第4話

「悪いな。待たせた」

「冗談やめてくれ。待ってなんかいませんよ」

「いつもの棒手振りがいないからな、遅れたと思ったんだが」

「あんなもん――あんたとお日様の方がよっぽど目安になりますよ」

 糸助が腰を下ろすと同時に水が出た。隣では定吉が目を細めて煙草を吸い始めた。

「うまいかい?」

 糸助のなにげない問いに、定吉はいっそう目を細めてうなずいてから煙を吐いた。その様子はちっともうまそうにみえない。糸助は煙草をやらなかった。初めて定吉の店に荷を届けたときに盆を出されて断ったら怒鳴られたことが懐かしい。

 定吉はいつあの世に行ってもおかしくない人相だが、まだ六十にもなっていないはずだと糸助は思っていた。「定吉さん。夜に荷を運んでいる奴がいるみたいだ。聞いたことあるかい?」定吉はゆっくり顔を傾けた。「まさか。糸さん、危ない橋を渡るつもりかい? やめときなよ。」「俺はやらないよ、俺の話じゃない。気が早いな、よく聞いてくれ、俺のほかに車を引いてる奴のことだ。さっき坂で出くわしたんだ、あっちは俺のことを知ってるんだとさ、こっちは初めて見た男だ。金を持ってそうな男だよ、着てるものもすごかった。そんな男が夜に車を引いてるんだと」

「かつがれたんだよ、夜に車なんてできっこないさ。法度破りで縛られるぞ。いつもかついでばっかりだからたまにはかつがれるのもいいだろ」定吉は上機嫌で笑いが止まらなかった。

「何がそんなに面白いのかねェ」糸助はあきれてほっておいた。からんでこないとみるや定吉はすぐ真面目になった。「そばじゃないが、なにか特別にゆるしをもらってるのかもしれないね。」

 糸助は鼻をすすった。「自分と同じ仕事だが、もしそれがほんとなら、よくも馴れ馴れしく話しかけてきたものだ。いっしょにされてはたまったもんじゃない。ただ偉そうにしてるだけで食いものや着るものを苦労もしないで手にいれてる連中の手先になってたまるかよ」

 糸助は単純な男だ。普段は口が回らないが、定吉の前だとよく回った。得意先それぞれで糸助の印象もだいぶ変わるようである。

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夜を研ぐ 上高田志郎 @araiyakusi1417

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