第7話/ Tattoo
俺が受付に戻ると、キリーたちとウェイターが並んで腰かけていた。
「あ、おかえりユキ~。楽しかった?」
のんきに訪ねてくるキリーに、俺はぎこちなく答えた。
「ま、そこそこにな。そっちはどうだったんだ?」
キリーは相変わらず、笑顔のまま答える。
「それなりに収穫はあったよ。たのしくお話ししてたんだ~」
キリーが言うと、ウェイターの男がうんざりだ、というように首を振った。
「ったく、根掘り葉掘り聞いてきやがって。こちとら、えらい目に遭ったぜ」
ウィローがすっ、と椅子から立ち上がる。
「では、用も済みましたし、そろそろ帰りましょう」
キリーたちも立ち上がると、出口のほうへ向かう。しかし、ここでウェイターの男が奇妙な動きを見せた。男はおもむろに扉の前に立ちはだかると、揉み手をして、にやにやこちらを眺めている。
「……何の真似ですか」
ウィローが低く、威圧する声で言う。俺にパイプを突きつけた時の、あの声だ。
「いやだなぁ。お客さん、お会計を済ませてくれなきゃ」
「誰が払わないと言いました。そこにでかでかと書いてあるじゃないですか」
ウィローは壁に張られた料金表を指さした。うわ、なんだこの価格表。でたらめに安くないか?下手すれば子どもの小遣い程度で払えるぞ。
「ずいぶん良心的なんですね。商売下手だって言われませんか?」
ウィローが皮肉をたっぷりこめると、男は何がおかしいのか、額に手をやり、大げさなそぶりで高笑いした。
「あっはっは、なかなか言うお嬢ちゃんだ。だがな、それは常連さんのメニューだ。アンタたちみたいな一見は百割増し、話しだとかで面倒掛けたからもう百割り増しだ」
なんだって、ひゃ、百割増し?十倍ってことか?ちょっと話を聞いただけで?
そんなおかしなことがあるか。これは、いわゆる……
「ぼったくり……!」
「おおっと、兄ちゃん。人聞きの悪いこと言うもんじゃないよ。ウチはもともとこういうルールでやってんだ。アンタらがかってに額面通りだと思い込んだだけ、そうだろ?」
男はいけしゃあしゃあと返す。こんな場面は慣れっこのようだ。
不穏な空気に、キリーまでもが真面目な声色でたずねる。
「払わない、と言ったら?」
男は大げさに手を振った。
「いやだなぁ、俺は何にもしねえよ。俺は暴力はキライなんだ」
そこまで言うと、男は思わせぶりに言葉を区切った。
「ただ……」
突然、廊下からぬっとチンピラ風の男が二人、部屋へ入ってきた。よれた派手な色のスーツに身を包んだ男たちは、目つきの悪い顔に無精ひげを生やしている。
俺がにらみつけると、ウェイターの男は意地の悪い笑みを浮かべた。
「お客さんたちが店から出た時、“たまたま”ケガするかもしれんがね」
「くっ……」
なにがたまたまだ、俺たちが店から出たとたん、男たちに襲わせるつもりだろ。外で起きたことだから、店側は知らん顔できる、という寸法だ。
かなりヤバい雰囲気だぞ。おとなしく従うのか、それとも……俺はキリーの様子をうかがった。
「う~ん、困ったな……」
キリーは懐をぽんぽんはたくと、やがて降参だ、というように手をあげた。
「ダメだね。そんなに持ち合わせはないよ」
「へぇ、そうかい。なら、しかたねぇな……」
ウェイターの男が顎をしゃくると、強面の男たちがつかつかと歩み寄って来た。
「お前たち、やりすぎるなよ。女の顔は残せ。それなりの上玉だ、楽しめそうじゃねぇか?」
「くそ、みんな下がるんだ!」
俺は一番前にいたウィローを手で庇うと、後ろに押し戻した。
相手は二人、正直勝てる自信はないが、それでも皆が逃げる時間くらいなら……
俺が覚悟を決めようとしていた矢先、ウィローがつい、と俺のジャケットを引っ張った。
「ユキ、あなたが下がっていてください」
「へ?」
ウィローは俺の手を押し上げると、そのまま俺の前に出た。それを見ていたウェイターの男は、手を叩いて吹きだした。
「ぎゃっははは!こいつは生きのいい嬢ちゃんだ!男の代わりに、てめぇが殴られるとさ!」
「お、おい、ウィロー……」
なおも食い下がろうとした俺の肩を、キリーがぽん、と叩いた。
「大丈夫だよ、ユキ。ウィローを信じて」
キリーはきっぱりと言い切った。確かにウィローは、一部ではずいぶん一目置かれていたようだが……こいつらにも、それが通用するのか?
