第3話/Cups of sake
「ヤクザ……」
ありえない。こんな少女が、ヤクザ……?
「そんなばかな……」
「確かにめずらしいね。けど無い話じゃないよ、現にここにいるし」
つん、とキリーは自分の胸を指した。
「おじいちゃん、つまり先代の組長が変わり者でね。その時に拾われたのがわたしたち。で、今は
「それじゃあ、ここは……」
「そう。ここはわたしたち、『メイダロッカ組』の事務所。わたしが二代目組長だよ」
にこり、とキリーが笑った。耳元で銀のピアスがきらりと光る。
この少女たちが、ヤクザ……およそ真実味のない話だが、どうやらこれが現実らしい。
呆然とする俺を見て、キリーはくす、と笑った。
「ごめんね、事後承諾になっちゃって」
「いや……寝床を貸してくれたのは感謝してる。ただ……」
正直、めちゃくちゃに混乱していた。記憶を失った俺が言うのもなんだが、女の子ってヤクザになれるのか?ヤクザの
「……さっきも言ったが、俺は金なんかびた一文持ってないぞ」
「あはは、そんなんじゃないってば。ほんとに助けてあげたいなって思っただけ。記憶が戻ったらいつでも出ていって構わないよ」
俺をどうこうする気はないのか?けど、ヤクザがただの親切で人助けなんて……
「……そんな目で見ないでよ。信じられないのは分かるけどさ」
キリーは、悲しげに俺を見つめていた。
「あ、すまない。不快にさせたなら謝る、が……」
俺はキリーの瞳を見つめ返した。
「……ヤクザを信じろっていうのも、難しい話だぜ」
「ま、そりゃそうか。ごめんね、意地悪な言い方しちゃった」
キリーはおどけたように、チロと舌を出した。なんだ、からかっていたのか。
「けど、助けたいって思ったのはほんと。わたしたち、みんな拾われたって言ったでしょ?だからお兄さんみたいな根無し草を見ると、ほっとけないんだよ」
「……ずいぶん親切なヤクザなんだな」
「あはは、そうでもないよ」
キリーはからからと笑った。
「……なあ、ならなおのことだ。ヤクザなんて、やめた方がいいだろ。きみたちは大人でもない、ましてや女の子なんだ。危険すぎる」
言ってから、ハッとした。初対面で差し出がましかったか……?
だがキリーは、ぽかんと口を開けていた。
「……そんなこと、初めて言われたよ」
「お節介だったか?」
「ううん、そうじゃなくてさ。みんな“あぁ、そういうもんか”みたいな感じで、誰もわたしたちがヤクザってことを注意なんかしなかったから」
「それは……そんなことないだろ。女の子のヤクザは珍しいって、きみも言ったじゃないか」
「うん。だからわたしたちが聞いたのは“出来っこない”とか“馬鹿げてる”とかだけ。否定はされても、心配はされなかった」
「……」
「ふぅん……ふふっ。わたし、なんだかお兄さんのこと気に入っちゃった。ねぇ、せめて何か思い出すまでここにいなよ。どうせ行く当てもないんでしょ?」
「それは、確かにそうだが……」
「ね?なんならわたしと付き合っちゃおうよ」
「え」
「それならゴーホーテキにここに居られるじゃない。胸くらいサービスするよ?ほら、わたしけっこうあるし」
「わ、わ!いい、いい、見せるな!気持ちだけ受け取っておくよ!俺はもう寝るから!」
「えー?」
このままいると襲われかねない!俺は一目散にベランダを後にした。
「なんで
くそ、手を出したら次は結婚しろと迫ってきそうだな。穴をあけるタイプだぞ、あれは。
いつ夜這いされるかと思うと、うかうか眠ることもできない。
結局俺が寝付いたのは、空が白み始めてからだった。
俺は夢を見ていた。
やけにリアルな夢だなぁ。まるで過去に見たことがあるような光景だ。
きらびやかな街の明かり。走馬灯のように流れていくテールランプ。ここ、どこだっけ……
(ここは……東京だ!)
思い出した。俺は東京の繁華街を、誰かと歩いていた。隣を歩くのは、金髪で、派手な格好をした人物だ。そいつがこちらを見て、親しげに呼びかけた。
「ユキ」
ゆき……俺の名だ。そうだった、俺は『木ノ下雪』だ!
