第31話
寝静まった気配に良壱は電気ストーブのスイッチを切って小部屋に向かった。
LEDのスタンドのスイッチを入れ内側からロックをすると、おもむろにイスに坐った。
密閉された空間はわずかな灯りでも目頭が痛くなるくらい眩しい。今回はダンボール箱がないから確認することもなくスタンドを消して指を組む。目を閉じて集中に入る。やがていつもの黒とオレンジが入り混じったスクリーンが目の前に現れ、足もとから徐々に吸い込まれ次の瞬間ぐるぐると全身が回転しはじめた。
ゆっくり目を開けると、そこは以前何度も訪れたことのある花畑の真ん中だった。やはりあの白いベンチはいつもどおり陽光を跳ね返している。事前にしっかりと写真に目をとおしてあるので、見紛うことはまずない。
良壱は静かにベンチの端に腰掛けて待った。だが、なかなか待ち人が姿を見せない。やはりこういった依頼は無理だったのかもしれない――徐々に不安が募りはじめる。負の状態ばかりが頭を過ぎり、しまいにはこれまでのすべてが否定されても不思議じゃないくらいの虚脱感に見舞われた。
半ば諦めの気持で何気なく右のほうを向いたとき、それほど背の高くない小太りの紳士が、花畑のほうをまっすぐ見たまま立っていた。良壱は予期しなかったことに気が動転すると同時に安堵感が全身を奔り抜けた。
「あのう、横井様でしょうか?」
勢いよくベンチから立ち上がったのはよかったが、良壱の声は震えていた。
「そうですよ」
横井氏はまだまっすぐ見たままで答える。
「じつは奥さまから頼まれたことがございまして……」
「ああ、いわなくても察しはついとるよ。あんたが聞きたいのは金庫のダイヤル番号なんだろ?」
ようやく良壱のほうに顔を向けた。
「そうです、おっしゃるとおりです」
「いずれわかることだからあんたに話すけど、あの金庫のなかにはおおっぴらできない金、つまり裏金が三千万ほど入っている」
「えッ! さ、三千万?」
良壱は耳を疑った。
「そうだ。あの金は私が死んだときのために貯めておいたものだ。あんたは家内から聞いたかどうか知らないが、私は心筋梗塞でこっちに来たんだよ。人間というのは欲深い生き物でな、自分だけはいつまでも死なないと思っている。この私も例外ではなかった。ところが人間には必ず『死』というもが訪れる。ひとりひとり寿命というものが違うから、それがいつかはわからないがな。だが必ず訪れるのだから前もってその準備をすれば問題ないのだが、いまいったように自分だけはという思いが強いのでなかなかそれができない。
この準備というのは、あんたのように若い人はする必要がないのだが、ある程度の歳になると、どうしても先のことを考えるようになる。それがわかっていながら準備を怠ったために、金庫のなかのことも、金庫の開け方も知らさずじまいでこちらに来てしまった。それに関してはずっと気に病んでいたんだが、これで安心だ」
そこまで話すと、横井氏はひと息ついてベンチの背もたれに身を預けた。
「すいません、僕はまだ『死』というものについて真剣に考えたことがないのでわかりませんが、ある程度の歳が来たら誰しも考えるものなんでしょうか」
良壱は素直に質問をする。
「いや、すべての人間がそうだとはいわないが、多くの人は予期することだろう。私もある時期に『死』について深く考えたことがあった。それと同時に死とは切っても切れない宗教というものにぶち当たってしまった。
人はなぜ仏教の宗派というものにこだわるのかということだ。私は事あるごとに訊いてみた。すると多くの人は自分の家の宗派についてあまり考えたことがなく、ただ先祖の代から伝わってるのでそれを引き継いでいると答える。まあ江戸時代にそういう規則を拵えたのだから仕方がないのだが、例えば先祖が浄土真宗だとして、宗教を選択する自由があるのだから自分自身キリスト教を信仰しようとすればそれも可能なことだ。でもその子供はどうなる? そうなるとその子の先祖の宗派というものはキリスト教になってしまうことになる。
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