「それは豚肉ですか?」「いいえ、鶏肉です」
朝は特に血圧が上がらない私は、家の中をゾンビのように移動しています。
そんなゾンビ──もとい、私に優しく接してくれる母様には、感謝しかありません。
「まるちゃん、おはよう」
今日も笑顔が素敵ですね、母様。
「……おはよう、ございます……」
「今朝も辛そうね」
「……血が、上がれば……」
貧血状態だけでも改善すれば、動けるようになるんですけどね。
ダメな時は、夕方になってもダメですし。
「トマトジュース飲む?」
「…………いただきます……」
「ちょっと待っててね」
「……はぁい……」
ようやくキッチンのテーブルにたどり着き、座ると同時に椅子にもたれかかります。
「あらまぁ、今日も立派なタコさんねぇ」
トマトジュースの缶を手に戻ってきた母様が、苦笑します。
軟体動物のようだと言いたいらしいです。
「……そうですね……あー、ありがとう、ございます……」
ステイオンタブを開けてもらい、トマトジュースを少しずつ飲みます。
「ママ、朝ごはんのお支度するけど……大丈夫?」
「……はい。ダメそうなら、ヘルプコール、します……」
「そうして」
キッチンに向かった母様。
間もなく、調理器具の軽快な音が聞こえてきました。
しばらくして──
「あっ!」
「……どうしました……?」
「やだもう、まるちゃんたら」
「……え?」
……私ですか?
「見て、これ」
近くに来た母様が印籠のように差し出してきたのは、ポリ袋に入った半解凍のお肉でした。
「〝豚切り落とし〟って書いてあったから解凍したのに、鶏さんだった~」
「うわーん」と言われましても。
私はぼーっとする頭で、ポリ袋を見つめます。
〝豚切り落とし〟
マジックで大きく書いてありますね。
確かに、私の字です。
……さて、困りました。
ぷんすかしている母様が納得する答えを見つけないと、
「犯人はまるちゃん」
で確定してしまいます。
状況証拠では、今のところ100%実行犯ですからね。
まだ思考を巡らせるほど快復はしていないんですが、これを書いた時の状況を何とか思い出してみることにしました。
──あれは、買い物後に母様がお肉を整理していて……
……そうそう、私はお肉を小分けしたポリ袋に、品名を書く係でした。
『まるちゃん。これ、豚さんの切り落としね』
『了解です』
……あ、この場面です。
「……母様」
「なぁに?」
ぷんすか継続中の母様に、真実を伝えます。
「……書いたのは私ですけど、言ったのは母様ですよ……」
「え?」
目をぱちくりさせています。
肉らしい……いや、憎らしいほど可愛らしい。
「……小分けにする時……『豚の切り落とし』と聞いたので……」
「ほんと?」
「……はい。そのとおりに、書いただけなんですが……」
完全に解凍していれば、鶏肉くらいは色でわかるんですが……半解凍の状態ですら、何のお肉かわかりません。
もっと言えば、魚介類の区別もつきません。
冷凍されたパックに、もし違うシールが貼られていたとしても、気づかない自信があります。
胸を張って言えますよ。
「……あの時、いくつものパックを、同時進行で小分けにしましたからね……」
「あ……冷凍が溶けちゃう前にって、焦ってたから……」
「……たぶん、その時に混ざっちゃったんだと……」
「あぁ……」
ガックリと項垂れる母様。
「ごめんね、まるちゃん」
「……いえ。……責任の一端は、私にもありますから……」
だから、そんなに萎れなくても良いですよ。
「……その鶏さんは、使えませんか……」
「うーん……材料見て、考えるわ」
もう一度、
「ごめんね」
と言い残して、母様はキッチンに戻っていきました。
予定外の鶏肉は、最近、我が家のメニューに加わった〝簡単トリエビチリ〟へと見事な変身を遂げていました。
ただ、この日はエビを解凍していなかったので、正確には〝簡単トリエビチリ・エビ抜き〟でした。
美味しかったですよ。ありがとうございます、母様。
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