10.生と死の狭間にて
[10]闇との約束
真白いシーツが敷かれたベッドと、消毒薬の匂い。
慌ただしく出入りしていた宮廷魔術師たちも出ていって、シャーリーアの付き添いをしているのは今はリーバ一人だ。
ベッドの上に横たえられた青年は、厚く透明な氷に覆われている。
水属高位魔法【
城側でシャーリーアの傷を完全治癒できる、あるいは蘇生魔法の使える高位魔法使いを捜してくれており、同行の仲間たちも一緒に奔走している。
モニカとパティロはついさっきまでここにいて細々とした手伝いをしていたが、今はもう休んでいる。深夜だし、泣き疲れて二人とも限界だったろう。
フォクナーは治癒魔法の使いすぎでダウンしたから、朝までは起きられないだろうし。
大人組のギアとエリオーネ、
ラディンは連絡係で残ると言っていたから、まだ起きているのかもしれない。
誰も彼も、今はシャーリーアを助けるために必死だ。
今は、自分がなぜここにいるかを聞いてくる者はいなかった。自分も、話せる気分ではなかった。
「シャーリィ……」
呼びかけのため発した声は思った以上にかすれていて、色濃い疲労を自覚する。
そっと手を伸ばし触れた氷は、ひどく冷たかった。
こんなモノの中に閉じ込められていては、わずかに残った彼の生命の火まで凍ってしまうのではないか――そう思って身震いする。
彼を失うかもしれない可能性が、ただただ怖かった。
その、とき。
視界の端に、あるいは背後に。影のように黒い姿がよぎった気がした。
「…………!?」
思わず顔をあげ目にしたその人物は、闇のような漆黒をまとった
彼が、こちらに視線を向ける。
光を吸い込む闇色の瞳がすうと細められた。
真昼に落ちる影のように。
あるいは、夜には姿を消してしまう影法師のように。
漆黒の髪と長衣に隠された白磁のような肌は、人としての熱を内包しているようには見えない。薄い唇は笑顔を刷いて自分を見ており、
――この人物は本当に人なのだろうか?
「厄介なことに関わってくれて、しかもわたしを巻き込んでくれて……。あとで
彼が口を開き囁くように言った台詞は、決して――リーバの疑問の答えではなかった。
それでも、独白のような彼の言葉の中にたったひとつ混じっていた、知っている名前。それで、察してしまった。
「あなた、は、」
声が、出た。
けれど、最後までは言えなかった。
闇色の
「その通り。……でもこれは、君とわたしの秘密だよ」
なぜ、とか、なにを、とか、聞きたいことはたくさんあったけれど、彼に答える気はなさそうだった。
音もなくベッドに近づくと、横たえられたシャーリーアに白く細い手をかざす。
厚い氷が見る間に溶けていくが、ベッドも床もシャーリーア自身もまったく濡れるようなことはなかった。
人形のように眠る彼の、ちょうど心臓のあたりに、闇色の
歌うように紡がれるのは、
――そうして。
そのあとに起きた奇跡を、リーバは生涯忘れることはないだろう。
***
そこは、闇だった。
死んだあと、魂が身体から抜け出すという話は嘘だったのだろうか。
離脱をしていればもっと明るいはずだ。周りの様子だって、何も見えないのはおかしい。
……いや、そもそも、そんなことを考えている自分はだれだと言うのか。
死したあと、魂は来世への転生を待って地奥で眠りにつく。つまり、死亡したといっても魂ごと砕かれるわけではない。
だとしても死したあとに、これほど明確な意識を保てるとは考えにくいから……。
おそらく、きっと、自分は死んではいないのだろう。
あの瞬間――確かに即死を覚悟したが、あのメンバーの強運を考えれば奇跡的に命を取り留めた可能性も、たぶんゼロではない、のかもしれない。
強運……幸運か。
そんなものを考慮に入れる自分をおかしく思い、ついでの連想で村の悪友が笑う様子を想像してしまい、嫌なことを考えてしまったなとシャーリーアは思った。
ひとつ年上の、勇者に憧れ剣士を目指している幼馴染み。
彼にあちこち引っ張り回された先で、命に関わるほどではないがよく怪我もしたし、ひどい目にもあった。村を出て彼と別々の道を選んだなら、もうそういうことはなくなるだろうと思っていた、のに。
誰かに頼まれ、押しつけられ。
それでもソツなくこなしてしまうから、さらにまた押しつけられて。
ついには、理由もわからず殺されかける目に遭って。
もう、やめよう。
そんな思いがふと、浮かんだ。
殺伐とした冒険者稼業なんて、やはり自分に合わなかったのだ。
もう、帰ろう。
目が覚めたら、ギアたちにそう言おう。
そのための言い訳を、今のうちから考えておくのもいい。
『本当に、それでいいのかい?』
誰かの声が聞こえた。
夢……いや、夢に介入する魔法?