おぉ……自分の名前の響きが、まるで懐かしい友人のように感じられる。
場面が変わって、俺は扉の前に立っていた。戸を開くと、そこにはまるで……
今俺がいる場所と同じような、『事務所』があった。
俺はその場所に見覚えがあった。俺は……そこを見慣れていた。事務所の奥には、黒く輝く『代紋』があった……
(どういう、ことだ。なんで俺は、ヤクザの事務所なんかに……?)
また場面が変わる。
俺は走っていた。懸命に、何かから逃げているようだ。
腰に手をやると、そこには黒金の拳銃があった。
(え?)
銃身の短いそれは、一見するとおもちゃのようにも見える。だが、それは紛れもなく凶器だった。引き金を引けば、たやすく命を殺める。
俺はそれを構えた。その銃口の先には、人影がある。
(そんなまさか……嘘だろ!)
俺は、引き金を引いた。
パアン!
「ぁあっ!」
がばりと飛び起きた。俺は朝日が差すベッドの上で、はぁはぁと荒い息をしていた。全身を冷や汗がつたっている。
「夢……か……」
そう納得しようとした。しかし、だめだった。あれは、あまりに現実的すぎた。拳銃から飛び出す閃光、硝煙の匂い、引き金の重さまで、克明に思い出せる。
それに、俺の名前……思い出した今では、はっきり自覚できる。生まれてからずっと慣れ親しんだ名だ。これがただの夢だなんて、ありえない。
「くっ……待ってくれ」
頭の中に、冷たい事実が単語となって、ぐるぐると回っていた。
俺は、木ノ下雪だ。
俺は、日本にいた。
俺は、ヤクザの事務所を知っていた。
俺は、人を撃った。
「まさか俺は……俺も……?」
「ヤクザ、なんですかぁ!?」
スーはもともと丸っこい目をさらに丸くした。
「まだそうとは分からないでしょう。断片的すぎますし、第一夢が根拠では……」
ウィローは訝しげに否定する。
「けどさぁ、夢というよりは記憶が戻ったってことでしょ?今はそれを信じるしかないんじゃない?」
キリーはあっけからんとした様子だった。
「……確かに、まだはっきりしたことは分からない。けど、俺はただの夢じゃないと思う。最近の記憶なのか、それともずっと昔のことなのかは分からないけど……」
俺は、深くうなだれた。そして胸の中のものを、吐き出すようにつぶやいた。
「けど、俺が人を撃ったろくでなしであることは確かだ……」
自分が
どんよりする俺に、少女たちもどうしたものかと顔を見合わせている。
おずおずと、スーが口を開いた。
「えっと、こういうのはないかな?……じゃなくて、ないですか?」
スーは慌てて敬語に直した。スーはキリーよりさらに幼く見えるから、年上の俺に気を使っているのかもしれない。
「スーさんの話しやすいようにしてくれていいよ」
「あっはいっ……じゃなくて。ありがとう。あの、わたしも、さん付けじゃなくても……」
「わかった。スーでいいかな」
「……うん!えへへ」
俺がなけなしの笑顔を見せると、スーも柔らかな微笑みを返してくれた。
「あの、考えたんだけどね。えっと、銃を撃つことが、必ず悪いことじゃないと思うの。ほら、誰かを守るためとか……」
スーがつっかえながら話すと、ウィローがするどい声で割り込んだ。
「スー、こんな怪しい人物が警官だというのですか?」
「そうとは言ってないけど、そういうこともあるかなって……」
スーはおどおどしながらも、必死に元気づけてくれた。沈む俺には、そのやさしさは染み入るものがあった。しかし……
「ありがとう、スー。けど海外ならともかく、“日本の”警察はめったに発砲しないじゃないか」
仮に撃ったとしても、俺のように必死に逃げたあげくに、ということはないだろう。
逃げるのはむしろ、犯罪者側……
「え?どういう意味?」
「ん?」
俺は至極真っ当なことを言ったつもりなのだが、スーたちはきょとんとしていた。
「どうしたんだ?」
「ええと。今、なんて言ったの?」
「え」
「ニホンって……なに?」
俺は最初、冗談を言っているのかと思った。しかし、彼女たちの顔はいたってまじめだ。
「なにって、日本だよ。アジアの日本国。ここだってそうだろう?」
