Teenager's High〔take2〕

岩井喬

第1話【第一章】

【第一章】


 パタタタタッ。

 ストトトトッ。


 リズミカルな音がする。それは、どこか遠く、あるいは近く、まるで薄いベールの向こうから聞こえてくるようだった。

 野菜を刻むような、木板に釘を打ち込むような、日常的な音。しかし、どこか違和感を覚える。妙なざらつきが、響きに含まれているのだ。この感覚は、一体何だろう? 

 時折混じるチリチリという鋭い打音が、俺に迫ってくる。『早く考えろ、思い出せ』と。俺も、このままではいけないと焦らされる。だが、この薄いベールが邪魔をして、自分の意識が混濁してしまう。


「ん……」


 喉から出たのは、軽い呻き声だった。頭がぐわんぐわんと鳴り、洗濯機にぶち込まれたらこうなるんだろうな、などと連想する。そこでようやく、俺は瞼の感覚を得た。ゆっくりと開き、視界を手に入れる。

 するとちょうど、誰かの姿が横から滑り込んできた。


「おい佐山、佐山!」


 佐山? ああ、俺のことか。そうだ。俺は佐山潤一という名前だった。どうして忘れていたのだろう。

 などと思いつつ、俺はその人影のことを考えた。若い女性だ。黒っぽい服装をして、しゃがみ込んで俺の両肩を掴み、揺すってくる。それに合わせて、彼女の長いポニーテールが右に、左にと流れる。


《おい葉月! 潤一はどうした!》


 切羽詰まった男の声が、零距離で耳に叩き込まれた。重低音と言ってもいいような、ドスの効いた声だ。


「待て憲明! 佐山は脳震盪を起こしたようなんだ!」


 脳震盪? 俺が? 一体何故?


「突入の直後にコンテナが崩落しただろう? あれで頭を打ったんだ!」


 目の前の、葉月と呼ばれた女性が、憲明という男性に言い返しているようだ。憲明の姿は見えないが。


《脳震盪だか脳挫傷だか知らねえが、さっさと潤一に戦わせろ! これじゃあ俺たち、押し切られるぞ!》

「仕方ない……。許せよ、佐山」


 そういって、葉月は何かを拾い上げた。銀色のパーツが鈍い光沢を放つ。これは、拳銃だろうか。何故そんな物騒なものがここに?

 しかし、そんな疑問は一瞬で消し飛んだ。葉月が、拳銃の把手で俺の頭、正確には右側頭部を強打したのだ。


 次の瞬間、俺はようやく、本当の意味で意識を取り戻した。いや、覚醒したと言った方がいいかもしれない。断線していた電気回路が急に繋がり、太陽くらいの大きさの豆電球が輝く――例えて言えばそんな感じだろうか。


 俺はまず、自分の状態を確認した。四肢は無事。全身の神経を張り詰めさせるが、外傷はない。頭部以外は。姿勢はと言えば、床にぺったりと尻をつき、四肢を脱力させて、背部を何かに預けている。


 俺は水浴びをした犬のように、ぶるぶると頭を振った。そこで、相互通信用のヘッドセットが頭部に装着されていることを確認する。憲明の声は、ここから聞こえていたのだ。

 半ば前転するような感覚で、俺はずいっと顔を前に突き出した。


「葉月、状況は?」


 慌てて身を引いた葉月に向かい、俺はありったけの情報を得ようと食いついた。

 確か今日の作戦決行場所は、湾岸部のコンビナート。コンテナ収蔵用の大型倉庫内だ。殲滅目標は、オランダからの麻薬密輸業者と、ブツの受け取り手である暴力団の一部。

 そこまでを思い出すのは一瞬だった。問題は、俺が気を失ってボケていた間に変化した戦況だ。


 葉月は一度、大きく頷いてから、状況の説明を開始した。


「敵の警備の人数が予想以上だった。憲明の言う通り、このままでは我々は追い込まれて返り討ちに遭う。佐山、状況を――」

「任せろ」


 葉月に全てを言わせるのももどかしく、俺はそう断言した。そう。状況打開の切り札として、俺はこうしてここにいるのだ。


 まずは武器。葉月から拳銃を一丁受け取り、床に置かれていたもう一丁を取り上げる。二十二口径の、同じモデルの拳銃だ。初弾が装填され、弾倉がきちんと込められているのは、持った瞬間に察せられた。覚醒状態の俺なら、重さだけで装弾数を計ることができる。


 次に状況。さっきから聞こえていたリズミカルな音は、間違いなく銃声だ。十中八九、自動小銃の。そうか。ぼんやりと『ざらつき』だと思った感覚は、殺気のことだったのか。


 俺が背中を預けていたのは、背の高いコンテナの一つだった。どうやらこれが遮蔽物の役割を果たしてくれていたらしい。俺は二丁の拳銃を手に、再び背中をコンテナに押しつけて、じりじりと横に移動した。

