第12話  5

 良壱は依頼人が帰ると、早速依頼品に似合ったダンボール箱を探し、気をつけながら隙間に詰め物をして封をした。

 きょうの夕飯は簡単にインスタント焼きそばだった。それに即席のナスの味噌汁をつける。良壱は料理が苦手なので、これまで自炊というものをしたことがない。台所に立つのは、お湯を沸かすときか、食器を洗うときぐらいだ。こんな生活をつづけるのは躰によくないからそろそろ自分で作るようにしないと、と思ってはいるのだが道具や調味料を揃えることを考えると、つい先延ばしになってしまう。

 食事をすませ、満足するまでスマホのゲームやった良壱はおもむろに立ち上がると、これまでとは別の険しい顔になって階段を降りる。

 トイレから出ると、玄関ドアのロックを確かめ、事務所のデスクの上に置いてあった依頼品を手にした。そしてあの小さく間仕切られた部屋のドアを開けてなかに入った。

 部屋のなかには部屋の幅いっぱいのデスクとイス、それとLEDの小さなスタンドがあるだけだった。

 良壱はダンボール箱をデスクに置くと、神経を集中するように眉根に力を入れた顔でドアを閉めた。そして照明を消す。そのとたんまるで壺のなかの世界にいざなわれたようなまったく色のない空間ができ上がった。イスに坐り、両手を組み合わせる。これまでに同じ動作を何度も繰り返しているので、不安はいっさいなかった。

 一分…、二分… 良壱は瞑目しつづける。

 やがて黒とオレンジの綯い交ぜになった渦が額のあたりでゆっくりと回りはじめ、それが徐々に早まり、ついには色褪せて白い色に変わった。そこまで行けばあとはその絹のような淡い白色が透明になるのを待つばかりだ。


 良壱がゆっくり目を開くと、そこは鮮やかに咲きほこる花畑の真ん中だった。あたりを見回すと、果たしてあの白いベンチが明るい陽差しを受けて待ちわびている。

 ゆっくりとベンチに近寄る。どこからか花の香りの乗せた涼やかな風が吹いて来る。しかしそんな悠長な気分ではいられない。良壱は依頼品をベンチにそっと置いたあと、焦る気持で人影を探す。

 左のほうに顔を向けて遠近含めて探すものの、まったく気配がない。ただ燦々と降りそそぐ陽光だけが斟酌なく弾けている。諦めつつゆっくりと反対側に視線を移したとき、ベンチの端にひとりの老人が坐っているのに気づいた。

突然の出現に心臓が停まりそうになった良壱は、ごくりと唾を飲んだあと、手にした写真と見比べてみる。どうやら写真の人物に間違いなさそうだ。

「梅澤さんでしょうか?」

 少し震えた声だったが、思い切って訊いてみる。

「はあ、私が梅澤邦夫です」

 ほとんど聞こえないような声だったが、周囲が静かであったことで何とか聞き取れた。

「じつは、これを奥さまから預かってきたのですが……」

 良壱はダンボール箱を開けてなかから桐箱を取り出した。箱を見るなり梅澤老人は、何が入っているのかわかったらしく、突然皺多い目尻からぼろぼろと涙を零した。

「ありがとう、ありがとう」

 梅澤老人は箱のなかから抹茶茶碗を取り出すと、両手で包むようにして持ち、そしていと惜しむように目を細めて何度も茶碗を撫でた。

「お渡しできてよかったです」

「遠くからわざわざこれを届けに?」

 梅澤老人はほとんど聞き取れないような小さな声だった。

「……」

 良壱は報酬をもらって――つまり仕事で届けに来ているので、感謝の瞳の梅澤老人への返事に困った。

「この茶碗は、正直なところすごく高価な代物で、ある骨董屋で出会ってからは、欲しくて欲しくて夜も眠れぬくらいでした。我慢できなくなった私は、ある日家内に内緒で骨董屋に行き、少し安くしてもらって購入したんです。

 日々この茶碗を眺めていると、とても心が休まりました。でもある日突然こちらに来ることになったのですが、やはり毎日が淋しく思ってなりませんでした。そんな私の気持を察して家内は送ってくれたんだと思います」

 梅澤老人はまっすぐ正面に顔を向け、果てしなく広がる花畑を見据えたまま話した。

「素敵な奥さんですね」

「こうなってしまってからいうのもなんですが、よく尽くしてくれました。これからは自分の好きなことを存分にやって欲しいとお伝えください」

「わかりました。必ずお伝えします」

 良壱は梅澤老人が喜ぶ姿を見て、この仕事をやってよかったと感慨に耽りながら少し放れてスマホで証拠となる写真を撮った。

 ゆっくりと後ずさりしながらベンチから離れた良壱は、豆粒のようになった梅澤老人を見ながら帰り支度にかかる。やはり来るときと同じように瞑目したまま両手を組んで集中し、脳裏に事務所の光景を思い浮かべる。すると、目蓋の裏側がぐるぐると回転しはじめ、やがて足もとにぽっかりと穴が開いて躰が宙に浮いたと思った瞬間、すぽんと呑み込まれた。いつものことなので良壱は別に愕きはしない。

 無事事務所に戻った良壱はすっかり体力を消耗し、早々に二階の寝室に行くと、そのまま布団の上に倒れ込み、明くる日の昼近くまで泥のように眠りこけた。

 夕方近くになって良壱はスマホの梅澤老人の写真をプリントアウトすると、依頼が完了したメッセージと、梅澤老人の伝言を添えて依頼主の梅澤夫人のもとへ郵送した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る