第8話/Contract


そのままの帰り道でキリーに連れてこられたのは、事務所の入っている雑居ビルの一階だった。掲げられたネオンの看板が、ジジジ、と今にも消えそうに瞬いている。


「ここが、そうなのか?」


俺がつぶやくと、キリーはぽん、と俺の肩を叩いた。


「後は中に行けば教えてくれるよ。じゃ、上で待ってるね」


そう言うと、キリーさっさと階段を上り始めた。そばで聞いていたウィローがびっくりしている。


「えっ。ちょっとキリー、この人に刺青を彫らすんですか!?」


頭の上のほうから、「そうだよ~」と気の抜けた返事が聞こえる。


「そうだよって……あなたも承知して?」


「ああ。俺がキリーに頼んだんだ」


「そんないきなり……いや、でも……」


ウィローはしばらくぶつぶつ言っていたが、やがて諦めたようにはぁ、と息を吐いた。


「分かりました。なんにせよ、中で話を聞いてみてください。彼女なら、そう悪いようにはしないでしょう」


そう言うと、ウィローはじっと俺の目を覗き込んだ。


「いいですか。自分で考えて、自分の意思で決めるんですよ。私たちは先に戻ってますからね」


それだけ言い残して、ウィローも行ってしまった。最後に取り残されたスーはオロオロしていたが、軽く会釈すると、ウィローの後を追っていった。


「自分で考えろ、か……どう意味なんだろうな」


一人になった俺は、改めてネオン看板の店に向き直った。店にはシャッターが下ろされているが、端っこに通用口が開いている。シャッターには色とりどりのスプレーで落書きが施されていた。

あれ?ここで気が付いたが、キリーの紹介が必要だったんじゃないか?うーん……

……そのキリーが行けと言ったんだ。きっとどうにかなるさ。

俺は弱気な心をつばといっしょにごくりと飲み込むと、通用口の中へと足を踏み入れた。


店内は、商店というよりは、ガレージといった様子だった。様々な機械や工具がところせましと置かれ、辺りには油のにおいが充満している。その中で、がちゃがちゃと工具をいじる人影を見つけた。俺は積まれたガラクタのあいだを縫って、その人影に声をかけた。


「あのー、すみません」


「ん?」


振り向いたのは、若い娘だった。長い銀髪をひとくくりにし、つなぎの上をはだけたラフな格好をしている。

娘は油の跳ねた鼻をこすると、不思議そうに首を傾げた。


「誰?」


「あっ。えっと……」


まさかこんなに若い子がいると思っていなかった俺は、どぎまぎしてしまった。どうもこのビルには、女の子が一極集中しているな。俺は一旦心を落ち着けると、単刀直入に切り出した。


「俺に、刺青を彫ってほしいんだ」


「分かった」


え?娘は立ち上がると、ごそごそと道具を漁り始める。あまりのあっけなさに、俺は慌てて言葉をつづけた。


「いや、俺がしてほしいのは、普通の刺青じゃなくて……」


「分かってる。普通の刺青は、私もできない」


「あ、そうなんだ……」


じゃなくて。あれ、おかしいな。キリーの話じゃ、そう簡単に応じてくれないらしいが……

俺が混乱して突っ立っていると、娘は「こっち」と手招きした。その手には、銀色の針が付いた、筆?が握られている。

俺は諦めて素直に従うと、娘に促されるまま、ガレージの隅に置かれたベッドまで連れていかれた。


「服、脱いで。そこに寝て」


俺は言われるまま、ジャケットとシャツを脱ぐと、ベッドにうつぶせになった。さび付いたパイプベッドはほこり臭かったが、ほのかにハーブのような、さわやかな香りがした。鼻をくんくんさせていると、目の前に糸くずのようなものが落ちている。つまみあげると、それは長い銀色の毛髪だった。


「……そこ、私の寝床だから。あんまりいじらないで」


「あ、す、すまない」


娘はほんの少し顔を赤らめていたが、すぐにてきぱきと準備に取り掛かる。俺はなるべくベッドに顔を近づけないよう、あごを垂直に立てて、娘の作業が終わるのを待った。


「よし」


娘はそう言うと、つかつかと歩み寄ってきた。いよいよ彫り始めるのかな?ぼんやり考えていると、突然背中にぶすり!と鋭い痛みが走った。


「いっでぇ!」


痛みに驚き、思わず体を起こす。何事かと振り向けば、娘がさっきの針山のような筆を逆手に持っていた。娘ははて、と小首をかしげる。


「痛かった?」


「あ、あたりまえだろ!やるならやると言ってくれよ!」


娘は俺の文句をどう受け取ったのか、こくんとうなずいた。


「ごめん。私は荒っぽいみたいだから、みんな痛がる。けど全部彫るとなると、これの何十倍も苦しむことになる」


う。想像はしてたけど、やっぱり痛いものなんだな。尻込みする俺を見てか、娘は諭すように言った。


「止めるなら、今のうち。一度刺した墨は、もう消すことはできない。一生、あなたに刻みこまれる」


一生……俺はごくりと、喉を鳴らした。


「刺青なんて入れてたら、どこに行っても煙たがれる。それに、墨の効果も人によって、千差万別。あなたの望む力になるかわからない。期待外れだったら、それこそ骨折り損。棒に振る人生」


