道

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　私は昔から、母と上手く話すことができない。だからといって不仲かと聞かれると、別にそういうわけではない。それどころか、私の家族はかなり仲がいいほうだと思う。それでも、私は上手く話すことができないのだ。今から、その理由について話していきたいと思う。

　この話をするにあたって、私はまず自分の生い立ちについて話さなければいけない。私の父と母は日本人と台湾人で、私はそのあいだに生まれた子どもだ。いわゆるハーフと呼ばれるそれで、そして姉がひとりいる。

　生まれてから幼稚園に入るまで、私の母語は中国語だった。台湾に生まれたのだから、それは必然だろう。記憶にあるわけではないが、家に残されている当時のビデオだとかでは中国語を話しているから、これは間違いない。恐らく、この時点では日本語が話せなかった。映像の中に日本語を話しているものが見つからないから、記憶にはないけれどほぼ確実にそうだ。それから日本人の通う幼稚園に入って、私は次第に中国語よりも日本語を話す機会が増えていった。小学生になると、私は日本人学校に通った。日本語で教育を受けるようになって、日本語の本もたくさん読むようになった。とはいえ、住んでいるのは台湾だし、毎日のように中国語を話していた。また、日本人学校には台湾人の先生もいて、さらには中国語の授業も週に一度あった。それが普通だと思ったし、そういう毎日に何ら疑問を抱いたことはなかった。このとき、私は確かに母と話していたはずだった。

　何かが変わってしまったのは、日本に引っ越した後だった。日本に引っ越したのは、姉が中学生になるのと同時だった。私は小学五年生で、まだまだ子どもだった。私立の日本人学校で教育を受けた姉は、日本の教育に反発するように台湾を調べ、中国語を学んだ。一方で子どもだった私は、純粋な日本人であるクラスメイトたちに馴染むほうを優先した。きっと、どちらが悪くてどちらがいいとか、そんな話ではないだろう。ただ、私と姉の差はそこで少しずつ広がって行った。

　いつだったか、「子どもは自分に不要な言語を無意識に捨てていく」と聞いたことがある。私にとっての中国語はまさにそれだったのだろう。中学生の私は、すっかり日本人になっていた。その頃から、母とは上手に喋れない。もしかしたら、公共の場で中国語を話すことを恥じていたかもしれない。言い方は悪いが、日本で暮らしていれば、中国の悪評は嫌でも耳に入る。私は、だから、中国語を話すのをやめた。

　それと同時に、私は日本のアイドルに没頭していた。趣味が日本語でしか語れなくなって、家でも日本語を使う機会が増えた。私はこの頃から、本格的に母と話せなくなった。

　姉がハーフについて学びたいと言い出したのがいつだったか、私はもう覚えていない。姉は私よりもずっと「自分は何か」「自分は一体何人として生きるのか」ということを考えていたように思う。私はもはや必要最低限の日常会話しかできなかったし、日本人になるのだろうと、漠然と思っていた。やがて優秀な国立大に入った姉は、台湾の研究を始めた。

　それからというもの、私は劣等感ばかりだった。姉の話す台湾が、私の知らないものに変わっていった。歴史も、建造物も、文化も、全部知らなかった。言語すらまともに話せないのだから、当たり前だった。私は代わりに日本語にのめり込んだ。小説を書いた。日本語が好きだからと、それを盾にして自分を守った。大学も、日本語を深く学ぶことができる大学の学部、学科を選んだ。

　私は今も、母と上手く話すことができない。ただ、中国語を学び始めた。楽を望んでか、母に歩み寄りたかったのか、私はわからない。前より中国語のボキャブラリーは増えたとは思うけれど、それを簡単に会話に活かせるかと聞かれるとそうではない。それでも、少しは「台湾人」として生きることもできるようになるだろうか、と思う。もしかしたら、今度は「自分は一体何人なのか」という苦悩にぶつかるかもしれないけれど、それも悪くないと思う。

　そんな小さな一歩を私がゆっくり踏み出しているうちに、姉は台湾へ短期留学を済ませ、中国語検定をとった。この差が縮まることはないだろう。姉は大学を出たら台湾の大学院に進むと話していた。台湾の文化をより深く学ぶのだと。

　だけど、この大学に来てからは、あまり苦しくはない。日本語を言い訳にしていたのではなく、やはり日本語が好きなのだと思えるようになったからだ。

　私はやはり日本語を学んでいくだろう。文章を書いていくだろう。やはりそちらのほうが好きだから。