キリーは男たちを前に立つウィローに声をかける。
「ウィロー、あんまりやりすぎないようにね」
「ええ、分かっています。『二分咲き』程度でいいでしょう」
二分咲き……?それにやりすぎないようになんて、まるでウィローではなく、男たちを心配しているみたいだ。
さすがに男たちも頭に来たのか、がっ、とウィローの胸ぐらに掴みかかった。
「んだとテメェ?もういっぺん言って……」
男たちは、最後まで言えなかった。
ふわり。
青い燐光が、辺りに舞っている。俺は最初、自分の目がおかしくなったのかと思った。だがよく見ると、それはウィローの背中から発せられていた。
ウィローの背中が、青い炎で焦げたように、ジジジ、と光っている。焦げ跡は複雑に絡み合った蔦のようだったが、やがてそれが一つの模様になっていることに気付いた。
孔雀だ。
目を閉じ、羽を少しだけ広げた孔雀が、ウィローの背に青く浮かび上がっている。
「な、なんなんだ……!」
ウィローに掴みかかった男は、目の前の出来事に愕然としている。その顔は当たりに漂う光に照らされて、あわれなほどに真っ青だった。
「……先に手を出したのは、あなたたちですよ」
いつのまにか、ウィローの手にはにび色に輝く鉄パイプが握られていた。ウィローの放つ蒼い燐光は次第に鉄パイプへも伝わっていき、まるでパイプ自体が蒼く燃える剣のようだ。その異様な光景は、チンピラ男に十分な脅威を与えたようだった。
「う、うわああぁぁぁ!」
男はやけになって叫ぶと、そのままウィローに殴りかかった!
「ウィロー、危な……」
次の瞬間、ウィローはくるりとその場でスピンし、男の手を振りほどいた。つんのめった男が体勢を崩す。ウィローは回転した勢いのままパイプを振り抜くと、隙だらけの男の後頭部を強打した。
ガツン!
「ぐげっ」
男はうめき声のようなもの一声上げると、そのままぶっ倒れた。もう一人の男は、倒れた仲間を見てがたがた震えている。
「そ、その背中……お前、まさか……」
「おや、今更気づきました?ですが、少し遅かったですね」
ウィローは残ったやつのほうへつかつか歩み寄った。男は一瞬逃げ出すようなそぶりを見せたが、それよりも早くウィローが腕を突き出した。
「ひゅ」
パイプの先でみぞおちを一突きされた男は、悲鳴を上げる間もなく倒れ伏した。
あっというまに、二人の男が床に転がった。
ウィローはパイプをくるりと回すと、涼しい顔で振り返る。
「ね、大丈夫だったでしょう?」
「あ、ああ」
気が付けば、ウィローの背中は元に戻っていた。一瞬の出来事に、俺は夢でも見ている気分だった。
「さて。私たちは帰らせてもらいますが、かまいませんよね?」
ウィローが部屋の隅へと視線を投げかける。すみっこで縮こまっていたウェイターの男は、声を掛けられると飛び上がり、そのまま床に頭をこすりつけた。
「も、もちろんでございます!申し訳ございませんでした!」
キリーは男の返事を聞くと、にこりと笑った。
「だってさ。さ、帰ろう、みんな」
帰り道、俺はキリーにたずねた。
「なあ、さっきのは何だったんだ?」
「ああ、あれね。いやぁ、ひやひやしちゃったよ。ほんとにスッカラカンだったんだもん」
「え?」
すっからかん?なんのことだ?
「違うの?さっき財布にこれぽっちも入ってなかったから、どっちみちお金払えなかったってことかと思ったんだけど」
「えぇ……そんなんで店入ったのかよ」
「だからあからさまに怪しいお店にしたんじゃん。ああでもしないと踏み倒せなかったからね」
ああ、だからあのうさん臭い店を選んだのか……じゃなくって。
「じゃなくて、さっきウィローの背中が、蒼色にぼわーって光ったろ?あれだよ」
「あぁ、あれかぁ」
俺がうなずくと、キリーは親指で背中を指すしぐさをした。
「あれは『刺青(いれずみ)』だよ。ウィローの墨は孔雀だから、ちょっと派手だけどね」
いれずみ?刺青をしてるから、あんなことができたってことか?
「……俺の知ってる刺青とはだいぶ違うな」
「あはは、だよね。ウィローのは特別製だから。あれはね~、ウチのとっておきなの。なんたって、魔法の刺青なんだから」
キリーは得意げに、にひひと笑った。
「魔法?どういう意味だ?」
「お呪いみたいなやつでね。あれをしとくと、その人に眠るパワーみたいなヤツをぐわーっ、と呼び覚ましてくれるんだ」
「ううん……?」
「まあ要するに、超能力みたいなものが使えるようになるってことだよ」
「な、なるほど……」
魔法の刺青に、超能力。およそ信じがたい話だが、さっきのウィローをこの目で見てるからな。そういうものだと、納得するしかないだろう。
「そうか。あれが、ウィローが有名な理由だな」
「そー。普通の刺青はともかく、あれを彫るのはそのへんじゃできないの。腕のいい職人とコネがないとね。ウチはおじいちゃんが知り合いだったから、特別に彫ってもらえるんだ。ウチが少数精鋭でやってこれたのも、これのおかげが大っきいんだよ」
ああ、それでいままで、女の子三人だけでも組が成り立っていたのか。実際、さっきのウィローは男二人にも引け劣らなかった。
(それに比べ、俺は守られるばかりで、なにもできてない……)
もし俺に力があれば。あの時、ルゥの手を離さずにいれたのか……
急に黙り込んだ俺を見て、キリーが不思議そうに尋ねた。
「どうしたの?」
「……なぁ、キリー。その刺青って、俺も彫れるのか?」
キリーは目を丸くした。
「ユキが?」
「ああ」
理由を聞かれるかと思ったが、キリーは何も言わなかった。
「わたしが頼めば、請け負ってくれると思うよ。ちょっとお高いけど」
「あ、そうか。金が……」
「そこはわたしがなんとかしてあげる。彫り師とは知り合いだって言ったでしょ。出世払いでツケにしてもらうよ」
「キリー……」
キリーはたたた、と数歩駆けだすと、くるりと体ごと振り返り、言った。
「墨、背負ってみる?」
続く
《次回は5/12投稿予定です。》
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