異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-

万怒羅豪羅

第1話/Affair


目が覚めると、そこはゴミ捨て場だった。

もぞりと頭を動かすと、カラカラと山が崩れる音がする。

俺は起き上がり、腕に引っかかった鉄くずを振り払いながら辺りを見渡した。


「……どこだここは?」


ビルとビルのあいだに埋もれるようなそこは、スクラップが積み上がる廃材置き場のようだった。


目の前の路地から洩れる街灯の明かりが、光の筋道のようにこちらへ伸びている。


どこかで油でも腐っているのか、あたりには強烈な腐敗臭が漂っている。俺はたまらず、それから逃げるように明かりのほうへふらふらと歩きだした。

ジャリジャリ、カラコロ。足元で賑やかに跳ねる鉄片を目で追いながら考える。


「なんで俺は、あんな場所にいたんだ?」


……思い出せない。

なぜゴミ捨て場なんかにいたかも、その時なにを考えていたかも、何もかもが記憶になかった。


「そんな、ばかな……!落ち着け、おちつけ……」


俺は少しずつ早くなる鼓動を、必死に押さえつけた。まずは冷静に、記憶をたどるんだ……


「俺は確か……確か……」


「……確かにそう言ったよなぁ?」


はっ、と現実にひき戻された。

なんだ。

男の声。低く唸るような声が、せまい路地の先から聞こえてくる。


「それがなんだこの有様は?ん?」


ガスッっと、何かを蹴とばすような音。路地のむこうに、誰かいる……?

俺は物音をたてないよう、足元に細心の注意を払って、そろそろとそちらへ近づいて行った。


「申し訳ありません、兄貴。お手間を取らせました」


そう答えた声は、若い女性のものだった。こんな場所に、男女が二人?

俺は路地の壁に張り付き、角から目線だけ出してそっと様子をうかがった。


そこには黒いスーツに身を包んだ人間が二人、頼りない街灯の下に立っていた。一人は“兄貴”と呼ばれた大柄の男だ。脂ぎった長髪を後ろで一つに縛っている。もう一人の小柄な方が女性だろうか。

二人はにらみ合うように対峙している。しかし俺の目は、そいつらの足元に転がるに釘づけにされた。

二人の足元に倒れるそいつは、“兄貴”のピカピカの革靴で踏みつけられ、苦しそうにうめいている。全身ボロボロで、ひげ面の顔は血でべっとり汚れていた。


長髪の男は、そいつを踏みつけながら平然と話を続ける。


「てめぇらがしゃんとしねぇから、コイツらみてえなのが入り込むんじゃねぇか?」


「以後気をつけます。“シマ”はきちんと守りますので」


「ったり前だっ!」


ドガッ。

突然叫ぶと、足元の男を蹴り飛ばした。うげぇ、と汚い声が絞り出される。


(これは……ただ事じゃないぞ)


