[7-3]闇の狂王


 幸せそうにゆるんだ顔でソファで眠りこけているフォクナーを横目に見つつ、ギアは会場で後始末を手伝っていた。


 国王とドレーヌ卿は客人への対応のためこの場にはいない。軽傷の騎士や兵士たちが集まっていて、インディアが応急手当てをしている。そこそこ医術をかじっているギアも、彼女の手伝いをしていた。

 ギア自身に怪我はなく落下した時の擦り傷程度だが、怪鳥の攻撃で怪我を負った者は手当てをきっちりしておかないと、後で悪化する可能性があるからだ。


「しっかし、みな度胸が座ってやがるなぁ」

「パーティーと言っても、身内の夜会みたいなものだもの。だからって、あんなバケモノを宴の席に投げ込むなんて反則ファウルだと思うけど!」

「あんな、存在そのものが非常識な相手にファウルも何もな……」


 怒り心頭のインディアに苦笑を漏らしつつも、ギアの意識は上の空だ。城に暗殺者アサシンが入り込んでいた件はエリオーネから聞いたが、話を聞けば聞くほど怪鳥を差し向けた黒幕とは別口に思えてならない。

 あの混乱は、暗殺を実行するのに絶好のチャンスだったはずだ。


 そういえば、フォクナーが登場する直前。国王が気になることを呟いていた。

 数十年前に世界を震撼させた、『狂王』と呼ばれる魔族ジェマの王――だっただろうか。


 聞いたことないな、と、あの時は思ったのだが……何かが記憶にかする気がして、ギアは手を止め考え込む。

 十年以上も昔に読んだ歴史書が不意に脳裏によみがえり、途端に全部がつながった。


「まさか、狂王って」

「え? ギア、フェトから依頼の内容聞いたの?」

「いや、まだだが……大体わかった。俺ちょっとシャーリィのところへ行ってくるぜ」

「シャーリィ君の? こっちはほとんど片付いたから、いいけど」


 手元周りの片付けもそこそこに、ギアは急いで立ち上がる。

 狂王とは、百年以上も前にライヴァンの隣国サイドゥラを治めていた魔族ジェマの通り名だ。ギアが産まれるより前であり、祖国とは海を隔てた別大陸であったため、記憶には薄い。

 凄惨な歴史とともに記されるその人物は、闇の狂王、あるいは単に狂王と呼ばれる。

 本当の名すら忘れ去られるほどのインパクトを残したのは、彼の狂気に満ちた殺戮の所業だ。それほどの危険人物がどのような経緯で歴史の表舞台から姿を消したのかを、ギアは思い出すことができなかった。


 こういう時は歩く事典もといシャーリーアに聞くのが早いだろう。

 と思って入り口から出ようとしたギアは、ちょうど入ってきたロッシェに危うくぶつかりそうになった。


「うわっ、と、ロッシェ……にパティロとラディンも一緒だったのかよ」

「何をそんなに慌てているのかな。ルベルに何かあったら怒るよ?」


 ロッシェの腕に抱かれたルベルは、ギアを見上げてにこにこと笑っている。もう子供は眠らせたほうがいい時間だろうに、こちらはこちらで相当事情が深そうだ。


「悪かったよ。気になることを思い出して、シャーリィのところに行こうとしてたんだ」

「あの妖精族セイエス君たちの辺りは今、入れなくなってるよ。危険も去ったし、そろそろ解けてるかもしれないけどね、結界」

「……結界?」


 身を守るため、誰かが張ったのだろうか。それとも――と浮かんだ悪い考えが顔に表れていたのだろう、ラディンの目がギアを見る。目配せ程度の意思表示だが「大丈夫」の意味のようだ。

 身を守るため結界を張った、ということだろうか。

 とりあえず安心はしたものの、詳しい話はあとでラディンから聞かなくてはならない。


「わかった、それならロッシェ、あんたでもいい。もうここまで巻き込まれたんだ、詳しい話を聞かせてもらってもいいだろう?」


 真剣を通り越して、剣呑な表情になっていたのだろう。ロッシェは幾らか驚いた様子だったが、頷いて、ルベルをそっと下ろした。


「いいよ。でも、ここでは人の目もあるし……部屋を移動しようか。フェトゥースも交えて、改めて今回の依頼を説明するよ。……それで、いいかい?」

「ああ」


 国王も交えてというのであれば、なお望ましい。ギアが応じると、ロッシェはルベルの前にしゃがみ込み、頭を撫でながら優しく言った。


「パパは彼とお仕事の話があるから、今日はもう休みなさい。パティロ君とラディン君のいうことをよく聞くんだよ?」

「はいです、おやすみなさい、パパ」

「おやすみ、ルベル」


 意図を汲んだパティロがルベルの手を取り、客室の方向へと戻っていく。だが、ラディンは視線をさまよわせたあと、ロッシェの方に向き直って言った。


「おれも話に加わらせてください。おれにも聞くはあるはずです」

「そう。僕は……いいけど。君は、やっぱり」

「はい」


 ロッシェの瞳に一瞬、険しい光がよぎった気がした。見返すラディンの表情も普段の彼とは異質な気がして、ギアは言葉にできない感覚に身震いする。

 顔を合わせるのも言葉を交わすのもはじめてだったはずのこの二人の間に、いったい何があるというのだろうか。


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