第5話

「ふーん。大翔君の家って案外私の家と遠いのね。方向が同じだからもしかしたら近いのかもって一瞬思ったけど」

 

 スタンドを立てて後輪が浮いた自転車に乗って、空漕ぎしながら彼女は言った。

 

 僕は彼女の家がどこなのか聞こうと思ったが、必要もないのに女の子の家の場所を聞くのはどうなのかと思い、出かけた言葉を飲み込んだ。

 

「へぇ~。そうなんだ」

 

 当たり障りのない返しをする。

 

 埃かカビかの臭いで満たされた物置から、受験生になってから全く使わなかった白い釣り竿を手に取った。薄く埃をかぶった釣り竿の持ち手を手で拭うと、久々の出番を喜ぶかのようにキラリと光った。

 

「釣り竿あったし、行こうか」

 

 再び自転車に跨って後ろに彼女を乗せた。肩を掴まれるのは2度目だが、やはり慣れない。2人乗っているとなると、ペダルをいつもより強く踏み込まないと前に進まない。進み始めると、肩を掴む彼女の手がより一層強く握りしめられるのがわかった。

 

「どのへんで釣るのかしら」

 

「あそこに見える橋の横が釣りやすいんだ。いい感じの段差に座ることができるから」

 

「家からそれほど遠くないのね」

 

「近いからこそ行く気にもなるよ」

 

 橋の横に自転車を止める。彼女が降りる。それに続くように僕も降りる。水が石に当たって砕ける音がする。跳ねて陸に上がって、陽に照らされて乾いた水滴匂いもする。久しぶりにこの場所に来た僕は、受験による心の緊張が溶けてゆくのを感じた。

 

「わぁ、きれい。」

 

 そういうと彼女は下り坂になっている川べりを少しブレーキをかけながらも素早く駆け下りた。

 

「荷物、盗られるといけないから下に持っていくね!」

 

 彼女に届くように少しだけ大きな声を出す

 

「わすれてた!ごめんお願い!」

 

 僕は教科書が詰まってずっしりとしている彼女のカバンと、教科書を学校に置いているからとても軽い僕のカバンと、釣り竿をもって坂を転げ落ちないようにゆっくりと下った。

 

「見て、魚よ。たくさんいるわ」

 

 身を乗り出して川をのぞき込む彼女の一歩後ろで、釣りの準備をしながら答える。

 

「そうだね。今日はいつもより少ないけど」

 

「いつもはこれより多いのね。素敵な場所ね」

 

 自分のことを褒められたわけでもないのになぜか嬉しくなった。

 

「さぁ、準備できたよ。第一投、お願いします」

 

「いいの?わたしで」

 

「もちろん。体験入部だもの。体験してもらわないと」

 

「お言葉に甘えて」

 

 僕は彼女に釣り竿を手渡した。

 

「あれ、餌って付けないでいいのかしら」

 

「うん。ここの魚は馬鹿だから針だけでも食いつくんだ」

 

「うふふ。賢いから食いつくのよ。きっと」

 

 そう言うと彼女は釣り糸を川に垂らした。針と錘は水面に着くと、波紋を広げたが、その波紋は川の流れで、川下側から先に円形を外側に崩していった。

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