 途中、コンテナの合間の床を、銃弾が連打していった。ピアノの連弾みたいだ。


 反対側のコンテナの陰には憲明がいる。その大柄な体躯と比べると、自動小銃(葉月のものと同じモデルだ)がやたらとちっぽけに見える。

 俺の視線に気づいたのか、憲明は手信号で、倉庫の奥の方を見るようにと指示を出してきた。唇を舌で湿らせながら、俺はそちらを覗き込む。


 コンテナの配置は実にシンプルだった。倉庫の手前から奥まで、壁に沿って並んでいるのだ。ちょうど都心のビル群が、隙間を空け、大通りを造り出すかのように。

 俺はまず葉月に頷いてみせ、それから憲明に告げた。


「援護しろ!」

《おう!》


 俺がコンテナの陰から脱兎のごとく飛び出す。すると、憲明はごろりと腹這いになって、倉庫奥へと牽制射撃を開始した。

 天井に掛けられた淡い電灯の下では、敵の明確な姿は見えず、それらはぼんやりとした影にすぎない。しかし、それは常人にとっては、の話だ。俺には見える。覚醒状態の俺には。


 敵の銃火をかいくぐり、俺は反対側のコンテナに向かって駆ける。そして、絶妙なタイミングで射撃を止めた憲明の前で、身体を捻りながらコンテナを蹴った。

 軽く跳躍し、蹴りつけたコンテナを凹ませる。その反動で、俺は一気に空中へとその身を躍らせた。三角跳びの要領で、俺は飛び出したのだ。


 目測では、この倉庫の天井は高さ二十メートルほど。十分なスペースがある。そして前方に視線を遣ると、驚愕した敵の間抜け面がよく見えた。

仲間同士で何かを言い合っていたが、そんなことはどうでもいい。俺は迅速に、かつ精確に敵との距離を詰めていく。重力を無視した挙動を取る俺に、敵は誰もが手を止めてしまっていた。

 今からくたばる用意はできたか? 案山子みたいに突っ立ちやがって、いい的だ。


 三度目の跳躍。拳銃の射程範囲に敵を捕捉した時点で、俺はぐっと両腕を前方に突き出した。扱い慣れた引き金を引く。パン、という乾いた音と共に、敵の額に真っ赤な華が咲いた。

 四度目の跳躍で、今度は二回。これで、三人の敵を仕留めた。


 俺は小口径の拳銃を用いる傾向が強い。口径が大きくなり、威力が高くなると、敵の頭を撃ち抜いた時に『いろいろなもの』が飛散することになる。それは何と言うか、スマートさに欠けるのだ。


 次の跳躍で再び二人をあの世へ送り、一旦俺は着地した。今度は床を蹴り、横っ飛びして敵の銃火から逃れる。そのままコンテナの陰へ。

 その直後、俺の着地した床面で爆発が起きた。


「くっ!」


 流石にこれは想定外だった。敵がグレネード・ランチャーを携行していたとは。

 射程は短いが、当然ながら威力は高く、拳銃や自動小銃の比ではない。奴をここで仕留めなければ、後衛についた葉月と憲明に危険が及ぶ。


 弾倉の交換にはまだ早いか。そう判断した俺は、グレネードを持った大男を視界の中心に入れ、駆け出した。再び床を蹴って横っ飛びし、敵の火線から逃れる。

 グレネードは弧を描くように発射されるので、中途半端な高度にいるとかえって危険だ。俺は低姿勢を維持して、大男の左右の敵を先に駆逐し、一気に接敵した。勢いそのままに、大男の懐へ滑り込む。それでも敵は、飽くまでグレネードを手離さず、俺に狙いをつけようとしている。馬鹿が。


 俺は大男の手元を狙い、サマーソルトを繰り出した。俺のコンバットブーツのつま先は、綺麗に敵の拳を直撃し、その手からグレネードを蹴落とした。

 俺の勢いは、そこで止まらない。そのまま縦に一回転したのだ。再び両足の裏を床につき、拳銃を二丁とも、相手の両目にぴたりと据える。

 何が起こったのか分からずにいる相手に向かい、俺は一言。


「あばよ」


 そして、躊躇いなく引き金を引いた。重装備だった大男も、これにはひとたまりもなかっただろう。即死したことは、倒れゆく相手の身体が完全に脱力しきっていることが証明している。

 ガタン、と鈍い音を立てて、グレネード・ランチャーは床に落ちた。


 そして俺は、相手の死角を縫うようにして、再びコンテナの陰に入った。しかし、銃声は聞こえてこない。

 そっと顔を出すと、大男の死体の周辺には、三、四体の死体が転がっていた。俺が仕留めたものではない。側頭部や後頭部が撃ち抜かれている。


「いい腕だ、和也」

《サンキュ、ジュン》


 俺が声を吹き込んだ相手。それは、俺、葉月、憲明に次ぐ四人目のメンバーだった。狙撃担当の和也。今はこの倉庫から五百メートルほど離れたビルから、援護射撃体勢を取っているはずだ。

 見れば、向かって左側の倉庫の扉ががら空きになっている。そこから弾丸を撃ち込んできたに違いない。


《ねえジュン、葉月は無事? 怪我してないよね?》

「心配するな。それより、お前は撤退準備をして、回収ポイントに移動しろ。もうじき終わる」

《了解!》


 そこでようやく、俺は二丁の拳銃の弾倉を交換した。

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