第62話/Awakening

第62話/Awakening


……ふぅー。

俺は心の中で、ほっと胸をなでおろした。

内心、どきどきだったのだ。断られたらどうしようかと思っていた。けどよかった、リルの協力なしでは、腕を使うこともできないところだ。これでなんとか……


「って、なな、なにしてるんだ!?」


「なにって、服を脱いでいる。善は急げというだろう?」


「ぜ、善って……」


「しかし、この枷はほんっとうに邪魔だな。脱ぎにくくてしょうがない……」


リルは俺の腕の中でもぞもぞ動き、囚人服の前をはだけさせた。


「な、なぜ脱ぐ……?」


「私だけじゃないぞ。君もだ、ほら」


「ぬわー!?」


腕が使えないのをいいことに、俺も半裸にされてしまった。


「よし、これでいいな」


「お、おい。いい加減なにしてるのか教えてくれよ」


「君の枷を外す準備だよ」


「あ、そうなのか?」


「うまくいくかは分からないけどね」


「おい!」


「ふふふ……」


リルは妖艶に笑うと、しなやかに抱き着いてきた。煤臭さの中に、女性特有のおまい香りが混じっている。

リルは耳元に口を寄せて、ささやいた。


「……君は、命を賭けると言ってくれたね。それなら、私にどんなことをされても大丈夫かな?」


どんなことも?ど、どういう意味なんだ……だけど今それを聞いたら、彼女は逃げて行ってしまいそうな気がした。


「あ、ああ。もちろんだ」


「ふふふ……なら、遠慮なく」


ひやり。首筋に、何か冷たいものが当たった。と思った次の瞬間。


ブスリ。

皮膚を、鋭いものが貫く痛み。その間も、リルは首筋に顔をうずめたままだ。

吸血鬼。首筋に牙を立てる、有名なワンシーンが頭に浮かんだ。この場合襲われるのが男で、襲う側が美女だったが。


「……っ」


首筋がじくじくと痛むが、俺は無言で耐えていた。リルを信じる。そう決めたんだ。


「……ふぅ。これでよし」


リルが顔を離した。その手にはいつの間にか、鋭くとがれたフォークが握られている。あ、刺さったのはそれか。


「んっ」


「あぁ!おい!」


いきなりリルは、自分の胸元をフォークで切り付けた。鋭く刻まれた筋傷から、真っ赤な血が胸の谷間に流れていく。


「なにしてるんだよ!」


「心臓に近いほうがいいんだ。大丈夫、ここで死にはしないよ」


な、なんのことだ?

混乱する俺をよそに、リルは自分の藤色の髪を一束つかむと、それを自分の血に浸した。

藤の先端が深紅に染まっていく……目の前の光景にくらくらした。


「ユキ、かつては刺青の墨には何を使っていたか、知っているかな?」


「え……ま、まさか」


「“血”だよ。天然の染料ってわけさ。ほんとはもう少し置いてからのほうがいいんだけど、そうも言ってられないからね……」


そう言うと、リルはまたも俺にギュッと抱き着いた。いや、俺の背中を……刺青を見ているようだ。


「君の血と、私のを混ぜて……うん、こんなものかな」


「……リル。きみを信じはするが、説明くらいはくれないか?」


「うん。とは言え、墨の準備ができて、針があって、彫師がここにいる。やることは一つだろう?」


「彫るのか、墨を……いや、違うか。きみの得意な……」


「そう。今から君の墨に、“継ぎ足し”を行う」


継ぎ足し……彫師の間で忌み嫌われたという、禁断の技法。


「前も話したと思うけれど、これは非常に危険な行為だ。というのも、どうなるか私にも分からないからね。もしかしたらとんでもない事になるかもしれないし、逆に何にもならないかもしれない」


「……ああ」


「が、残念ながら今のところ、その未知の可能性以外、君の枷を解き放つ術が見当たらない。ま、これも一種の賭けみたいなものだね。どうだい?」


「乗るさ。それ以外ないだろ?」


「オーライ。なぁに、悪いようにはしないさ。君と私は一蓮托生だからね」


リルは俺の首筋で、ぴちゃぴちゃとフォークに血をまぶした。


「よし。獅子の模様をベースに、その根幹を増強する。うまくいけば、最大出力が跳ね上がるはずだよ」


「わかった。やってくれ」


「うん。いくよ……」


グサッ。フォークが、俺の背を貫いた。ステリアに刺してもらった時と違い、先の太いフォークは痛みも段違いだ。それでも俺は、腕に力を込めて耐えしのぐ。この時ばかりは、この頑丈な戒めがありがたかった。リルをつぶさずに済んだしな。


「よし……いいぞ。うまく反応した。あとは……」


しばらくして、リルが満足そうにうなずいた。


「……リル?これで……」


その時だった。


ドクン!


「かはっ……!」


「ユキ!」


ドクン!


「か……体が……!」


体が焼けるように熱い。まるで皮膚の下を、煮えたぎる溶岩が流れているようだ。


「リルっ……離れろっ……ヤバそうだ……!」


「いやだ!一蓮托生だと言ったじゃないか!」


「ばかっ!それどころじゃ……」


ドクン!


あああああ、やばい。抑えきれなそうだ……!


ガシャアァァン!


