第4話
夏の香りを運ぶ風や、手の届きそうなところまで枝を伸ばす緑生い茂った桜の木。それらを間近に感じることができる僕の席。スズメバチが授業を受けに来る時の通学路も僕の席の隣の窓だ。
授業が終わる16:00前。窓の外の木をぼんやり眺めながら、これからの冒険について考える。昼に比べて日差しが傾いたといえども、正午に熱された湿り気のある空気は体感温度を下げようとはしてくれない。天井に付いている扇風機は十数秒の間隔で首を振って僕のほうに風を送るが、焼け石に水であった。そんな中、ほんのりオレンジ掛かった空を見ると、これからの冒険が憂鬱に思えてくる。そんなことを考えているうちに、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
終礼前の少しの時間に、佐藤さんに話しかけようと思った。けれども、彼女はそれまでの間に仲良くなったであろうクラスの女の子と話していた。
「礼!」
学級委員長の号令で今日の学校は終わりだ。僕のクラスは終礼が遅いので、いつも教室の前には、終礼を終えた他クラスの生徒が待っているのがお決まりだ。
「大翔君!正門で!」
他の女の子に囲まれ引っ張られて教室を出ていく佐藤さんは、教室の扉を出ながら僕に声を浴びせた。
なぜこれほど佐藤さんが僕に対して友好的なのかわからなかった。もちろんクラスメイトも同じことを思ったであろう。なぜ陰気な赤城と。現実的な推察としては、席が近かったので話してみたら、意外と話が盛り上がってしまったのであろう。
僕は今更友達を作る気なんてさらさら無い。受験前の最後の夏休みという天王山に向けて気を引き締める時であるのは誰の目でも明らかであった。ましてや大分遅れている僕など。
そんな事を考えながらある事に気がついた。
受験生なのに冒険なんてしていたらダメじゃないか
そのことに気づき、完全に乗り気ではなくなった僕は、重い足取りで正門へと向かった。
歩きながら正門のほうに目をやると、佐藤さんが手を振っているのが見えた。少し離れている距離はどこに目を向けたらいいのか悩む。軽く速足で佐藤さんの所へ向かう。
「遅いよ~、なにしてたの~。暑くて焼け死ぬかと思ったわ」
「ご、ごめん。トイレに行ってたんだ」
自転車を取りに行っていたと本当のことを言えばいいのになぜか変な嘘をついてしまう。
「トイレなら仕方ないわね。人間だもの」
「で、今日は赤城君の部活動を見学させてもらうわけだけど、何をするの?」
「今日は釣りをしようと思うんだ。いつも僕の家の近くにある川でするんだけど」
「おっけー。了解よ。赤城君のお家ってどの辺りなのかしら」
「とりあえず、正門の前の道を右に曲がるよ。僕の家は、郵便局のすぐ近くだよ。......わかる?」
村に郵便局は一つしかないけれど、引っ越してきたばかりの佐藤さんがわかるかは怪しかった。他にあるのは田んぼか畑か案山子ぐらいだ。
「んー。わからない!だけど、わたしも通学路は右の道よ」
「そうなんだ。じゃあ途中まで一緒みたいだね」
帰る方向が一致していることが分かった僕らはお互いの呼吸を見ながら歩き出した。
「赤城君の自転車、うるさいわね」
彼女は不思議そうに自転車を眺めながら言った。
僕は自転車のタイヤが回転するたびに何かが挟まってぶつかっているようなガチガチと音が鳴ることに気が付いた。
「ほんとだ、僕も今気づいたよ。なんでだろう......」
理由を探そうとした瞬間、その答えは見つかった。
「......今日の朝、川に自転車を落としたんだった!たぶんその時に何か挟まったんだと思うよ」
「ほんとに?!どうやったら川に自転車が落ちるのよ。ほんと大翔君って意味不明なのね」
意味...不明...?変な人、変人、変わってる、奇人、だとかは言われたことがあるけれど、意味不明と言われるのは初めてだ。頭の中は嫌だと思う以前に、疑問しか浮かばなかった。
「そういや、釣り竿を取りに一度家に戻らなくちゃいけないんだ」
「ほんとうね。急がないと日が暮れちゃうわね」
彼女の言葉で空に目を向ける。空は夏至が近いといえども、まだ明るいが陽はさっきよりも傾き始めて、昼とは呼ぶことのできないまでにはなっていた。ところどころに浮かぶ高い入道雲は、いかにも夏におけるその役目を嬉々として果たしているようだ。
「ねぇ、大翔君。後ろ...乗っていい?このままだと家に着くまで30分はかかりそうだから」
「う、うん。いいよ」
後ろに女の子を乗せるだなんて、緊張して事故でも起こしたらかなわない。
なんて言えるはずもなく、僕は彼女の申し出をすんなり受け入れる他なかった。
「じゃあ、カバンを前のかごに入れるわよ。入るかしら」
僕はすでに自転車の前かごに入っている僕のカバンを押して空気を抜いて前に寄せる。空いた前かごの後ろ半分の空間に彼女はカバンを押し込んだ。
「走ってるうちに、飛び出ないか心配だわ」
「飛び出そうになったら頑張って僕が抑えるよ」
「まかせたわ、朝みたいに川に突っ込むのは無しよ」
僕の言葉に被せるように佐藤さんは僕の後ろに乗った。乗るときに彼女から巻き起こった小さな風は、少し僕の肩を超えて鼻腔へと迷い込んだ。甘いような懐かしいような花のような香りがした。
「さぁ、運転手さん。頼んだわよ」
そう言いながら彼女は僕の肩を掴んだ。僕の心も掴まれるような気がした。僕は乗り気ではなかった過去を全く忘れてしまった。
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