第37話

 清架は、親として遠出する娘のことをもっと気遣って欲しかった。ところがいつ帰るかわからない娘なのに、恬淡とした口調で送り出した親に少し腹が立っていた。

「そんなことないさ。どこの世界に自分の子の心配をしない親がいるもんだ。自分だってもっと大人にならなきゃだめだろ」

 良壱は目を吊り上げるようにして清架を見た。

「そりゃあそうでしょうけど……じゃあ訊くけど良壱はどうなの? あなたの両親はあなたのことを心配してないの?」

 清架は、教師が校則を破った生徒にいうような言い方をする良壱に逆襲する。

「うん、まあ」

「でしょ? 私だって家出をして来たわけじゃないから、ちゃんと連絡してるわよ。だからそっちこそいらん心配をしなくていいよ。それとも私がここにいるのが迷惑とか……」

「そんなことはない」

「迷惑だったらはっきりいってね。いますぐにでも私、家に帰るから」

「そんなことないって。なに臍曲げてんだよ。迷惑だなんてひと言もいってないだろ。むしろ有難いと思ってるくらいだ」

 そういってから良壱は大きく息を吐いた。

「ケンカハイヤダ、ケンカハイヤダ」

 天井からのバタやんの声に、ふたりは同時にケージを見上げた。

「台湾まぜソバでも食べに行こうか?」

 良壱は口もとに微笑を浮かべながら清架に顔を向ける。

「台湾まぜソバ? 何それ」

 清架は聞いたことのない言葉に目を開いた。

「最近若者の間で流行ってるんだけど、簡単にいうと汁なし台湾ラーメンといったところかな」

「ちょっとその前に、私台湾ラーメンというものを知らないんだけど」

 清架はこちらに来たばかりのとき、昼飯のメニューで名古屋の名物をいくつか聞いたのだが、これは聞いてなかった。

「台湾ラーメンは名古屋発祥のラーメンで、台湾にはないんだ。辛いスープに麺が入ってて、その上に唐辛子の入った豚ミンチが載ってるラーメンで、台湾まぜソバはその進化系になる。スープは入ってなくてネギ、ニラ、ニンニク、魚粉そしてメインの辛ミンチと生玉子が載せられている、そんなラーメンだ」

「聞いただけで何かおいしそうじゃない? 食べてみたいな」

「連れて行ってやってもいいけど、ここからだとちょっと距離がある。時間にするとだいたい一時間くらいかな。それからさらに一時間くらい並ばなければならない」

 良壱は自分からいい出したことだけに、出かけることが苦痛と思ってないが、そのあと向こうに行ってペットに会うという未経験の仕事が控えているのを思い出して、やや躊躇(ためら)いがちなっている。

「一時間も並ぶの? っていうことは、おいしいから並ぶってことだよね。そんな人気のある麺ならいっぺん食べてみたいな」

 反対に清架はもう食べに行く気満々になっている。その姿を見たら、いまさら方向転換をするわけにはいかなかった。

 五時過ぎに事務所を出たふたりだったが、案の定どの道路も中心地に向かう車が犇き、思うように走ることができない。何とか渋滞を逃れたのは事務所を出てから丁度一時間経ったときだった。

 それからさらに三十分かかってやっと「はなび」というラーメン屋に着いた。やはり意に違わず店の前には行列ができていた。ここまで来た以上食べずに引き返すこともできず、仕方なく良壱たちも最後尾についた。かれこれ四十分ほど待ってようやく店内に入ることができたのだが、店内にも待合席があって十人ぐらいがいまかいまかと自分の番を待っていた。

 結局良壱たちが台湾まぜソバを口にできたのはそれから三十分が経っていた。長いこと待ってようやく口にすることができたのだが、食べ終わるのにものの十分とかからなかった。

「おいしかったけど、何か口んなかが凄い臭ってる」

 清架は手のひらを口に当て、何度も息を吐きながらいった。

「しょうがないさ。だってネギにニラにニンニクなんだからさ」

「こんなん食べたらこのあとカップル大変だよね」

 清架は店を振り返りながら笑っていった。

「大丈夫さ、どっちも同じもん食べてるんだから」

 駐車場を出ると、帰り道は意外とスムースだった。口のなかをさっぱりさせたいという清架の提案でチェーン店の喫茶店に入り、それぞれアイスクリームとホットコーヒを頼んだ。

 煩雑な駅前を過ぎると、あとはまっすぐに三大メインのうちのひとつである桜通りを東に向かう。両側に立ち並ぶオフィスビルには残業の灯りが疎らに点いている。良壱は久しぶりに見る夜の景色に懐かしさを覚えるのだった。

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