、夫婦なんだし」

「まあ、そうなんだけど。……なんかごめん」


 気まずい沈黙が流れ、ラディンは心中で自分自身にがっかりした。おそらくこういう迂闊うかつなところが、ゼオに距離を置かれる一因だろうとは……なんとなく自覚している。

 いい言葉が思いつかず声をかけあぐねていたところに、ちょうど良くドアベルが鳴った。


「ラディン、いるか?」

「らでぃいん、きたよー!」


 渋くて穏やかな声と、明るく弾むような声。あの日拾った不思議な小狐は、実は妖狐という部族の魔族ジェマだった。リオネルの養子となりリュカと名付けられ、シャルリエ家で育てられている。

 ぷるぷる怯えて狐の鳴き真似をしていた子供は、今ではすっかりラディンにも懐いて、時々こうやって湾岸警備隊詰所に乗り込んでくるのだ。


「いますよ。リオネルさん、……それにリュカ君も」

「済まないラディン。私は今から港まで行かねばならないのだが、リュカが……知らぬ間についてきてしまっていてだな。迷惑でなければ、夜までここで預かってくれないか?」


 リオネルはずいぶんと焦っているようだ。確かに、子連れで港の警備に行くわけにはいかない。

 ラディンはリュカに笑顔を向け、手招きする。


「リオネルさんが気づかないくらい上手に尾行したんですか? 凄いねー、リュカ君!」

変化へんげでぬいぐるみになって荷物に紛れていたのだ。褒めないでやってくれ、またやられたら私の心臓がもたん……」

「あはは、そうですよね。すみません」


 弱りきった顔でリオネルは呻いている。妖狐の部族は卓越した変化能力を持っているのだが、あくまで外見上の変化であって、材質そのものを完全に変えるわけではない。荷物の中で窒息でもしたら大変なことだ。


「えへへー、リュカすごいでしょー」


 当人は全く悪びれておらず、トテトテとラディンの側まで来て、得意げにニコニコと見上げてきた。頭を撫でてやれば、嬉しそうに目を閉じて「えへへ」と機嫌よく笑う。

 この無邪気で懐っこい弟分に絆されて、ジークの反抗期はあっさり終了したのだというから、侮れない。


「分かりました。万が一おれがトラブルとかで呼ばれても、今日はゼオがいるので大丈夫ですよ。気をつけて行ってきてくださいね」

「恩に着る。……リュカ、ラディンのいうことをよく聞いて、いい子で待ってるんだぞ?」

「はーい!」


 慌ただしく出て行く背中を、リュカと一緒に手を振って見送っていると、暖炉の前に座っていたゼオが何を思ったか立ち上がり、リュカの側まで来てしげしげと覗き込んだ。子供二人が見つめ合っている姿は平和を感じさせる光景だな、とラディンは思う。


「ジェパーグの妖狐ようこじゃね?」

「うん? ゼオ詳しいね。おれもリオネルさんも最初わからなくて、ちょっと困ったんだよ」

「精霊に国境はねーからな……」


 ゼオが口にしたジェパーグという国は、和刀や和装束といった独特な文化を持つ島国だ。鎖国をしているとの噂で、ライヴァンとの国交はまだない。

 妖狐の魔族ジェマは和国ジェパーグの主要部族らしいのだが、そういった事情でリュカの両親を探すことは叶わなかったのだ。


「リュカはねー、きつねだよ?」


 会話に混ざろうと、リュカが見上げて自己主張を始める。ラディンはそんなちびっ子の頭を優しく撫でつつ、ここ十年ほどで生じた変化に思いを馳せずにはいられなかった。


 ルウィーニが取り持ったティスティル帝国との外交会談は成功し、ライヴァン帝国とフェトゥース国王は隣国ティスティルの強力な後ろ盾を得た。数年後、監獄島から帰還したロッシェが《闇の竜》を勝手に掌握してしまい、内外ともに今のライヴァン政権は磐石だ。