スーは頭の上にハテナをいくつも浮かべて、何を言っているのか分からないようだ。
まてよ、俺の日本語が通じるからここは日本だと思い込んでいたが、そういえばキリーやウィローという名前はどう考えても日本人じゃない。スーなんてもろ金髪じゃないか。
「すまない、この国の名前は?」
「ここは『アストラ』だよ?」
アストラ……聞いたことない国だな。だが、ここが外国だったとは。奇妙なことだらけだったのは納得できたが、なぜ日本語が通じるのだろう。
「えっと、アストラはどこ圏の国なんだ?」
「どこ、けん?」
「ああ。ほら、アジアとかヨーロッパとか……」
「えええ?えっと……」
「……スー。口で言うより、図で示した方が早いんじゃないですか?」
「そ、そうだね。たしか地図があったから、今持ってくるね」
スーはそう言うと、事務所の奥へ行った。
……きり、戻ってこない。
「……ウィローちゃぁぁん」
「もう、あれほど整理整頓をしろと言ったじゃないですか!」
五分後、スーとウィローは一枚の地図を持ってきた。世界地図のようだ。
「ここ!このひし形の国が、わたしたちがいるアストラ連邦だよ」
俺はその地図を見て驚愕した。
そこに描かれているのは、俺のまったく知らない大陸だったからだ。ざっと見た限りでも、俺の知っている国名は一つもない。
「これは、本物の世界地図なのか……?」
「うん。ちょっと古いけどね」
ううん……もしかしたら、俺は世界の記憶も失くしているのかもしれない。それなら地図が読めないのも理解できる。
「まいったな。ここは日本からどれくらい離れてるんだ……なぁスー。この地図、アジアはどこになるんだろう?」
「アジア?え~と、どこだろう……」
スーは地図を端から端までにらめだした。いくらなんでも、アジアがない世界地図なんてありえない。が、スーはどうにも見つけられず、苦戦している。
「ユキ。アジアってのが、ユキのいたところなの?」
キリーが、スーと一緒になって地図をにらみながらたずねた。
「ああ。俺の記憶が確かなら、俺はそこにいたはずだ。少なくとも、地図のどこかには必ず……」
「う~ん。けどやっぱり、そんな所どこにもないよ?ウィロー、ウィローは聞いたことある?」
話を振られたウィローは、しかし同様に首を振った。
「いいえ……私も学があるほうではありませんが、産まれてこの方、そんな名前聞いたこともありません」
ど、どういう、ことなんだ?
アジアが、日本が、ない……?
「そんな、ばかな。だって、それじゃあ……」
俺はこのあたりから、ここは“自分が見知った世界”とは根本的に異なっているんじゃないかと思い始めていた。
俺はベランダの手すりに寄りかかり、ぼんやり空を眺めていた。空は薄い雲に覆われ、まるで俺の心を写し取ったかのように、どんよりねずみ色だった。
「ここはまさに、異国の空の下ってな……」
俺の場合、“国”じゃなくて“世界”そのものだが。
こつこつ。
背後で窓ガラスを叩く音がする。振り返ると、そこにはキリーが立っていた。
「わたしもご一緒していいかな」
「……いいもなにも、ここはキミの事務所じゃないか」
キリーは、俺の嫌味ににこりとだけ笑うと、隣にやって来た。
「ねえ、お兄さんがいた国はなんていうの?」
「……日本だ」
日本。それは確かに俺がいた場所で、そしてこの世界のどこにもない場所だった。
「くそ、頭がおかしくなりそうだ……」
いや、もしかすると、もうおかしくなっているのかもしれない。
異世界……とでもいうのだろうか。俺の見たこともない国があり、見たこともない大陸が広がる世界。にわかには信じられないが……記憶があやふやな俺では、もはやどっちが正しいのかすら、判別がつかなかった。
「ニホン、かぁ。けど、まだ信じられないな。お兄さん、アストラ語完璧なんだもん。こっちの人にしか見えないよ」
キリーが不思議そうに言う。俺もそれが引っかかっていた。というのも、俺自身は日本語で話しているつもりなのに、キリーたちにはアストラ語に聞こえているそうなのだ。