なにかが、ものすごい音を立てて飛んでいった。

と同時に、俺の全身から紅蓮の炎が噴き出し始めた。


「ぐぅぁぁああアアアァァ!」


ドクドクと、全身の血管が脈打っている。指の先が震え、ビリリ!と何かが破れる音がした。見れば、俺の手足の指先から、鋭い鉤爪がのぞいている。


「グガアァァァア!」


口の中に鋭い痛みが走って、はじめて口が閉じれないことに気付いた。牙だ。歯という歯が尖った牙に変わっている。


「ガルォオオオォォォ!」


全身の筋肉が盛り上がる。その重さに体を支えていられず、思わず両腕をついた。まるで“獣”のように。

その時、腕の枷がぶっ壊れていることに気付いた。さっきすごい音で飛んで行ったもの、あれが拘束具だったのか。


「グルルル……」


「ゆ、ユキ?」


俺の首にしがみついたままのリルが、不安そうに声をかける。答えてやりたかったが、口が閉じれない俺はまともにしゃべることができなかった。


「ガルゥ」


「ひゃ!たた、食べないでくれ!さすがに食い殺されるのはいやだ!」


リルはぷるぷると体を震わせている。なら逃げればいいのに、リルはまだ手を放そうとはしなかった。

しかたない。俺は鋭く伸びた爪を使って、独房の床に文字を書いた。


「グルゥ」


「……ん?ユキ、君なんだよな?大丈夫……なの?」


「ガォ」


「おぉ……読み書きは問題ないんだね。ああ、びっくりした。本当にライオンになったのかと思ったよ」


今の俺の全身からは、紅いオーラが毛皮のように溢れている。おまけにこの牙と爪だ、確かにそうも見えるだろう。


「大丈夫、この効果はそこまで長くは続かないはずだよ。ちゃんとした墨じゃなくて、血はすぐに分解されて、吸収されてしまうから」


おお、それはよかった。ずっとこの姿じゃ、みんなに俺だと気づいてもらえなかったろう。スーなんか卒倒しそうだ。


「あ、それに手枷も外れてるじゃないか!なんだ、万事うまくいったんだね」


枷が外れたのは腕の筋肉が膨れたからというのもあるが、単純に力が強くなった気もしていた。

俺は試しに鉄格子をむんずと掴むと、思い切り引っ張ってみた。


鉄格子は歪むどころか、根元からバコンと外れた。


「グォ……」


「うわぁ……でたらめだな」


だ、だがまあ、これで脱出のめどは立ったな。

俺はもう数本格子を外すと、檻の外へ出た。そうだ、ここからが本番だ。

が、振り返るとリルがついてこない。彼女は檻の一歩手前で止まったまま、硬直していた。


「ルオォ?」


「わかってる、わかってるんだ……ただ、どうしても、緊張してしまって……」


リルは体を縮こまらせて、その場にうずくまってしまった。

無理もないな、励ましてやりたいところだが、あいにくと俺はしゃべれない。

悩んだ末、俺はおもむろにリルへと手を伸ばした。


「ユキ……?」


そのまま、鉤爪を振り下ろす。


「ひっ」


ガシャン!

リルの手枷が、おもちゃのようにバラバラになった。


「あ……」


そのまま、俺は握りこぶしをリルに差し出した。

リルも意図を察したのか、こつんと小さな手を重ねた。


「……そうだったな。私とユキは一蓮托生、パートナーだ。わかった、君を信じるよ」


よかった、リルの不安は和らいだようだ。

俺はリルを優しくつかむと、俺の背に乗せた。


「よし、いこうユキ!私たちの自由に向かって!」


「グオォォォォオ!」




「う、うわあぁぁ!」


「どわ!な、なんだ!?どうした!」


「わ、わからない!なにかが暴れている!」


「はぁ?なんだ、囚人の暴動か?」


「だからわからないんだ!そもそも、あれは人間なのか……」


「お前、寝ぼけてるんじゃないか?勘弁してくれよ」


「ちち、ちがう!嘘じゃない!ほら、もうすぐそこに……!」


ドカーン!


「ぐわ!な、なんだ!?爆撃か?」


「き、きたぁ!」


「あ、おい!クソ、なんなん……だ……」


土煙の中現れたのは、真っ赤に燃えるたてがみ、獰猛な牙。大の大人よりでかいそれは、どう見ても人間じゃない……!


「ば、化け物……」


「ほらほら!怪我したくないものは早く逃げるんだ!さもないと、この獅子の餌食になるぞー!」


「グルオオォォ!」


「ひっ、うわあああ!」


リルが大声であおり立てると、看守たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


「ようし、ユキ!今のうちに!」


「ガォン!」


俺は一声吠えると、逃げる看守たちを追いかけ始めた。奴らを倒すためじゃなく、出口を探すためだ。


「こんな異常事態だからね!逃げ出すとあらば、本能的に出口に向かうだろう!彼らを追っていけば、おのずと地上に出れるはずだ!」


「グオォ!」


狭い通路を、俺はズシン、ズシンと疾走した。


「と、止まりやがれ!」


うおっ。

前方に銃を構えた警官隊が整列していた。まずい、この狭い通路じゃ、逃げ道がない。

そのうちの一人が、引き鉄に手をかけた。撃たれる!俺はとっさにリルを背に隠し、腕を交差させた。


ダギューン!


放たれた弾丸は、俺の腕に……当たって、ぐしゃりと潰れた。え?どうなってるんだ。


「な、なんだこいつ……銃が効かないぞ!?」


「ばかな……!」


狼狽える警官たち。そりゃそうだろう、俺にもよく分かっていないのだから。

そんな俺たちをよそに、リルは興奮気味に話す。


「……そうか!噴き出されたオーラによって銃弾に正半回転作用を与え、さらに膨張した筋肉との接地点摩擦度による硬質化を可能にしたんだ!」


「?」


「つまり、今の君は無敵ってことだよ。ぶちかますんだ!」


うん、それなら分かりやすい!


続く

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