第2話/Three-card


「記憶喪失、かぁ……」


不思議なこともあるもんだ、という顔でキリーがこぼす。


「……ご自分の名前も、覚えてないんですか?」


金髪の少女・スーは、遠巻きにこちらを眺めながめながら言った。


「ああ……自分のことも、さっぱりなんだ」


「それは、困りましたね……」


「ホントだねぇ……」


俺の言い分に対して、キリーはうんうんうなずいている。


「いや、待ってくださいよ。あからさまな作り話じゃないですか」


しかし、黒髪のウィローはそうはいかないようだ。


「記憶喪失なんて、ごまかしの常套句でしょう!」


正直、俺も返す言葉が無かった。それを証明する証拠なんて出しようがない。どう説明したものかと頭を悩ませていると、キリーがこてんと首をかしげた。


「そうかなあ」


「もうっ。キリーはどうしてそうのんびりなんですか!」


「だってぇ。“わたしたちの敵”だったら、もっとうまく隠れるもん。ウィローも最初そう思ったでしょ?」


ウィローは初めて、たじろぐそぶりを見せた。


「それは、確かに……ぼさっとしてるな、とは思いましたけど」


「でしょ?暴れもしないし、悪い人じゃないなあって思ったの」


うむむ、とウィローは眉間にしわを寄せている。


「……もう、分かりましたよ。とりあえずは、その言い分を信じておいてあげます」


よかった。あらぬ疑いは晴れたみたいだ。


「けど、記憶が無いんですよね?そんな大事なものがなくなっちゃったなんて……どうすればいいのかな」


スーが眉をハの字にして言う。そんなスーを、ウィローが半目で睨んだ。


「そんなもの、この人の勝手でしょう」


「そ、そうだけど……」


スーは困ったように、ちらりとキリーを見た。そのキリーはあごに手を当て、うーんとうなっている。


「ん~。お兄さん、どうするの?」


「えっ。いや、どうしよう……」


突然話を振られた俺は、慌てて考えたが……いい案は思いつかなかった。


「……とりあえず、この辺りをうろうろしてみるよ。俺のことを知っている人が、いるかもしれないし」


「そっか。じゃあさ、その間ここで暮らしなよ」


「え」


「えぇっ!」


「はぁ!?」


俺とスーとウィローは、そろってキリーのほうを見た。しかし当のキリーは名案だ、とでもいうようにうんうんうなずいている。


「だって、お金がもったいないよ。野宿するには、このへん向いてないし」


「いや、しかし……」


「ていうかお兄さん、財布ある?」


あれ、そういえば。慌ててポケットをまさぐったものの、財布が見当たらない。落としたか、スられたかしたらしい。


「ない……」


「あー、やっぱり?じゃ、行くあてがないよね。ね、そうしようよ。スーもウィローもいいでしょ?」


キリーの問いに、スーはギクリと体を強張らせた。。


「わ、たしは、その」


「……はぁ。スー、諦めましょう。こうなると、キリーは譲りません。今までもそうだったじゃないですか」


ウィローは反論するかと思ったが、ことのほかあっさり承諾した。


「しょうがないですね。好きにしてください」


「いいのか?今更だが、俺は……」


「かまいません。こういうことも、一度や二度じゃないんで」


やれやれと、ウィローが黒髪を揺らす。こんなはちゃめちゃな状況に、慣れっこなんだろうか?


「そのかわり、あなたにはいろいろ聞きたいことがあります。まずは……」


「まぁまぁ、ウィロー。そういうことは明日にしよう?わたし今日は疲れちゃった」


ふわ~、とキリーが大あくびをこぼした。

いろいろあって忘れていたが、ずいぶん夜が更けている。


「キリー、あなたねぇ……」


「よしっ、ついてきて。スウィートルームに案内しまーす」


キリーはぴょん、とソファから飛び起きると、事務所の奥へと手招きした。どの口が言うんだと、ウィローがあきれている。


「あ、それとあなた」


「え、俺か?」


キリーについて行こうと立ち上がった俺を、ウィローが呼び止めた。


「女ばかりだからって、おかしなこと考えないでくださいね。変な気おこしたら、モノごと切り捨てますから」


「し、しないよそんなことっ」


「それが賢明かと」


「ほら、おにーさーん。はやくー」


もう、なんなんだ……俺は首筋をぽりぽりかきながら、キリーに続いて奥の廊下へ向かう。最近の女の子って、みんなこうなのか?顔を真っ赤にしているスーがかえって印象的だった。

薄暗い廊下には、わずかにコーヒーの香りが残っていた。途中に簡易キッチンがあり、そこにうず高く積まれたマグから漂っているようだ。自炊してるのかな?あまりうまくはいっていないようだが……