闇属魔法の中位か高位にそういう魔法があったはずだけれど。
『よく知っていたね。わたしはセルシフォード、名前くらいは聞いたことがあるだろう』
え、と声にならない驚きが漏れた。
名前なら知っている――むしろ知らない者などいるのだろうか。闇を統べる、
でも、なぜ、彼が、ここに。
自分の、夢の中に……?
『疑問はもっともだ。実は、君を死なせないで欲しいと泣きつかれてしまってね。本意ではないんだが、断って、夜な夜な恨み言を囁かれても困るからね。他の王たちや精霊王たちに秘密で来たのだよ』
疑問への答えが、新たな謎を提示する。闇の王に泣きつける立場の者などいただろうか。
困惑を感じ取ったかのように。彼の声は穏やかな喜色を含んで言葉を重ねた。
『君もよく知ってる子だよ。でも、これ以上わたしから話すことはできないな。推理力のある君なら、きっと気がつくだろうからね。それより、君自身の意志を確かめなくては。君はまだ、死にたくないだろう?』
はい、と肯定を返す。
なぜ彼がそんなことを確かめるのか、その意図するところは不明だが、言外に自分の現状を察してシャーリーアは暗い気分になった。
油断はあったし、実力不足だって否めない。
それでも、あんな場所で人生が終わりだなんて、そんなのは、あまりにも……。
『大丈夫だよ。君自身が願うのであれば、助けてあげよう。ただ、君の身体はそのままでは、もう生命を維持できない。だから仮留めとして、わたしの魔力を注ぎ込んでおくよ。……いいかい?』
問われて、シャーリーアは一瞬ためらった。
どういうことなのか意味をつかめず、それによって起きることがイメージできない。
動揺する自分の気持ちを感じ取ったのか、彼は優しい調子で笑ったように、思えた。
『属性に影響が出てしまうかな。でも大丈夫だよ。いずれ身体は回復するだろう。
そうですか、それなら……と同意する。
言われた意味を理解できたわけではなかったが、彼の『大丈夫』という言葉は信じてもいいと思えたのだ。
それにしても、泣きついた誰かというのが気になって仕方ない。特別な立場といえる存在はリーバくらいだが、一緒にいたわけではないし、闇属でも
『悩むことはないさ。きっと、すぐにわかるから。……さあ、目を開けてごらん』
優しい声に引きあげられるように、意識が浮上する。
胸に乗せられたてのひらから伝わる温かな魔力が、全身を満たしていくのを感じる。同時にシャーリーアは、鼓膜を震わせる彼の肉声を聞いた気がした。
「帰るなんて言うものじゃない。待っていて貰えるというのも、案外といいものだよ」
その瞬間、視界を明るい光が満たした。眩しさに目を細めるシャーリーアを上から覗き込む、見知った人物は――。
「リーバ、さん?」
「良かった!」
なぜという問いを発する前に、リーバがベッドごと自分に抱きついてきた。
勢いに圧倒されながらも、シャーリーアは見てしまった。彼の星を映す瞳が光る雫に濡れていることを。
――待っていて貰えるというのも、案外といいものだよ。
投げかけられた言葉がよみがえる。低く落ち着いた、優しさを感じさせる声だった。
あれは本当に闇の王だったのだろうか。
見回す視界には、その余韻すらない。
夢だったのか、という思いがよぎる。
闇の王が一介の
ぼんやり思い巡らしながら、見慣れない部屋の中をさまよっていたシャーリーアの目線が、棚の上に置いてあるスタンドミラーに止まった。
無意識に、目を見開いてそれを見つめる。
自分の髪の色が、変わっていた。
青に近い
[Scenario1 Complete! & to Scenario2]
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