第3話

 急いで立ち上がった良壱は、手足に別条がないことを確かめると、ヒリヒリする右手のひらを見た。親指の付け根の部分に、無数の芥子粒ほどの鋭く尖った細かい砂利が皮膚に喰い込んでいた。拳を作るように人差し指と薬指を曲げて触ってみたが、皮膚の下に入り込んだ異物は指先ぐらいで拭えるものではなかった。

 突然眉間のあたりに熱いものを感じ、反射的に指先を持っていくと、粘り気と激痛を同時に感じた。指先は鮮血で真っ赤に染まっていた。そして鼻筋に何か仄温かいものが伝い流れるのがわかった。

 そのときまだ良壱は早く会社に行かないと――という気持が先行していた。コートが血で汚れるのを防ぐために腰を折って俯く。するとふたたび眉間の部分が焼き鏝でも当てられたかのように熱くなり、瞬間血がぼとぼとと滴った。急いでズボンのポケットからハンカチを取り出し、傷口と思われる部分に押し当てる。恐るおそるハンカチを覗いて見ると、白いハンカチが鮮やかな赤色に染まっていた。

 良壱の脳裏に様々なことが浮かび上がった。しかしいまいちばん先にしなければならないのは、救急車を呼ぶかタクシーで近くの病院に行くかのどちらかだった。どちらにしてもここではどうにもならないと思い、ふらつく足で通りまで歩きはじめた。しばらくして、頭のなかが冷静になってみると、バス停近くに整形外科があるのを思い出した。

 待合室には結構患者が待っていた。だが、顔面から血を流した良壱の姿を見ると、最優先で診察室に連れて行かれ、診察台に寝させられるといきなり処置がはじまった。

 局部麻酔の注射が打たれると、医師は良壱の顔を覗き込んだあとピンセットで、耳もとに置かれた腎臓の形をした膿盆に傷口に喰い込んでいる小石を摘み出す。そのたびにからんからんと乾いた音が聞こえた。

 縫合は三十分ほどですんだのだが、「肉が抉れてしまっているので、ひょっとしたら傷跡が残るかもしれませんよ」と医師はいった。そういわれてもどうするわけにもいかず、「わかりました」というよりなかった。そして医師は、「傷がもう少し左右のどちらかにずれていたら、三戸さんは間違いなく失明してました。本当に運がよかったです」と付け加えた。

ひと安心した良壱は待合室から会社に「少し遅れます」とスマホで連絡したあと、タクシーを拾って会社に向かった。

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