第三章 鯨
明治三八年五月二七日午前五時五分
「露艦、出現」
の報せは、舞鶴にふたたび入った喜市郎らが身を落ち着けることを待ちはしなかった。海軍ではかなり早い段階からバルチック艦隊就航の情報を掴んでいて、それがためにずっと犬猿の仲であった陸軍の出動を容れ、陸においても激戦の繰り広げられるところとなったわけであるが、喜市郎らの耳には噂や憶測程度のことしか伝わっていなかった。そして、やはり、露艦なにするものぞ、というような気風がある。
しかし、いかに日清戦争で歴史的大勝利を得たところであるとはいえ、当時世界最強クラスのロシア海軍の、その中核となる艦隊が日本海を目指すとなると話は別である。
当時、戦況を見守っていたあらゆる国において、日本が不利であるとする見方が強かった。それは軍事力はもちろんのこと、それを支える国力などから見てのことであり、世界有数の大国であるロシアを相手取るのであるからそう見るのが自然と言うべきで、当時の我が国の人々のみがその世界の眼の中でぽっかりと浮かぶ島国のように──まさしく、我らが国土がそうであるように──して逸脱しており、何を根拠にそう思うのかたとえどのような兵器を備えた部隊がやって来ようとも陸軍はそれを鎧袖一触打ち払い、たとえどのような戦艦がやって来ても海軍はそれを一撃轟沈させると信じて疑わなかった。
何も、喜市郎がものを知らぬのではない。皆が、そうであった。そういう時代であった。そして、それは、大東亜戦争が終わりを迎えるときまでずっと続いてゆく。
喜市郎は、言ってみれば、まだましな方であったろう。佐々の突然の死が与えた衝撃が、それがもたらす恐怖が、疑問が、彼の目の半分を開かせた。
どの新聞を見ても、我が国がかならず勝つと報じられている。誰もが、それを信じている。では、なぜ佐々は死んだのか。あの黄海沖で見たおそろしい化け物は、何だったのか。耳を潰さんとするかのように鳴り響く砲声は。煙を上げて傾く船は。喜市郎が見、体験したその全てが、世の人が見聞するものとは違っていた。
だから、彼は、知ろうとした。
──なにが、武ちゃんを殺したんや。
それを知らねば、自分もまたあの真っ黒い鯨の化け物に飲み込まれて消えてしまう。そう思った。
無論、また海に出るのだから、彼の心は平常ではない状態であったことは言うまでもない。まだ甲板を踏みもせぬうちから酔いを発して嘔吐を繰り返し、その顔は蒼白なものとなっていた。上官に見つかって艦から降ろされぬよう、たとえば呼びつけられて整列するときなどはその直前にふんだんに胃の中のものを吐き散らかしてやり、さらに自らの両頬を何度も叩いて赤くし、血色を良く見せた。
ほかの朋輩に佐々のことを訊かれても、詳しいことは答えなかった。ただ、病気で死んだらしい。とのみ答えた。それは彼の母親がそう言っていたからであり、自ら命を断つという行いが我が息子の名誉に障ると考える母親の感情への配慮であったのかもしれぬし、単に多くを口にしたくなかったのかもしれない。
それを聞いた朋輩の多くは、単にその事実を惜しんだ。誰もが、佐々は目から鼻に抜けるようなところがあったが、それが決して嫌な感じにはならず、いい奴だった。と言った。
しかし、中には察しのいい者もいて、
「ところで、お前、痩せたな」
となぜか哀れむような視線を向けてきたりする。そうなると、喜市郎はかえって気の強いところを表に出し、
「そらそうや。大事な召集やし、ちょっとでも目方(体重)を軽うしとかんと。三笠の快速に障りが出たらあかんからな」
と冗談を言って笑い、青い目を細めた。
補給物資や兵員搭載のため寄港していた三笠は出航したまま、西進を続けている。何日それが続いたか、そのときの喜市郎はもちろん把握していたことであろうが、あとになって思い返しても思い出せぬものだとのちに述べている。
老いた彼曰く、それはわずか数日のことのようでもあり、何ヶ月も海を漂っていたようでもあったという。
この頃にはもうバルチック艦隊が対馬にやってくるのは確実とされており、それを待ち受けるような形で連合艦隊は行動していたわけであるが、むろん一兵卒であった喜市郎にまでそのことは知らされない。彼にあったのは、何でもない艦の上での日常業務と、夜になれば暗闇の中、あの化け物が襲ってくるのではないかという恐怖だけであった。
彼の日時に関する記憶が再び定まるのは、五月二十五日になってからである。彼曰く、そのとき、三笠はわけの分からぬ湾に停泊していた。何日も、そうしていたらしい。待ち伏せをしているのだろう、と兵卒は噂していたが、いっこうに敵が現れぬので少し倦んだような空気が漂いはじめたときだった。
上官が、姿を現した。気が緩んでいるところを見られれば叱責を受けるから、将校の軍服を着た者の姿が見えた途端に兵卒はきびきびと動きはじめた。
その上官が兵卒を集め、これより一両日の間に敵艦発見せざるときは移動するという旨を発布した。
「なんや。待ち伏せと違うんかいな」
と喜市郎は上官が去ってから嘯いたが、ここに敵はやって来ぬかもしれぬのだと思うと途端に吐き気を催し、便所に駆け込んで盛大に吐瀉した。気を張ることでかろうじて抑えていたものが、一気に噴き上がってきたのだろう。
しかし、その方針はすぐに撤回された。どうやら、艦の上層部でも本営でも、相当な混乱が生じているらしい。
三笠は喜市郎の言うわけの分からぬ湾に留まり、敵艦をやはり待つ。そう決定した。それで、喜市郎は落ち着きを取り戻した。こういう心のはたらきが人間にもともとあるものなのか、あるいはこのときの喜市郎が特殊な心理状況の中にいたからなのかは、筆者には分からない。
彼が語るところは、ここで牛若丸が船を渡るようにして飛ぶ。
敵艦発見、出撃。それが、けたたましく発報された。
それで飛び起きた喜市郎は、その日時ははっきりと記憶していた。
明治三八年、五月二七日。時刻は、午前五時五分。甲板まで他の兵卒に合わせて全速で駆け上がった喜市郎は、まだ明けぬ海の黒から吹き付ける風に打たれながら、己を支配する眠気などはじめから無かったかのようにして塗りこめた壁に似た闇を見た。
――あいつが、来る。
両足は震え、奥歯が噛み合わない。慌しく人の行き交う甲板の上に取り残されたようにして、何度も、そう口の中で呟いた。
わが国の戦史どころか世界的な視点から見ても注目される日本海海戦。その幕開けの場に自らがいることは、このときの喜市郎自身は知る由もない。ただ、目の前の闇の中に棲む鯨が、いつ大口を開けて迫ってくるか、そのことだけを考えた。
――しっかりせえ、喜市郎。なにが武ちゃんを殺したんか。それを確かめるんや。そうやないと、お前もあのばけもんに食われてまうで。
老いてからの彼は、そう必死で自分を鼓舞したと言うが、あとで記憶が自分にとって都合のよいように書き換わったのかもしれないと苦笑していた。
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