第3話 鏡の向こうはセピア色


 セピアっていうのは、もともとは、イカ墨のことを言うんだよ。

 そんなことを私に語ったのは、新聞社でカメラマンをしていた友人でした。


 大阪人で、東京に出てきて、報道写真を専門として、しかし、どこかにカメラマンとして歴史に残る作品を残したいと野心を持っていた男です。

 私が、まだ、男たちの髪の毛が短く、何ものをも疑うことがなかった時代、大手町の新聞社の社屋の喫茶店で知り合ったのが彼でした。


 歳の頃も同じ、いまだ発展途上にあった私たちは、たちまち、意気投合したのです。


 喫茶店で一番安い、そのコーヒーをゆっくりと飲みながら、彼、セピアの由来の話を始めたのです。


 昔の写真は、卵の白身を使って、表面に塗布膜を作り、それに硝酸銀を反応させて感光するんだ。質感も、グラデーションも、そこに彩色もできるんだと、私の知らないことを彼はよく知っていたのです。

 でも、経年劣化で、黄ばみが出てしまう。


 その色合いが、実は、イカ墨色だったというわけだ、などと私に語ったのです。


 私は、東京の埼玉に近い、竹ノ塚というところで生まれ、育ちました。

 妙な縁で、その竹ノ塚に祖母の墓があったのです。天理教の神様になった祖母ですが、墓も持っていたのです。


 竹ノ塚からつくばに転居して、十年ほど経った頃のことです。

 三十三回忌の法要だったかと思いますが、そんなんで、私は、生まれ育った竹ノ塚を久方ぶりに訪れたのです。 


 私の生まれ育った家があった出口の方は、反対側のそれとは違って、昔からの街でした。

 寺や用水路、ちょっといけば、今も田畑があるようなそんな佇まいを見せる街だったのです。


 私は、法要が始まる前、ちょっと早くに竹ノ塚に行って、私が生まれ育った街へと足を運んだのです。


 駅前には昔からの蕎麦屋さんが今もありました。鰹だしのいい匂いが昔のまま漂っていました。何ら変わりのない、それはありようであったのです。


 エリカなどという喫茶店も秘密の場所のように、そこにありました。

 タバコ臭い匂いをプンプンと流してくるパチンコ屋さんも、そして、その裏手にあった、友人の平屋の家も昔のままにありました。


 何もかも、一切が昔のまま、変わっていなかったのです。


 街なんて、そうそう簡単に変わるものではないのだ、と思いながら、私は、以前、用水路のあった、そこを蓋して、道を広げた大通りを渡り、中学校へと通じる道を進んでいきました。


 その道筋に、私の生まれた鉄道会社の社宅があるのです。

 しかし、大通りを渡ってその先は、駅前の様子が昔のままであったのに対して、すっかりとその姿を変容させていました。


 びっくりしました。

 街はかくも姿を変えるものかと。


 小道が三叉路になっているのがせめてもの、思い出に残っている、証しとなっています。


 右の小道の方を見ると、中学生の頃、食パンにジャムを塗ってもらって、空いた腹を満たしてくれたあのパン屋さんが今もあります。

 この道を進めば私が通った小学校へとつながっていくのです。


 しかし、その道筋は、ずっと賑やかに、派手なものに変わっていたのです。


 真ん中の広い道の真正面には、中学校の校舎があります。

 校舎は建て替えられて、まるで、私学のそれを上回るような豪勢な校舎が、昔の面影を一掃していて、私は愕然とするのです。


 私は、左の道を進んでいきました。

 私が生まれ育った社宅は、もう、跡形もありません。


 そこには、団地が建ち並び、昔三角ベースで遊んだ、そこが今は公園になっていました。


 そして、公園に面して、今も昔ながらの床屋さんがありました。

 私の幼馴染のやっている床屋さんです。

 その隣には、これまた私の同級生のやっていた駄菓子屋さんがありましたが、しかし、今は店は開いていません。

 シャッターが重くおりたままになっていました。


 その隣には、魚屋があったはずです。

 私が、アルバイトをした魚屋さんです。

 その店は今、花屋になっています。

 あの魚屋のあんちゃんはどこへ行ってしまったのだろうかと、ちょっぴり寂しさを感じるのです。


 私は、三色サインポールがくるくる回る、幼いことから、何度も通わされたその床屋に入って行きました。


 友人が、随分と歳をとってそこにいました。


 「や、ひろちゃん、久しぶりだね」

 すぐに思い出してくれました。

 「じょうちゃんも元気そうで」

 本当は良ちゃんなのですが、子供の頃、彼、自分の名前を正しく言えなくて、じょうちゃんになって、それが大人になっても続いているのです。


 「今日は、法事?。座りなよ、ちょっと刈ってやるよ」

 じょうちゃんは、私の服装を見てそう言いました。

 そして、私を鏡の前の椅子に座らせたのです。


 一体、じょうちゃんと何を話したのか、不思議なことに、それは思い出せないのです。しかし、計り知れない郷愁に満ちた話であったことだけは確かです。


 「人がすっかりと入れ替わってしまったんだ、この辺り。だから、昔の人が来てくれると懐かしいよ」


 懐かしい、昔の人、と言ったじょうちゃんの言葉が、心の中でこだまします。


 私は、生まれ育ったこの竹ノ塚では、もはや、昔の人であり、懐かしい人になっているんだと、気がつくのです。


 竹ノ塚で、生まれ育ち、そこにずっと居続ける人と、そこから出て、あらたに住まう地に根を下ろした人間の、そこに、大きな境があるように、私は感じたのです。


 私が、駅前で、昔のままだと感じ、三又に分かれた道筋に入った時に、ここはすっかりと変わったと感じたのは、何も、その光景がそう感じさせたわけではなかったのです。


 カメラマンの友人は、こうも言っていました。


 セピア色というのは、そう、たとえれば、数値化できない想いを表現できる唯一のものだと。

 これは凄いとか、息をのむようだと思う時、誰も、それを数値では言い得ないだろう、これは百点満点で九十九点だなんて思わない、そうではなくて、ハッとするんだ。


 そのハッとした気持ちが、何年も心の中に置かれて、それが次第に色を変じて、記憶の中に留め置かれるんだ。 


 それこそがセピアの思い出というわけさ、って。


 床屋の椅子に腰掛けて、髪にハサミを入れられて、昔話をしながら、私は、鏡に映る光景が次第にセピア色になっていくのを見たのです。


 鏡の向こうに、私の家があり、母に手を引かれた私が嫌で嫌で仕方がないこの床屋に連れてこられて、坊ちゃん刈りにされるのです。


 そうかと思えば、じょうちゃんが妙ちくりんな写真をこれ見よがしに私に見せたり、石を投げて、近所の家のガラスを割って、一緒に逃げたりした、そんなことがセピア色の鏡の中に映り出されていったのです。

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