第28話  9

 次の日の朝のことだった。清架が事務所の丁度拭き掃除を終えたときだった。デスクに置いてあったスマホが鳴った。

「電話よーォ」

 大きな声でトイレに行っている良壱を呼ぶ。急いで戻った良壱はすぐに電話に出た。しばらくして電話を切ると、

「よかった、仕事が入った。まあ金を受け取るまでは安心できないけどな」

 良壱はいつも以上に喜んでいる。どうやらそれは清架に関係しているようだった。

「よかったね」

「うん、横井と女性なんだけど、あと一時間ほどでこっちに来るそうだ」

 良壱の顔は崩れっぱなしだ。

「ヨカッタナ」

「ああ、よかった。上手く行くことを願うばかりだ」

 きょうばかりはバタやんに優しい言葉で返す良壱だった。


 丁度一時間したときに、玄関ドアがノックされた。顔を覗かせたのは、六十代半ばの婦人で、美容院に行きたてなのか黒い髪に綺麗にパーマがあたっている。ウールのコートを脱ぐと下には明るいピンクのカシミヤセーターを着ていた。

「先ほど電話させて頂いた横井でございます」

 横井婦人は上品な話し方で自己紹介をした。

「はい、お待ちしておりました。さあ、こちらにどうぞ」

 良壱は丸イスを手のひらで指す。

 はじめてのお客に清架は戸惑いながら、自分の居場所を探そうとする。客にお茶を出す習慣がなくて客用の湯呑が置いてないので、お茶を淹れに行くこともできない。二階に上がれば良壱の仕事を研修することができない。イスはひとつしかないので事務所の隅でじっと立ったままでいるよりなかった。

 まず良壱は簡単に電話でシステムを説明したのだが、もう一度説明し最後に壁に貼ってある料金表で了解を得る。

「結構です」

 横井婦人は目を細めた顔で軽く頷いた。

「そうしましたら、今回のご依頼品は?」

「お願いしたいのは依頼品じゃないんです」

 横井婦人は口もとに手を当てながら申し訳なさそうにいう。

「えッ? 依頼品じゃないって、どういうことでしょう?」

 良壱は一瞬婦人が何をいいたいのか理解できなかった。

「じつは……お恥ずかしい話なんですが、今回自宅をリフォームしようと思ってるんです。

ところが、五年前に亡くなった主人が大事にしていた金庫があるんですが、どうにもその金庫が邪魔でしょうがないんです。それも開けられれば使いようもあるのでしょうが、鍵屋さんに相談しても閉口するくらい頑丈なんです。しかしなかに入っているものを確認しないと処分のしようがないんです。

 そんなある日知り合いからお宅のことを耳にしたものですから、一度相談をしてみようと思ってお邪魔したという次第です」

 横井婦人は澱みなく経緯を説明したが、余程困っているような表情を見せている。

「私どもに何を希望されているのでしょうか」

 ここまで説明を聞いたが、まったく主旨が掴めないままでいる。

「はい、それでこちらにお願いしたいのは、主人に会って金庫の番号を聞いて来て頂きたいんです、いかかでしょう?」

 良壱はこれまで数え切れないくらい依頼品の宅配をやってきたが、今回のようなケースは一度もなかったため、できなくはないとは思うものの返事をするのを一瞬躊躇った。

「やってみましょう。ただしこういったケースははじめてなので、問題はないと思いますけど、万が一履行できなかった場合料金はお返しいたしますから」

「よろしくお願いいたします」

 婦人はデスクに額がつくくらい頭を下げた。

「わかりました、もし番号がわかり次第ご連絡申し上げますから。ではこの依頼書に必要事項をご記入ください」

 婦人は丁寧に届け先の名前と連絡先を記入し、ハンドバッグからご主人の写真と封筒に入った料金を出して良壱に手渡した。そしてコートを手にしたまま何度も礼をいって帰って行った。

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