 あの頃はまだ頼りなかった黎明の輝きは少しずつ輝きを増し、内外ともに強固な支えを得て、今は強く照り輝いている。


 人間族フェルヴァー魔族ジェマの間の溝も、少しずつ浅くなっているのだろう。旅人や交換留学などでライヴァンを訪れる魔族ジェマも、少しずつ増えてきているのだとか。

 願わくば、魔族ジェマであるリュカにとってもシルヴァンが間違いなく故郷となれるように、と祈らずにはいられない。


「リュカ君は、どうしてついてきちゃったの?」


 秘密を共有するようにそっと尋ねてみれば、白髪はくはつの間から覗くきらきらの青い目がまっすぐラディンを見返した。


「リュカもね、フェトさまにおめでとうしたかったの! フェトさま、やさしいんだよ」

「そっか」


 リオネルは湾岸警備の責任者なので今日の式典には立ち会えないのだが、リュカはそれを知らず、荷物に潜り込めばお城に行けると思ったのだろう。そうまでしたいと子供に思わせるフェトゥース国王は、やはり間違いなく名君であるに違いないのだ。

 あのねあのね、と、リュカが笑顔で言い募る。


「パパがね、こんどいっしょにおしろいこうって!」

「そうだね。一緒に行って、おめでとうって言ってきなよ」


 フェト様なら喜ぶだろうな、と思いながらラディンは応じ、リュカはそれに嬉しそうに頷いたのだった。





 夜には、ぐったり疲れ果てたリオネルがリュカを迎えにきた。遊んで喋ってたくさん食べて、すっかり寝入ってしまった小さな息子を抱き上げ、疲れなど吹き飛んだような目で愛おしげに微笑んでいた。

 領主の仕事は忙しく神経も使うだろうし、湾岸警備の仕事は肉体的にも大変だ。本当によくやっていると思う。

 彼はこのささやかな幸せを守るため、精神と体力を費やしこの務めを果たしているのだ。


「今日はありがとう、ラディン。明日からも祭りがあるからまだ気が抜けないが、引き続きよろしく頼む」

「はい、シャルリエ卿もお疲れ様です。リュカ君は良い子にしてましたよ」

「それならよかった」


 あれから十二年、ラディン自身はすっかり青年となり、リオネルはもう壮年の域に踏み込もうとしている。忙しい日々は容赦なく進んでゆくけれど、自分の、彼の、あの日の選択がこの現在いまにつながっているのだと――今なら誇れる気がした。

 リオネルが帰った後には、はぜる薪の音だけが静かな夜の空気を震わせている。


「ゼオも、リュカ君のお相手お疲れさま」

「子守は苦手だっつの」


 そう言いつつも、機嫌は良さそうなゼオの様子に、ラディンはこっそり笑いを噛み殺す。

 精霊のくせに、彼はいつも天邪鬼なことばかり言うのだ。


「おれはおれじゃなく、フェト様が国王で良かったと思うよ。あの人は、優しい王様だもん。ゼオだって、そう思ってるんじゃないの?」


 いつかの答えに、返る言葉は無い。

 それでも、この沈黙が肯定のしるしだとラディンにはもうわかっていた。


 カーテンを引き、窓の外へ目を向ける。暗い夜空を満天の星が埋め、小さなリュカの瞳みたいにきらきらと輝いていた。まるで、これから迎える朝日へ祝福を贈るかのような輝きだなと、柄にもなく吟遊詩人みたいなことを考える。


「おめでとう、フェト国王様、インディア王妃様。おれはここでこれからも頑張るから、お二人も頑張ってね」


 夜の向こうへ、届くはずのないエールを託す。

 ここから始まる輝かしい新時代を思い、高まる期待が胸を熱くする。


 そっと窓のカーテンを閉め、詰所の明かりを落として。

 ラディンは、婚礼式典一日目の業務を終わりにしたのだった。





[Scenario5 Complete!] 

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