第32話

 そんな宗派のことからはじまり、葬式、戒名、墓……それらのすべてに疑問を抱くようになり、自分の死後のために用立ててもらおうと思ってせっせと貯えたのだが、あるときから無駄なことと思えるようになってしまった。だから私はいまでもそれらの儀式に関しては無用論者なんだよ」

 横井氏は心残りだったのか、はじめての良壱にすべてを吐き出すように話した。

「ちょっといいですか?」

 良壱は訊ねたいことがあって、横井氏のほうに躰を向ける。

「何かな?」

「お葬式も戒名もお墓もいらないということですか?」

 良壱は不思議に思えた。歳をとれば誰もがいちばん気にすることなのに、この人はそれを真っ向から反対する考えを持っている。

「まあ葬式に関しては、長いこと苦楽を共にしてきた家族だから惜別の情というものがあるのは当然のことだ。でも何百万もかけてたって誰が喜ぶ? 喜ぶのは坊主と葬儀屋だけだろ? そんなことなら、身内だけでささやかにやったらいい。戒名だってもとは仏門に帰依した人が与えられたものだったはずだ。それがいつの間にか一般人にもつけるようになった。それはそれでいいのだが、訳のわからない名前をつけてもらうのに高い戒名料を払わされる。まったく意味のないことと思う。墓だってそうだ、その昔は死んだら必ず入るところだから立派なのがいいといって高い墓を拵えたもんだ。そんな高い墓を誰が喜ぶ? 喜ぶのは墓石屋くらいなもんだろ? あげく土地がなくなってきたら今度はマンション形式だとか、共同墓地だとかいって土地の有効利用を打ち出す。どれもこれもみんな金儲けが絡んでるのと違うかい。

 しかし私が生前に意思を伝えてなかったために、遺された家族は良かれと思って盛大な葬儀を執り行ってしまった。いまとなってはどうしようもないが、そんな金があったら孫に何か買ってやったほうが余程よかったとつくづく思うよ。

 ごめん、ごめん。長いこと年寄りの愚痴につき合わせてしまって。でもあんたに聞いてもらったことで、いままで胸のこのへんに詰まっていたものがすっとなくなったよ。本当にありがとう。で、あんたが家内の用事でここに来た金庫のダイヤル番号のことなんだが、戻ったら家内に忘れてしまったと伝えて欲しい」

「えッ! 忘れてしまったんですか」

 良壱はここまで横井氏の長い話を聞いてきて、肝心の番号を持って帰らないということは、ここまでやって来た意味がない。

「いや、本当はちゃんと覚えているよ。あの金庫には確かに三千万の金が入っている。でもな、私が番号を教えて金庫が開いたなら、間違いなく予想しなかった事態に陥ることになる」

「予想しなかった事態って何ですか?」

 良壱は横井氏のいっている意味が皆目見当がつかなかった。

「いま、家内も子供たちもその姿を見てないから、興味津々で中身を想像しているはずだ。でも金庫の扉が開いてなかから見たこともない現金が現れたことによって、間違いなく家族はぎくしゃくし出すことだろう。もしそうなったら二度と修復することはできなくなる。そんな家族を私は見たくない。それならいっそ忘れたことにしてそのままにしておいたほうがすべて上手くいくと私は思う。申し訳ないが、家内には忘れたと伝えてくれないか」

 横井氏は良壱のほうに向き直り、深く目を瞑りながら頭を下げた。

「わかりました。そうおっしゃれるならそういたします。それはいいんですが、ここで横井さんにお会いした証拠として、写真を一枚写させて頂きます」

 良壱はウエストポーチからスマホを取り出すと、横井氏に向けてシャッターを押した。

 良壱は何度も振り返りながらベンチから離れると、おもむろにしゃがみ込んで下界に戻る準備をはじめる。いつもの決まった作法だった。

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