さらに、事務所の表にあった奇妙な模様の表札。あれはなんとアストラ語なんだそうだ。
が、俺はそれも読めていた。
「……くそっ、分からないことだらけだ」
俺は前髪を乱暴にかき上げた。
「お兄さんは、ニホンには帰れないの?」
「うーん……来たからには戻れると信じたいところだがな……」
弱々しく首を振る。世界を越える手段なんて、想像もつかなかった。
「記憶を失くし、帰る場所もわからない……悪い夢でも見てるみたいだ」
「……これからどうするの?」
「そうだな……」
俺は再び空を見上げた。雲は絶え間なく続き、ゆっくり風に流されていく。
「……笑っちゃうよな。昨日きみに説教したくせに、実は俺もヤクザでした、なんてさ。きみもこんな得体の知れない男を、自分の組に置いておきたくはないだろ?」
「そうでもないよ。今までもっとヤバイ人もいたからね、わたし的には構わないけど」
「ははは、そいつはありがたいな……けど」
俺は視線を下ろすと、キリーをまっすぐ見つめた。
「それは嘘だ」
「……どうして、そう思うの?」
「俺だって馬鹿じゃないさ。気付かないわけないだろ?」
風が吹き、キリーの赤茶色の髪をバサバサと乱した。
「なら、今までいたその“ヤバイやつら”は、いったいどこに行ったんだ?」
行く当てのない人間をその都度拾っていたら、この組はとんでもない大所帯になっていたはずだ。少なくとも、三人というのは少なすぎる。
キリーは俺の言葉に一度うなずき、だがゆっくりと首を振った。
「……そうだね。お兄さんの言ってることは正しいし、けどわたしも嘘は言ってないよ」
「……どういうことだ?」
「言ったじゃない。“いた”って」
過去形……
「死んじゃうんだよ、みんな。ある日突然いなくなったり、もともと病気を持ってたり。表の海に浮かんでた事もあったかな」
「……」
「行く当てのない人なんて、大抵そんなもんなんだろうけどね。だから、わたしたちもそこまでこだわらないし、行くのも来るのもそんなに気にしないんだ」
キリーは乱れた髪をさっと掻き上げた。
「だからさ、きっとお兄さんもそうなるよ。だから
「いや、けど……俺は他の組のヤクザなんだぜ?」
「じゃあ今日からお兄さんは舎弟ね。ウチの組員なら文句はないでしょ ?」
キリーは名案だ、というようにウンウンうなずいている。
「……呆れたな。いつか勝手に死ぬだろうから、俺一人くらい気にしないってことか?」
「うん。さっきからそう言ってるじゃない」
キリーは悪意も善意もなく、淡々とした笑みを浮かべてそう言った。
この女……!いくらなんでも、ここまで言われたらカチンとくるぞ。俺は気付くと、売り言葉に買い言葉でしゃべりだしていた。
「いいじゃないか。けど、俺は死なないぜ。ヤクザは博徒とも言うんだろ?なら俺は、記憶を取り戻してここを出ていくことに賭けてやる!」
「いいよ。ならわたしは、今までと同じように、いずれのたれ死ぬことに賭ける!」
「ふ、ふ、ふ……ふははは!ちくしょう、乗ってやる!」
「わっはっは!ようし、男に二言は無いね!」
「望むところだ!よろしく頼むぜ、組長」
俺は半ばヤケクソな気持ちで、片手をすっと差し出した。
「こちらこそよろしく……っと。そういえば、名前聞いてなかった。お兄さん、なんていうの?」
「ん?ああ、そうだったな」
思えば、自己紹介もできてなかった。なんせ、名前を思い出したのが昨晩だもんな……うぅ、あれからずいぶんおかしな方向に話が進んでいる気がする。もう遅いが。
「……俺は、雪。木ノ下雪だ」
「キノシタ?変わった名前だね?」
「あ、逆だ。ユキが名前だよ。ユキ・キノシタだ」
「ユキ、か……おっけー、ユキ!改めてよろしく、ユキが死ぬその日まで!」
「ああ。俺が生きて出ていくその日まで」
俺たちはなんとも歪な握手を交わした。
俺たちの間にあるのは、友情か、信頼か、憎しみか……
それを確かめる長い、長い日々が始まろうとしていた。
続く
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