第3話三度目の旅立ち①

「勇者よ、面を上げよ」


荘厳な雰囲気漂う豪奢な部屋に、年老いた男性の落ち着き払った、しかしそれでいて威厳のある低い声が響く。


「はっ」


その部屋の、これもまた豪華な大理石か何かで出来ていると推測される、綺麗に磨き上げられた白磁色の床。

それを跪きながら俯いて見ていた俺は、放たれた自分への命令を受けて、その通りに顔を上げた。


俺のいる数メートル先。少し緩やかな階段があり、高さが上がったそのフロア。

目を向けた先にいる、初老を迎えた頃合いの顔つきをした男性は、俺をまっすぐ見る。

赤を基調とした礼服に、それと同系色の質のいいマント。

年齢の影響で白く染まった髪は整えられ、その上には金色に光り輝く冠が乗っている。


「そなたをここに呼んだ理由は、もちろん分かっておるな?」


優しげでありながら、視線を合わせている内は気を抜くことができない表情。


「もちろんです、国王陛下」


俺が今相対しているのは、国の君主であり、国の領地の全てを統べる者であり、国の階級の一番上に位置する存在。そう、国王だ。

この国の王都の中心に聳える国王の住居、王城の頂きである王の間にて俺は、国王に謁見をしていた。


王の象徴である玉座にゆったりと腰掛け、その周りを純白のマントと黄金の鎧を身に付けた屈強な聖騎士たちに囲まれる姿は、彼が国家の頂点であることが一目でわかる構図になっている。

溜息一つで首が飛びかねない、ある意味戦場よりも危険な場所だ。戦闘以外でここまで気を引き締めなければならない場所もそうそう存在しない。

そんな場所で何故俺が王の前で跪き、頭を垂れていたのかは言うまでもない。


「姫が攫われたと。そう聞いています」


俺は自分が聞いた限りの情報だけ、簡潔に伝えた。

姫が何者かに攫われた。俺はそう一報を受けてここに参上したのだ。


「その通りだ。わが娘であるチェルナが、隣国で行われることになっていた外交のためのパーティーに向かっていたところ、何らかの襲撃受けた。それから一切の連絡が途絶えている」


