第23話

 肉が煮えるまで父親はビールの瓶を差し出す。良壱も無言でグラスを差し出す。母親は台所とダイニングを忙しげに行き来している。そこには会話というものがなく、ただ鍋のなかで肉の煮える音だけがやけに大きかった。ひと切れ、ふた切れ、お互いに何もいわないまますき焼きの肉を食べつづける。

「どうなんだ、仕事のほう」

 痺れを切らしたように、ようやく父親が口を開く。

「まあ、普通」

 そんな切り口上では良壱としては本当のことを話したくなかった。これまで父親と喧嘩したこともないし、目立って反発したこともなかった。逆にこれまで何もいわずに好きなようにさせてくれたことを感謝しているぐらいだ。それなのに正直に話すことのできない自分が不思議でならなかった。

「会社というところは人間関係の難しいところだ。商社なんて特にそうだ。だから上に嫌われんように上手くやれよ」

 良壱は、久々の実家なのになぜこの父親はわざわざそんなことをいうのか理解できなかった。

「わかってる」

「たくさん食べなさいよ。でも社員寮は食事の管理もちゃんとやってくれるのよね?」

 母親はやはり我が子のことが心配でならないらしい。

「うん、俺さあ、いま社員寮を出てアパート借りてる」

 良壱ははじめて真実に近いことを親に話した。

「あら、またどうして? あんた何もいわなかったじゃない」

 母親は食べるのをやめて良壱の顔を見る。

「だってもう子供じゃないんだから、そんなこといちいち相談するわけないじゃん」

「そうだけど、引っ越せば住所が変わるでしょ。そしたら宅配便だっておくれないじゃないの」

「宅配便なんて送って来ないじゃないか」

「そりゃあ、いままでは社員寮って聞いてたから、遠慮してたのよ。アパートで独り暮らししてるんだったら必要なものいろいろ送ってあげるから、あとで住所を書いときなさい」

「わかったよ」

 偶然かどうかわからないが。良壱は一年半の間母親が宅配便を送らなかったことを感謝した。だが、送ってくれてたほうがここまで苦しまなくてすんだかもしれない、と形にならない後悔が脳裏を過ぎった。

「母さん、ビール」と、父親。

「はいはい」

 母親は冷蔵庫から冷えたビールを取り出し、父親に渡すとすぐに台所に戻った。

「はい、これ。あんたの大好物」

 母親が良壱の前に置いたのは、車麩の玉子とじだった。

「おう、これが食べたかったよ。時々思い出すんだこの車麩を。たまに居酒屋であるんだがどうしてもこの歯応えじゃなかった。そうそう、こっちの味噌汁が飲みたいんだけど、明日作ってくれる? 名古屋はどうしても赤味噌が多くて俺の口には合わないんだ」

 良壱は長いこと食べてない母親の料理に舌鼓を打ちながら甘えてみた。

「いいわよ、お味噌汁ぐらいならいつものことだから、あらためて頼まれなくたって」

 母親はそういったものの、久しぶりの息子の甘えが心地よかった。

「ところで、おまえ、いつ帰るんだ?」

 ビールのグラスを置いて良壱のほうに顔を向ける。

「明日の昼過ぎ」ぶっきらぼうに答える。

「そうなんだ。お父さんは明日休みだから、どこか行きたいとこがあったら連れてってやろうと思って……」

 なぜか父親は息子の良壱に遠慮がちにいう。

「うん、大丈夫。だって、昼過ぎには駅に行こうと思ってるから、そんなに時間がないんだ。また今度来たときに頼むよ」

「そうか」

 家族の会話らしい会話はそれで終わってしまった。そのあと良壱は風呂に入り、そのまま二階の部屋に閉じこもってしまった。

 良壱の心境は複雑だった。たまにしか帰って来ない実家なのに、自分の都合だけで堅苦しくしてしまっている。かといって、どうしても口に出すことができない。何もいわずに黙って料理を作ってくれる母親の顔を見ていると余計に話せなかった。

(ひょっとして、母はすべてをわかっているのかもしれない……)

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