10.はじまりとなる終着点

[10]再会の夜明け


 混沌とした意識の中で、柔らかな羽毛を感じていた……ずっと。


 触れる闇はなぜか心地よく、温かかった。

 呼ぶ声はなくても、ぬくもりを感じていた。


 うずく痛みはいつの間にか遠いものになっていて、あるいは死んだのだろうかと思いもしたけれど。

 その闇は懐かしく、死とは異質なものだと感じたから。


 自然と意識が浮上する。




「…………」


 まず、明るく暖かい部屋にいるのを知った。

 重い目蓋を持ちあげて、ギアはゆっくり二三度瞬きする。


「……ここは?」


 返る答えはない。けれど隣の部屋に気配を感じる。

 身じろぎして起きあがろうとしたら、腕に厚く包帯が巻かれているのに気づいた。黙ってそれを確認し、床に目を落として、ギアの動きが凍る。

 床に、黒い羽毛が落ちていた。


「……アルティメット?」


 思わず呟き、慌てて身体を起こす。自分がベッドに寝かされていたことに気づいた。血液と砂で汚れていただろう衣服は、清潔なものに取り替えられている。

 床に足をつけて立ってみた。体温が下がっている気がするものの、目眩やふらつきはない。


 と、そのとき、部屋の扉が軽い音を立てて開いた。

 つられて目をやった先にたたずむ姿を見て、ギアは絶句する。


「……あ、」


 水差しを手にした翼族ザナリールの女性がそこにいた。光を飲み込む闇色の翼は、見間違えるはずもない――、


「アルティメット!」


 反射的に動いていた。そうしないと、この幻は消えてしまうに違いないと思った。ぼう然と立ち尽くしている彼女を抱きしめようと、腕を伸ばして……その手が寸前で止まる。

 彼女の黒い瞳から、透明な雫があふれ出していたからだった。


 ギアは、彼女が自分の元を去った理由をいまだに知らない。この五年の間にいろいろ予測を巡らせてきたものの、当人なくして真実に辿りつけるはずもないのだから。

 よもや嫌われていたのでは、という不安と動揺から、両腕を空に浮かせたまま動けなくなってしまったギアの前で、彼女は涙を拭い、呟くように声を落とした。


「よかった、ギア……生きていて、……」

「アルティメット……」


 静寂を音にしたような彼女の声は、五年前とまったく変わらない、懐かしい響きだった。波立っていた心が彼女の声に撫でられて、静まってゆく。

 それと同時に、ギアの脳裏にゆっくりと記憶がよみがえる。

 ひどく切り裂かれたはずの左腕は、包帯が巻かれているものの完全に治癒されているようだった。そういえば、ここにアルティメットがいて、自分の治療が済まされていて、それならばロッシェは。

 捜し求め続けていた彼女との再会に浮ついていた心が、急速に冷えてゆく。


「どうして、おまえがここに!?」


 冷静さを取り戻せたと思ったがそうでもなかったようだ。

 口をついて出てきた問いは意味がひっくり返っていたが、アルティメットはそれを言葉通りに受け取ったらしい。はにかむように微笑み、静かに答える。


「話せば長くなるわ。私は今、ここに滞在させてもらっているの」

「ここ、って?」


 ここは、どこなのだろう。湖のそばでロッシェとやり合っていた自分が、どういう経緯で、こんなことに。

 混乱極まって言葉に詰まるギアだったが、アルティメットも困惑げな表情で言葉を探しているようだった。


「ごめんなさい、いったい、どこから説明したらいいのか……」

「おや、目を覚ましたかい」


 会話に割り込むタイミングで声が投げられ、ギアの全身に緊張が走る。廊下から声を掛けてきたのは全身を黒衣に包んだ魔族ジェマの男で、警戒心を強めたギアに苦笑したようだった。

 アルティメットが振り返り、カミィ、と呼びかける。

 漆黒の長髪、つった真夜中色の目の彼は、ギアの威嚇いかくなどどこ吹く風といったふうに微笑んだ。


「そんなに警戒することはない。私はここの家主で、告死のシザー・カミィという。深夜に流血沙汰だと精霊たちが騒ぐから、様子を見に行って、アルティメットの知り合いだということで介入させてもらった。……迷惑ではなかっただろう?」


 ほんのりと揶揄やゆも含まれているように思える。名乗りで真っ先に連想したのは死告鳥の御伽噺おとぎばなしだったが、彼はどう見ても生身の魔族ジェマに見える。――アルティメットと同居中ということになるようだが、果たしてどんな関係なのか。