俺は思わず生唾を飲んだ。この場を離れるべきか?だが、どうにもあの倒れた男が気になった。もしかしたら、この後……

俺がぐずぐずしている間に、長髪男は再びしゃべりだした。


「……なあ、よう。やっぱりお前さんたちだけじゃ、手に負えねえんじゃねぇか?大変だよなぁ、お前らの組は“あんな”だしよ。これでも心配してんだ」


さっきと打って変わって、男はささやく様な、優しい声色で話しかけた。


「俺は、部外者には厳しいけどよ。仲間にゃ優しくするんだぜ?なんだったら、俺がお前らの面倒も見てやろうか、ん?」


「いえ、これ以上世話になるわけには……」


「遠慮すんじゃねぇよ、水臭い。なにかよこせなんて言うつもりはねえんだ。力になってやりてぇんだって」


長髪男はにこにこと笑みを浮かべたまま繰り返す。しかし、女はきっぱりと首を振った。


「はい。ですが、もう少し頑張ってみます。兄貴のお手を借りるのは、その後でもよろしいですか?」


「……そうか。まぁ、それならいいんだけどよ」


男はふっと笑顔を消すと、心底つまらなそうな顔で、そっけなく吐き捨てた。

まさか、今までの……全部、演技だったのか。


「今回のことは水に流してやる。が……俺は仏じゃねぇんだ。二度目はねぇぞ」


「はい、肝に銘じます。ありがとうございます、兄貴」


女は背筋を伸ばすと、律儀に礼をした。


「じゃまた来るわ。それと、“上納金”。きっちり用意しとけよ」


「はい。必ず」


それだけいうと、長髪男はくるりときびすを返して闇の中に消えていった。

路地には謎の女と苦しそうにうめく男、そして俺だけが残された。異様過ぎる空気に、頭がくらくらする。


「……」


女は何をするでもなく、ぼやぁっと突っ立っていた。どうしよう、やっぱり逃げるか?あの倒れた男はひどい怪我だが、とりあえず息はしている。俺がこの場を離れても、死にはしないだろう……


「……くそっ、ダメだ!」


頭ではそう考えていても、心が言うことを聞かない。俺の心は、“この場を見逃せない”と叫んでいた。ちっ、だからって、俺に何ができるっていうんだ?今の俺は、自分の名前すら思い出せないっていうのに!


「ちくしょう、とりあえずもう少し様子を……」


俺がそろりと、角から目だけをのぞかせた、その時。

さっきまでぼけっと宙を眺めていた女が、突然こちらへ振り返った。


「やべっ……!」


まずい、気付かれたか……?あわてて顔を引っ込めたが、見られたかもしれない。こっちに来られたらやばいぞ。


「一度隠れた方が良さそうだな……」


俺はそろりと、元来た道を後戻りした。


いや、後戻り


「動くな」


ぞくり。

全身に寒気が走る。それは低く押し殺した声のせいか、それとも首筋に押し当てられた、金属の冷たさのせいだろうか。


「じたばたするな。首が吹っ飛ぶぞ」


「あ、あの……」


「黙れ。御託は組で聞いてやる。続け」


なに?

気が付くと、さっきの女が目の前に立っていた。女は俺をいちべつすると、そのまま黙って歩き出す。どうやらあれについていけ、ということらしい。


「……ええと」


「振り向くな。そのまま歩け」


ドンッと背中を押される。おとなしく従うほかないようだ。俺は背後の何者かを刺激しないよう、慎重に歩き出した。


俺の前を行く女は、路地を抜け、道路を横切り、どんどん人気のないところへ進んでいく。やがて鼻をつく潮の香りと、波の音が強くなってきた。海が近いらしい……


(なんで海に?まさか俺を沈める気じゃあ……)


俺は恐ろしい想像に冷や汗をかいていたが、しかし女はそのまま道を曲がると、海沿いの小さな雑居ビルへと向かった。潮風にやられ、あちこち赤茶色の小汚いビルだ。一階は貸店舗なのか、怪しいネオンの看板がぶら下がっている。

女はビルに入り、階段を上っていく。狭い階段を窮屈に上ると、白さびの浮かんだ扉があった。そのわきには複雑な模様がほどこされた、奇妙な表札が掛かっている。それはかろうじて『メイダロッカ組』と読み取れた。


「入れ」


「うわ!」


ドン、と押し込まれた先は、事務所のような小汚い部屋だった。中央には狭い室内に似つかわしくない、大きなガラス張りのテーブルがあり、それを囲むようにソファが置かれている。

灰皿にうず高くたまったタバコの吸いがら、趣味の悪い大きな壺、そして壁にかけられた大きな『代紋』……それら全てが、ここは普通じゃないぞと警告している。これ、そうとうまずいんじゃないか……?


「さて……」


俺が呆然としていると、女がくるりとこちらへ振り返った。

照明に照らされた顔は、意外にもずいぶん若い。それなりにきれいな顔立ちをしているが、幼さの残るそれは、やはり少女という印象を強く持たせた。


(女の子が、どうしてこんなところに……?)