そこまで言った娘は、指さきでくるりと筆を回すと、その穂先をひゅっと俺の眼前に突き付けた。


「それでも、やる?」


きらり。無数の針が、ぞくぞくする輝きを放っている。まるでその一つ一つが、俺に覚悟を問うているようだ。


覚悟、か。

たぶん、俺は今までに何度か、覚悟を求められてきたんだろう。けど、それらは記憶とともに、俺のもとを離れて行ってしまった。

今あるのは、今の俺の感情だけだ。そして今の俺の心が、決して後悔しないと告げている。


俺は突き出された筆を、がしっと掴んだ。


「……もちろんだ。俺に“生き様”を刻んでくれ」


娘は目をぱちくりさせると、くす、と笑った。


「わかった。じゃあ始めるから、そこに寝て」


言われ、俺は再びうつぶせになった。娘はそんな俺の背中を、ぺたぺたと触っている。


「……何してるんだ?」


「触診。刺す前に、ツボを見る。それでだいたい、その人の素質が分かる」


「……さっき、彫ってみなきゃわからないみたいに、言ってなかったか」


「脅し。ああ言った方がみんなビビる」


俺が顔だけ横に向けて睨むと、娘はすました顔でちろ、と舌を出した。


「……分かったよ。それで、俺の素質はどうなんだ?」


娘はしばらく俺の背中を押したり、さすったりしていたが、やがて驚いたような声を漏らした。


「これは、すごい……!」


「え?すごいのか!?」


俺は気持ちが湧きたつのを感じた。誰しも小さい頃は、ヒーローにあこがれるもんだろう。俺にその記憶はないが、高ぶる感情は抑えられない。

ほこりをかぶっていた夢見る心が、急に色彩を取り戻したようだった。


「すごい。なんの素質もない」


「え?」


なんだって。夢見心地が急速に冷めていく。


「知力、芸術、魅力、スピード、テクニック……どれもダメ。まるっきり見込みがない」


「そ、そんな……」


「効果がありそうなのは、力。筋力なら、強化できるかも」


「力……」


脳味噌筋肉。そんな言葉が、俺の頭をよぎった。


「……」


「どうする?やめとく?」


「……ええい!分かりやすくていいじゃないか。かまわない、やってくれ」


こうなりゃやけだ。俺はぼすっとベッドに顔をうずめた。なーに、筋肉なんていつでも使うんだ。腕っぷしが少しでも強くなるんなら、儲けもんだろ。


娘がくすくす笑っているのが聞こえたが、俺は無視した。やがて笑い声が収まると、背中にひやりとしたものが当たった。


「じゃ、いくよ」


俺は無言でうなずくと、ぐっと肩に力を込めた。


ヂクリ。針が刺さり、焼けるような痛みが走った。さっきの不意打ちとは違い、身構えていた分いくらかマシだが、それでも肌にジンジンと響く。

しばらくはチクチクとした痛みに耐えていたのだが、やがて針を刺した箇所が温度を持ってきた。それはどんどん熱くなり、ついには燃えあがるかのような高温になった。


「ぐっ!」


「我慢して。今、墨があなたの力に結びつこうとしてるから」


俺はベッドの角をぎゅっと握り、歯を食いしばった。


「今刺してるのは、特殊な墨。あなたのツボに入れると、素質に反応してひとりでに模様になる。けど少しでも足りないと模様ができず、効果も得られない」


俺はくぐもった声を返すと、そのまま顔を横に倒した。


「分かった。ところで、俺はユキっていうんだ。きみはなんていう名前なんだ?」


俺の突然の質問に、娘は怪訝そうな顔で俺を見た。


「話してる方が、気がまぎれるんだ。邪魔じゃなかったら、付き合ってくれないかな」


娘は分かった、とうなずくと、視線は手元に向けたままで答えた。


「ステリア。ステリア・LLLスリーエル


「スリーエル?変わった苗字だな」


「氏というか、あだ名みたいなもの。どう呼んでも構わない」


「じゃあ、ステリア。きみは、得意客にしか刺青を彫らないんじゃっ……なかったのか?」


「うん。話はメイダロッカから聞いてる。近々新入りが顔出すから、と」


「え?」


「昨日、メイダロッカの組長が来た。そのとき」


キリーのやつ、分かってたのか?俺がこうして頼むことを……?ふだんのぽやぽやしている姿からは想像できない周到さだ。


「そうだったのか……。あれ、そういえば、キリーも刺青をしてるのか?」


「してる。あの組は全員ウチの客」


「へぇ。じゃあキリーの刺青は、どんな柄なんだ?」


「知らない。組長のは私の師匠が彫ったから。それに、彫師は他人の墨のことを話したがらない」


「あ、すまない。失礼だったかな」


「かまわない。けど、それは本人に聞いてみて」


「わかっ……った。そ、うするよ」


俺は会話の途中で何度も痛みに悶えたが、ステリアは手も口も止めず、淡々と作業をこなしていった。俺もいちいち取り繕うのが面倒だったので、彼女の冷淡さはかえってありがたかった。


体感では一時間だが、実際はその半分も経っていないだろう。そのくらいの時が過ぎると、ステリアは筆をおいた。


「これで完了。後は柄ができるだけ」


さっきほどではないが、背中にはまだ痛みと熱とがジクジクと残っていた。だがその中に、奇妙な感覚がある。まるで背中の神経一本一本がピリピリと痺れるようだ。

そう思った、次の瞬間。

背中の中心から、ざぁっと熱が広がっていった。まるで熱く煮える血液が、どっと湧き出るようだ。波は足や腕を伝い、指先まで駆け抜ける。肌が湧きたつ感覚に、俺はぶるっと体を震わせた。


「今のは……?」


「成功。これで見てみるといい」


そう言って、ステリアは大きな二面鏡をガタガタと引きずってくる。

俺はベッドから起き上がると、こわごわ自分の背中を鏡に映してみた。


「これは……?」


続く


《9話と連続投稿です》

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