 ざわつく胸を息を飲み込んで抑え、記憶を整理するためにも質問を返すことに決める。とりあえず一つずつ、確かめていくしかない。


「ロッシェ……俺と戦ってた奴は?」

「隣の部屋にいるよ。妻のルイズがついているが、何かされては困るので【永久の眠りスリープ】を掛けている。危害は加えていないし、加えられてもいないので、安心しなさい」


 彼には妻がいるらしい。不安の七割くらいが解消されたギアは、ようやく素直に聞く気が起きてきた。現金だと笑われそうだが、こればかりは仕方ないのだから許して欲しい。


「アルティメットは、いつからここに?」

「森の呪いに巻き込まれたらしく、連れとはぐれてさ迷っていたところを私が保護した。事態が終息するまで森から抜けるのは無理だろうから、引き留めていただけだよ」


 カミィの話と、記憶の中のパティロの話を合わせて時間軸を整理する。パティロは、はぐれたのは森を出てからと言っていたが……ということは、彼女ははぐれた後また森へ捜しに戻ってしまったということだろうか。

 パティロが無事に村へ戻ったということも伝えないとな、と思っていると、今度はカミィのほうから問いを投げかけられた。


「おまえたちはなぜ、あんな場所で喧嘩をしていたんだ?」

「いや、喧嘩って……」


 あれを喧嘩と言っていいものなのか、だが喧嘩でなければ何だと聞かれたら説明しようがなく、答えにきゅうするギアだったが、カミィとしては突っ込んだ答えを期待していたのでもないのだろう。視線を窓に移し、口角を上げて呟く。


「もう朝だな。二人、積もる話もあるだろう。たとえ猶予ゆうよない事情があったとしても、それくらいの時間は許されてもいいはずさ」


 意味深な笑みで目配せされて、ギアは顔が熱くなるのを感じた。これは、おそらく、見抜かれている。

 カミィが去った後の不自然な静寂に居心地の悪さを感じつつ、ギアはとりあえず、と頭を切り替える。今ごろ村では心配しているだろうし、ラディンとの約束はふいにしてしまったし、ロッシェの処遇も気になるところでもあるけれど、それでも。

 自分にとっての最優先は、どんな時だろうと彼女でありたい。


「アルティメット、とりあえず……ベッドにでも座って、話そうか」


 ソファも椅子もない狭い部屋の中、二人向き合って立ち尽くしているのもどこか間抜けだ。座れそうな場所はベッドしかないが、今この状況で下心はないし疑われることもないだろうと断言できる。

 アルティメットが素直に頷いて、ベッドのところまで行き端に腰を下ろすのを確認してから、ギアは人ひとり分の距離を空けて隣に座った。

 不安と緊張が、また胸の中にりあがってくる。それでも、聞きたいこと伝えたいことがあるから。ギアは気持ちを奮い立たせるように「さて」と前置きし、じっと彼女を見つめて、口を開いた。


「ずっと、捜してたんだ。アルティメット……ずっと、聞きたいと思っていたんだ」




 切っ掛けに、ドラマティックな出会いがあったわけではない。ゆるやかにつながり、ともにり、唐突に終わってしまった二人の時間。

 五年前のあの朝、何の言葉もなく失われてしまったつながりだった。


 もう一度、逢いたいと願っていた。

 手掛かりもなく、約束もなく。届く保証なんてどこにもなかったけれど。

 それでも、あきらめるつもりなんてなかった。


 自分の心は決まっている。

 だから、彼女の心を確かめるまでは。絶対に、あきらめないと決めたのだ。




 ***




「アルトは、俺がキライか?」

「……え」


 真正面から正視されてしまえば、もう誤魔化すことなんてできなかった。

 傷つけてしまっただろうと、わかっていた。こみ上げてきた涙を無理やり飲み込み、一度だけ両目を瞬かせてからうつむくと、アルティメットはため息のように答えを吐きだす。


「……わからないの」


 キライではない、キライなはずがない。

 でもキライだと答えれば――もう彼は自分を捜さないかもしれない、そんな考えが胸を埋める。けれど本心じゃない答えなんて、口にすることはできず。

 自分でも何て無責任な答えだろうと思う。そしてまた、優しい彼を傷つけてしまうのだろうか。

 そう思ったら胸が痛くて、苦しくて。


「――そか」


 ギアが、短く呟いた。顔をあげられずにうつむいたままでいると、不意に影が掛かる。驚いて見あげれば、長身を屈めるように自分を覗き込む彼の顔が、すぐ目の前にあった。


「それじゃ、また一緒に旅しようぜ」


 続けて発せられた予想外の台詞に、思わず目を見開いて彼の顔を凝視してしまう。苦い思い出につながる顔の傷は今もくっきり残っていたけれど、彼の瞳には恨みも悔みもなく、ただ優しくてまっすぐだ。