しかし迷いなくここに入った以上、油断ならないはずだ。ここの関係者か、あるいは……


「つっかれた~~~~!!!」


どっかり。倒れこむように座ったソファが、ぎいっと文句を言う。


「ただいまぁ~~。スー、お茶持ってきて~~~」


目の前の少女は足を投げ出して座ると、そのままぐんにゃり背もたれにうずもれた。


「………………」


な、なんだ。俺は突然のことに、思わずぽかんと口を開けた。しかし、背後にはまだ人の気配が残っている。気を抜くわけには……


「お疲れさま、キリーちゃん。よかった、思ったより早かったね」


奥から金髪を揺して、湯呑を乗せた少女がやって来た。ま、また女の子が増えた……


「ありがとー。いやぁ〜、まいったまいった。兄貴ったらマジギレなんだもん。さっさと逃げてきちゃったよ」


少女は湯気を立てる湯呑を受け取ると、ふーふー息を吹きかけている。金髪の女の子はそれを見てほっと息をついたが、やがて思い出したように視線を巡らせた。


「あれ?ウィローちゃんはどうしたの?」


「んー?あれ、そういえば」


二人はきょろきょろ見回すと、俺を……正確には俺の後方を見た。


「あれ?ウィロー、いつまでそこに立ってるの?」


気のせいか、後ろでずるっ、という音がした。


「……もう。二人のせいで台無しじゃないですか」


アルトな声とともに、俺の背後から青色がかった黒髪の少女が、ぬっと現れた。

後ろにいたのも女の子だったのか!声色を変えていたのだろう、全然気が付かなかった。

ウィローと呼ばれた少女は、カランと鉄パイプを放り出すと、同じようにソファに腰を下ろした。俺に突き立ていたのは、あのパイプだったらしい。


あっというまに、目の前に三人の女の子が集まった。てっきり強面の大男でも出てくるとばかり思っていたから、そのギャップにくらくらする。


「それで〜、キリーちゃん。気になってたんだけど……この人、どなた?」


金髪の少女が小首をかしげる。


「ん?あ、そうだった。ねえ、お兄さん」


ここまで俺を先導した少女が、ピンと背筋を伸ばしてソファに座りなおした。くりっとした目が俺を見つめる。


「なんでここにいるの?」


「はぁ?」


思わずすっとんきょうな声が出た。


「……私がお連れしたんですよ。あの現場を覗いていたので」


黒髪の少女がため息をつく。


「ああ、そういうことか。覗きはダメだよー、お兄さん」


「キリー、そうじゃないです。他の組のスパイの疑いがあったからですよ」


「え、そうなの?お兄さん、スパイだったんだ」


え?だったんだと言われても……はぁ、としか言えない。

間の抜けた返事が気に食わなかったのか、黒髪の少女はきっ、とねめつけた。


「あなた、どこの組の者ですか。目的はなんです?」


「組?いや、俺はたまたま居合わせただけで……」


「冗談はよしてください。あの時間、あの場所を散歩する人がいるわけないでしょう!」


ばん、と少女がテーブルを叩く。釣り目がちな瞳は、敵意をむき出しにして俺を睨んでいる。


「ほ、本当なんだ!目が覚めたらあそこにいて、声がする方へ行ったらきみたちがいたんだよ」


「目が覚めたら?……昼寝でもしていたっていうんですか?」


少女が怪訝そうな目を向ける。


「それは……」


言い淀む俺に、キリーと呼ばれた少女が声をかけた。


「ん~……なにか訳ありみたい?お兄さん、最初っから話してみてよ」


そういうとキリーは、目で俺に座るよう促した。

さっきから狐につままれている気分だった。見知らぬ街、失くした記憶、怪しげな少女たち……混乱する俺は、誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。

気がつくと俺は、そろりとソファに腰掛け、目覚めてからのことを話し始めていた。


続く

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