第1話

 …あまりにも多くのものが失われてしまった。 もしくは、最後までなにも得ることはなかったのかもしれない。でもぼくにはそんなことはどうでもよかった 。分かっていることは、35年生きてきて、僕の手元に残ったものはなにもないということだけだった。これは欺瞞的に聞こえるかもしれない。 というのも、ぼくは、無職だが、いちおう職歴はあり、交際相手もいるし、そこそこの性的な経験をこれまでに得ることができたからだ。でもぼくは、そういったものを欲しいともなんとも思ったことはなかった。ぼくはただ、ぼくの周りの人々が、当然のように手に入れようとして、犬のように食らいつこうとしていたものを、彼らと同じように、手に入れただけだった(と、こう書いてはみたものの、性的な経験については例外であるということにすぐに気づいた)。


性的な冒険を別にして、ぼくには、欲しいものなど何もなかった。 結局、何が欲しかったのか、まったくわからなかった。 35歳にもなる男がなにを言っているのかと、笑われるかもしれない。 でもこれがぼくの正直なところで、35年間生きてきて分かった、ほとんど唯一のぼくにとっての真実だった。


ぼくには、人間の欲望がよくわからなかった。お金や名誉や仕事や家族、そういったものになんの憧れも抱けなかった。友人達は良い「生活」を求めて小学校から勉強を始め、大学生の頃には就職活動をし、少しでも大きな会社に入ろうと躍起になっていた(僕にはわかる、彼らが成績や仕事や恋人やお金を得るために非常な苦しみを甘んじていたことが。そして驚くべきことには、彼らは一方で途方もない苦しみに耐えながら、もう一方では屈託なく笑顔で友人たちと団欒していた)。


ぼくは、病んだ人間なのだろうか…。ぼくには、そうは思われなかった。ぼくにとっては、ぼくの目にうつるこの社会こそが(ぼくは35年の人生のほとんどを日本で暮らしていた)、傷み、穢れ、ひきつれ、病んでいた。ぼくは気が狂いそうになりながら手に入れた。仕事を、恋人を、いくらかのお金を。でも、なんでそんなものが欲しいのかは、わからなかった。考えもせずに、手に入れようとした。それは、まるで地面に吐き捨てられ、干からびた唾だった。ぼくがそれらを得たのは、社会が、それらを欲しがっていたからだった。そして、ぼくが自分自身を見失ったのも、社会が、それを要求したからだった。まだ若いころ、ぼくはこの社会が病んでいるとは思っていなかった。


ぼくは、35歳、だ。


この社会がこの年齢の男に望むことは、精神的に成熟し(この社会に完璧に適応し)、安定した仕事を持ち、妻を持ち、家庭を持ち、子供を持ち、そして、もちろん…生きることに、希望をもち続けること。反対にぼくはと言えば、無職で、恋人はいるものの、無職となったために、いつ捨てられたものかわかったものではない、この社会になんの望みももたず、気力もなしに、ときおり、恋人をおざなりに抱くだけの、18歳の大学生ほどの生産力も甲斐性もない、デクの棒だった。それもそのはず、ぼくはもうこの社会で「生きる」つもりもないし、食う、寝る、抱くという、動物的な快楽を得る他に、生きる理由もなにもないのだった。ただ、社会から求められるままに、役割を演じているだけのことだ。「社会人」の面をかぶった、怠け者だ。いや、怠け者とさえ言えないのかもしれない。ぼくは、「無」だ。ぼくが欲しいものはなにもないのだ…かつては、あった、きっとそうだ、いや、そうなのかもしれないが、今は、ない、いや、かつても、あったのかだかどうか…、もう、忘れてしまいそうだ、もう、なにも、なにもかも、すべて、わからない。


ぼくは、病んだ人間だ…。

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