 どう答えればいいかわからない。

 自分の心は、今、どこにあるのだろう。


「私、は、……」

「キライじゃなければオッケーだ。一緒にいれば、おまえはきっと俺を好きになるさ」


 にかりと笑って言い切られた。

 そんなの、もうとっくに……好きになってるに決まってる。何か言い返そうとして、涙がこみ上げてきた。喉が詰まっているようで、うまく声が出てくれない。


「好きだよ、アルティメット」


 大きくて骨張った手が、翼ごと自分の身体を抱き寄せた。こつん、と、額と額を合わせるようにして、囁くように彼が言う。


「俺はおまえと結婚するって、決めてるんだ」


 大柄なギアに抱きすくめられて身動きず、耳もとで囁かれた好意の言葉が胸の奥に熱を点す。その温度は一瞬の間に全身を駆け巡り、頰が熱くなって羞恥しゅうちが心を埋め尽くしてゆく。


「……わ、私なんかのどこがっ」

「私なんか、なんて言うなよ」


 穏やかな、笑みを含んだ声にいさめられた。ギアの大きなてのひらからも、熱い温度が伝わってくる。早くなる鼓動の音が自分のものか彼のものかわからなくなり、言葉にできない感情が溶けだして涙がこぼれた。


「俺、おまえに会えたらいろいろこうと思ってた……、何でとかどうやってとか、あの時のこととか――、でもこうやって逢えて、そうしたらなんだか、もう理由なんていいかなって思えてさ」


 ――無関心なわけではではなく。


「逢えたんだ。……いいじゃねぇか、俺が捜してずっと捜して、こうやってちゃんと逢えたんだ。だから、もうどこにも行くなよ」


 この広い大陸世界で、いくら目立つとはいえ自分はただの旅人に過ぎず。捜そうとしても、手掛かりなんてなかっただろう。

 それでも、彼は捜し続けてくれたのだ。あきらめてほかの誰かをパートナーにするのではなく、ずっと忘れずに、捜し続けてくれたのだ。

 それがどれほど強い意志に基づいてのことか、わからないなんて言えるはずない。


「おまえ、俺を助けてくれたじゃねえか。……俺を心配して、俺の無事を泣いて喜んでくれたじゃねえか。五年経っても、俺のこと忘れてなかったじゃねえか。たとえまたおまえが消えたって、俺は捜すぜアルト。俺は、おまえと一緒がいいんだ」

「……ごめん、なさい……」


 畳み掛けられる言葉に、もう我慢できなかった。こみ上げる嗚咽おえつに邪魔されながら、謝罪の言葉を返すしかできず。それでも、そんなふうに想われることが嬉しくて、感情がぐちゃぐちゃでどうしていいかわからない。

 ギアの腕が自分を強く抱きしめる。

 その優しさに甘えて、アルティメットは彼の胸にすがるように頭を埋めた。


「謝るなよ、どうして謝るんだよ」

「だって……私、ひどい、……こと、したのに……」

「そんなふうに自分を責めるなよ、アルト。言葉が見つかんない時は、ありがとうって、言えばいいんだよ」


 言い含めるように、くしゃりと頭を撫でられる。笑みの混じった柔らかな声が、耳をくすぐって胸の奥へと浸透していく。

 じわじわと涙が引いていき、アルティメットはそうっと顔をあげてギアを見た。


「おまえが頑固なのは、この五年でよぉくわかったぜ。でもおまえだって、俺のあきらめの悪さがよくわかっただろ?」


 長くはないが、短いとは言えない、五年という歳月。二人ともに違う道をゆき、違う出会いと別れを経験したのだろう。

 長命である翼族じぶんと違い、人間族フェルヴァーであるギアにとってその時間は決して短くはない。あの頃よりずっと大人びた、それでも変わらない笑顔がそこにあった。


「一緒に旅しよう、アルト」

「……うん」


 もう一度、同じ誘いを向けられて、アルティメットはためらいながらも、今度ははっきりと頷いた。ギアの顔に、満開の笑顔が咲いてゆく。

 つられるようにアルティメットも、泣き笑いの顔のままで、笑った。


「ごめんなさい……、じゃなくて……。ありがとう、ギア」





[Scenario3 Complete! & to Scenario4]

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