キリーはそこを通り抜け、奥の階段へと向かった。

階段の先は、のっぺりした白い廊下が続いていた。突き当りからは群青の空が顔をのぞかせている。その向こうはベランダになっているようだ。


「ここでーす」


キリーが一室の扉を開けた。


「前におじいちゃんが使ってた部屋なんだ。部屋のものは自由に使っていいよ。掃除は……」


キリーはすぅー、と壁のへりをこする。一瞬顔をしかめると、すぐに指を服にこすりつけ、取り繕うようににへらと笑った。


「大丈夫だと思うよ。たぶん」


「そ、うか。わかった」


「それじゃ、ゆっくり休んでね。おやすみ!」


「あ、ああ……」


おやすみ。俺が言い終える前に、キリーは扉をばたんと閉めて出ていった。


俺は部屋をぐるりと見渡した。

窓が一つに、ベッドが一つ。壁には大きな本棚が置かれている。ガラステーブルの上にはゴミやら雑誌やらが散らかっていて、月明かりに照らされた影が、独特の模様を床に描いていた。壁には過激な格好をした女性のポスターが貼ってあったが、日に焼けて色あせたそれは、かなりの年月を感じさせる。

おじいちゃんが使っていたと、キリーは言った。だが部屋の様子からして、ここはしばらく使われていない……ならここには、女の子だけが暮らしているのか?


「けど、それ以前に……」


ここは、いったいどこなのだろう。

俺はベッドにぎしりと腰かけた。

俺に一体何が起こったんだ?自分に関することが、頭からすっぽり抜け落ちていた。

この町は、どうにも普通じゃないらしい。俺はなにかの犯罪にでも巻き込まれたのだろうか。


「犯罪……」


さっきの薄暗い路地が頭をよぎる。苦しそうな男のうめきが、まだ耳に残っていた。

あの場にいたキリーたちは、果たして何者なんだ?もしかして俺は、とんでもないところで一晩を明かそうとしてるんじゃ……


俺がもんもんとしているうちに、夜はさらに深くなっていった。ベッドに横になってはいたが、とても寝れる気分じゃない。目を閉じていると、嫌でも疑念がわき上がってきてしまう。


「……くそ、冗談じゃないぜ」


無性に外の空気が吸いたい気分だった。あの、廊下の突き当り。あそこのベランダなら問題ないだろう。


キィ……

戸をそうっと開けると、しずかに廊下を歩く。ベランダから洩れるわずかな月の光が、歩ける程度に足元を照らしてくれた。


窓をカラカラと開けると、つんと鼻をつく潮風が顔を撫でる。目の前に広がる夜の海は、闇を溶かしたような漆黒だ。海の向こうに、煌々と光を放つ大きな建物が見える。工場でも建っているのだろう。


そのとき、ふわりと煙が目の前をよぎった。


「あれ、お兄さん?」


「うわっ」


びっくりした、ベランダにはキリーがいた。すみっこの室外機に腰掛け、タバコをくわえている 。

しかし、その恰好が……Yシャツ一枚を羽織っただけの、際どい服装だ。


「だぁ、ご、ごめん。気付かなくって」


「あはは、いいよー。わたし、そういうの気にしないから」


「そ、そうか……」


しかし……俺はあらためてキリーを見つめた。別に、いやらしい理由ではないぞ。ただ、その光景が、あまりに異質に思えたからだ。

月明りに青白く照らされたベランダで、キリーの口元だけが、タバコの火に照らされている。真っ白な肌に、オレンジ色の焦げ付く炎……まだ年端もいかない、おそらく俺よりは年下であろう少女が、白煙をくゆらせているその様は、あまりに倒錯的だった。


「……えっと、キリーさん?と呼べばいいかな」


「ぷへへっ、へんなの。キリーでいいよ」


「じゃあ、キリー。ひとつ、聞いていいか?」


「うん」


キリーはこちらを見ずに答えた。


「きみたちは……俺の知っている“ふつうの女の子”とは、だいぶ違って見える」


「うん。そうだね」


「きみたちは、なにか危険なことに巻き込まれているのか?」


「んー、たとえば?」


「例えばって……さっきの、路地裏でのことだよ。男の人が襲われていただろ?」


「ああ、あれ。別に、なんてことないよ。この町じゃよくあるんだ」


「……よくあることでも、危険なことに変わりはないじゃないか」


「うーん。じゃあ、これならどうかな」


キリーは、口から煙のわっかをポ、とはいた。


「わたしたちは“巻き込まれた”んじゃなくて、“当事者”だった」


「……な。それじゃまるで……」


いや。そこまで言って、俺は首を横に振った。


「あり得ない。それじゃきみたちがマフィアかギャングみたいだ。そんなこと……」


「わたしたちは、そういうのじゃないよ」


キリーが、かぶせるように言った。


「けど、まったく違くもない」


キリーの目線は、ぼんやり夜の町を見つめている。漂う煙が、彼女の髪に絡みつく。


「世間じゃ博徒とか、侠客とか、いろいろ呼ばれるけど……」


そこまで言うと、キリーは一度言葉を区切り、そして顔だけをこちらへ向けて言った。


「わたしたちはね、『極道ヤクザ』なんだよ。お兄さん」


続く

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