第39話
そのとき良壱は、モモちゃんがどうしてそれほどまでにはじめての人間に懐くのかようやくわかった気がした。
モモちゃんを抱き上げてベンチに乗せる。ダンボール箱から赤いリボンのついたピンクのドレスを取り出すと、怪訝な顔で良壱を見るモモちゃんに着せてやった。スマホにお澄まししているモモちゃんの写真を納めたとき、ベンチの下で良壱の顔をじっと見つづける桃ちゃん姿が目に入った。
そのとき良壱はふとひとつの考えが頭に浮かんだ。それは、ダンボール箱にもう一着水玉のドレスが入っていたのを思い出し、このまま置いていってもモモちゃんが自分で着替えるわけではないので、別の桃ちゃんに着せてやることにした。
ドレスを着た二匹の犬は顔を突き合わせ、まるでお互いのお洒落を褒め合っているように見えた。
二匹揃った写真を写した良壱は、モモちゃんが大好物だといっていたチキンジャーギーの封を開け、二匹の前に出してやった。モモちゃんはダンボールから出した時点で反応していたが、桃ちゃんのほうはジャーギーを目の前に置いても一生懸命匂いを嗅ぐばかりですぐとは口にしなかった。
良壱はダンボール箱を小脇に抱え、そっと後ずさりをするようにベンチを離れる。
二匹の犬はというと、しばらくベンチの周りを歩いていたが、やがて二匹一緒に花畑のなかに消えて行った。
朝目が醒めると、きょうも朝食が準備されていた。
「いつも同じもんでごめんね。明日は何か違うものを拵えるわ」
「いいんだよ。これで充分だ。俺、そんなに贅沢いえる立場じゃないから」
良壱はまだはっきりとしない頭で一生懸命言葉を探す。
洗面所から戻ると、良壱の布団は部屋の隅に綺麗に畳まれてあった。折り畳みのテーブルの前に腰を降ろし、早速コーヒーカップを口にした。新しいコーヒーは香りが立ち、昨日の薄い味のコーヒーとはずいぶん違っていた。
「どうだった? モモちゃん」
コーヒーカップを両手で包むようにして訊いた。
「うん、大丈夫だった。ちゃんとドレスを着せてやったよ。それにジャーキーも食べさせてやった。凄く喜んでた」
「ほんと、それはよかったじゃん。でしょ、やる気になればちゃんとできるじゃない」
清架は母親のような言い方をした。
「依頼ちゃんと遂行できたからいいんだけど、面白いことがあってさァ……」
良壱は半笑いも顔でいう。
「面白いことって、なに?」
「愕いたことに、向こうに行ってモモちゃんの名前を呼んだところ、違うモモちゃんが現れてしまったんだ。接触の仕方を間違えたと思ったんだけど、結論としては同じ名前の犬がいたということ。それよりも、あのマルチーズのモモちゃんが初対面の俺の手をぺろぺろと舐めつづけるのさ。おかしいなァと思ってたら、ふとあることに気づいたんだ」
良壱はトーストを齧るのをやめて夢中で話す。
「あることって?」
清架はまったくいってる意味がわからないといった顔で良壱を見る。
「俺たち昨日の夜ラーメン食べたろ、台湾まぜソバ。あの強烈な匂いが手についてたんだろうな。それ以外に考えられないも」
「うん、うん、それはあるかも。だって朝目が醒めてトイレに行こうとしてその襖を開けたら、ニンニクの匂いが凄かったも。鼻がもげそうだった」
清架は顔をしかめながら笑っていった。
「そうかァ、俺は何ともないけどな」
「そういうのって、自分じゃわかんないものなの」
そういって清架は立ち上がると、お湯を沸かしに階下へ降りて行った。
「清架、昨日と同じように写真をプリントしておいてくれるか?」
良壱は湯気が沸いているヤカンを提げて戻った清架に伝える。
「わかった。じゃあ、スマホを出しといて」
「うん。だけどプリントする写真はモモちゃんが写ってるのだけでいいからな。ミニチュアダックスの桃ちゃんのはいらない」
「そうなの?」
「ああ、依頼されたドレスって二着あったじゃん。モモちゃん二着あっても着替えができないから、それならもう一匹の桃ちゃんに着せてやろうと思ったんだ。でもそれを依頼人の相田さんに見せると不愉快になるかもしれないから」
「そうね。でも良壱の判断は正解だと思う。私でもそうしたと思うよ」
清架は、少し良壱のことを見直したように、目を細くしながら淹れたてのインスタントコーヒーをそっと啜った。
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