第2話  2


 七坪ほどの床がコンクリートのままの事務所には、スチールの机が一基と事務用のイス、それと来客用のよく食堂なんかで見かける座板に丸い穴の開いた赤い丸イスが一個あるぐらいで、机の上には百円のボールペンとどこにでもある大学ノートが一冊載っているだけだった。

 部屋の隅には使い古したダンボール箱が二、三個山積みされており、そのすぐ上にはバタやんの入っているケージが天井から釣り下がっている。

 事務イスの後ろにはベージュ色のカーテンが下がっていて、その向こうに天井までの焦げ茶色のパーティションに間仕切られた、一メートル四方の小さな物置のような部屋が拵えてあった。

 表に面した外壁には、天井近くに一メートル幅で高さが三十センチの磨りガラスが嵌められた小さな天窓があるだけだが、ドアのガラスとその天窓だけでこの狭い事務所の採光は充分だった。これ以上大きな窓になると、西日がもろに当たる立地なので冷房が効かなくなってしまう。この大きさで設計した工務店に感謝した。

 良壱は石川県の金沢生まれで、大学も金沢の国立K大を卒業し、名古屋の総合商社に入社した。仕事は順調で何の不満もなく二年が過ぎようとしていたある冬のことだった。

 その日は前日に霙交じりの雨が降り、さらに強烈な寒冷前線の到来でいつになく冷え込みのきつい朝となった。目覚ましのベルが鳴っているのを知りつつも、時間ギリギリまで布団のなかにいた良壱は、朝いちばんで会議が入っているのを思い出し、朝食もまともに摂らないまま会社の寮を跳び出した。

 寮から地下鉄覚王山駅まではどんなに急いでも十五分はかかる。そういうときは、気持ばかりが先走り、肝心のタイヤである足がまったくついて来ない。良壱はそれでも何とか時間を取り戻そうと必死になって走った。

 駅へ行くには墓地を通らねばならない。最終的には合流することになるのだが、墓地を通るにはふたとおりの道順があり、ひとつは墓地に沿った道を行き、もうひとつは墓地を横断する道があるのだ。

 良壱はその日に限っていつもと違う横断する道を択んだ。もう一方の道は意外と平坦な道になのだが、やや距離が長い。もうひとつの横断するほうは何十段もの石段があるので時間を比較するとそれほど差がない。長いこと通っているのでわかってはいたものの、その日ばかりは横断の道に決めた。

 足もとに気遣いながら何とか石段のいちばん下まで降りた。そこまではよかったのだが、前方に目を向けると、簡易舗装のアスファルトの通り道に昨夜の雨が水たまりとなって行く手を遮っている。水たまりは薄氷が朝日を反射して白く光っていた。

 それを見た良壱は革靴が濡れるのを嫌って一瞬逡巡したが、目の端に映った墓の敷石を足場にしてその水たまりを跳び越えようと思った。

水たまりの端から弾みをつけて敷石へジャンプした。つづけて三段跳びのように反対の足を軸にして水たまりの向こうへ跳ぼうとしたとき、敷石の上にも薄っすらと氷が張っていたのに気づかなかった。

 足をとられた良壱は、前のめりになりながら何とか水たまりを避けて着地した。ところが足をついた場所がわるかった。アスファルトが切れていて、そこだけ砂利敷きになっていたのだ。勢いの停まらない良壱は砂利のなかに頭から突っ込んでしまった。

 都合のわるいことに、左手にはセカンドバックを抱え、右手は寒かったためにコートのポケットに入れていた。慌ててポケットから手を出そうとしたが、ときすでに遅く、良壱の顔は砂利の上を滑っていた。

(やばい、やっちまった)

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