表情を曇らせつつ、国王はそう話した。

一瞬だけだったが、国王の顔から威厳が消え、悲しみの色になる。国の父ではなく、一人の娘の父として、姫の身を案じている顔だ。


「護衛は大勢いたはずですが?」


姫が外出して異国に出向くのだ。大勢、なんてそんな生温い言葉では表せない人数の兵士たちが、包囲網を作っていたはず。


「一人残らず全滅だ。チェルナが乗っていた馬車と思しき木の残骸付近には、地獄と化した焼け野原と、魂ごと燃え尽きて死んだ兵士の屍しか残っておらんかった」


重要な人物を護るために配備されたのなら、その兵士の全ては高度な技術を有した熟練の騎士たちである。

それがまとめて殲滅されていたとなれば、敵も相当の手練れ、もしくは高度な魔法技術などを手にしている者。

思い当たる節はいくつかある。

その中で最も不自然さがなく、可能性の面でも高いと言えるものを挙げるとするならば。


「魔王軍、ですか」


「……恐らく」


額に脂汗を僅かに浮かべつつ、国王は苦しそうな表情でそう言った。


魔王軍。人間の世界を征服せんと目論む、魔族から構成された巨大な組織だ。

凶暴で破壊を好む巨人族も、卑劣で狡猾な小鬼族も、生物の枠組みから外れた強さの竜族も。


魔王軍に組する者たちは、人間では相手にすることができない強大な力を以て次々やってくる。


そして奴らが担ぎ上げ、その魔王軍の頂に君臨するのが、魔族の中でも最高位に位置する悪魔族。

その悪魔族の中で最強を謳われる者。魔族の中の魔族。化け物と呼ぶにふさわしい存在。


闇の源。魔王だ。

勇者である俺と対をなし、俺が二度負けた相手でもある。


「俺をここに呼んだのは、魔王軍を打倒するため魔王を討つと共に、連れ去られた姫の救出。これを依頼するためですね?」


まあ、大方間違いないだろう。それ以外で俺が呼ばれる道理はない。


「その通りだ。頼まれてくれるだろうか?」


勇者というのは国に危機が迫った際に、それを解消し救うための存在だ。一国の姫の身に危険があるというならば、その身を賭して戦うのも義務の範疇に入る。

それならこの仕事も受けないわけにはいかない。


「……この仕事は勇者の義務であり、王の命でもあります。もちろん引き受けさせてもらいます」


深く頭を下げ、王の言葉を肯定した。


「おおっ、そうか! 引き受けてくれるか。ありがたいことだ」


国王は安心したように、何度も何度も頷いた。


「他に誰か向かっている者はいるのでしょうか」


「騎士団長の一人であるカイザーが、魔王軍との戦闘へ備えるため、自らが指揮する騎士団を率いて先方出発したと聞いている」


カイザー、か。騎士団とは特定の人物としか交流のない俺は、誰のことか見当もつかない。

鎧も髪も金一色の大柄な騎士が、その名で呼ばれていた気がしなくもない。人違いなら申し訳ない。


姫救出を志すのも、これで遂に三度目だ。

無駄に厳重に封のされた手紙に、姫が行方不明という知らせ。そして残された悲惨な現場。

正直またかと思った。

だが待っていた。


実際、姫が魔王に連れ去られたかどうかは俺の知るところではない。

もしかしたらまったく別の件で拘束されていて、今俺のしようとしていることは的外れ以外の何物でもないのかも知れない。

だがそんなことは、今は決して重要ではない。


勇者は、国を護るという第一優先の目標と、それを行うという前提のもとに成り立っている職業だ。

それ故、俺の独断で勝手に王国の敷地の一定範囲内から出ることは、原則許されていない。


つまり、王が何らかの命令を出さない限り、魔王を倒しに行くことができなかったのだ。

魔王を殺すためだけに腕を磨いてきた以上、それは一番の弊害だった。

国の敷地に縛られていなければ、いつでも首を獲りに行く準備はできていたのだから。


そして今日、待ちわびた日がやってきた。

勇者が魔王を倒し、世界を救うための冒険の旅に出る日が。


この展開は知っている。というより話が出来すぎている。

人間が敵うはずのない魔界の王を、一人の青年が剣で立ち向かう。そんなご都合に塗れた話。

前々世の時点で、伝説として書物で読んだことはあるのだが、妙に感情移入はしないような現実味のない話。


俺はその物語を二度も途中で終わらせ、完結させることができなかった。

それを今さら綺麗に締め括るつもりはない。最後まで辿り着きさえすれば、それでいい。

姫の安否は二の次だ。というより姫救出自体、俺が魔王城へ向かう理由と手段でしかない。

顔も朧な人物を探すためだけに戦うなんて、そんな聖人君主に俺はなれない。


姫というのは魔物に攫われるように出来た生き物だ。

その理論はどの世界も同じなのではないだろうか。

ならばその運命に沿って頂いて、大人しく俺の目的の踏み台になってくれ。

もし魔王を殺した後、俺も姫も生きていたなら救出しよう。


「では、直ちに準備を行いますのでこれで失礼します」


もたもたしてはいられない。厚手の絨毯に沈み込むくらいに埋まっていた膝を地から離し、この場を後にするため立ち上がる。


「待つのだ、勇者よ。そなたに授ける物がある」


国王が少し前かがみになって、俺の進行を制止してきた。

そして、周りの配下に指示をする。

しばらくして俺の前に、台に載せられた一振りの剣とペンダントが置かれた。


剣の方にはよく見覚えがある。

片手剣用の大きさ。強い金属光沢を放つ黄金色の柄と鍔には、職人の趣向を凝らして彫られたような刻印と装飾が多く見受けられた。


聖剣。俺を勇者と認めた、聖なる力を持った神から授けられし剣だ。

国の宝であり、魔を討ち滅ぼす最善手であり、勇者と共に行く正義を貫く道しるべ。

勇者と言えば聖剣。聖剣と言えば勇者。そう生まれながらにして決まっていた。

魔王と戦うなら、これを持っていくのは必須なのだろう。


実のところ、俺は聖剣のことが嫌いだ。

聖剣は最強の剣で、何を前にしても無双できる。そんな夢のある幻想を信じられたのは、前世までだ。触れるどころか見たことすらない木っ端市民は、子供どころか大人までその虚偽を真と思っていそうだが。


聖剣を嫌うのは、別に単純な選り好みなどではない。

握った時に自動的に与えられる、聖なる神の加護が、この上なく鬱陶しい。それが大部分を占める理由だ。

俺は前世と前々世で、色々な加護や能力に出会ってきた。

天使や神の加護もあるが、魔族から受けるような、呪いに近い加護もあった。

その全ては有用なものであるその一方で、信用できるものでは断じてない。


所詮奴らはこの世界への大々的な干渉を行うことに興味を持っていない。俺への力の付与も、遊び半分に行っている。

俺はそんな第三者からの力など欲していない。


聖剣は、そこまで直接的なアクションを起こすことはない。

あくまで剣の概念の内の産物。ただの金属の塊。

とはいえ嫌いなものは嫌いだ。


それを国王から受け取らない程無礼ではない。台から掬って持ち上げると、柄だけ持って肩に吊り下げた。


後はもう一つのペンダント。

獅子が上半身を持ち上げ、翼を広げて天に吠える様が描かれた、武のコンセプトを前面に押し出したようなデザインのメダル。


「これは……」


「王国製のメダル。王族の血縁者や身分の高い騎士が、身分を証明する際に使用するものだ」


あまり興味がないから知らないが、この国の正義の象徴は獅子なのだろうか。

身分証明に使えるのなら、旅先でも利用価値があるかもしれない。

首に掛ける。若干の邪魔さはあるが、仕方あるまい。俺は今度こそ王の間を出るため、国王と真逆の方向にある扉に向かい、軽く押し開けると国王を少し見やる。


「すぐに戻ります」


「幸運を祈っておるぞ。勇者ヨミよ」


表情は確認せず声だけ聞いて、扉を閉じた。

国王との謁見を済ませた俺は、無駄に長い螺旋階段を足早に下りつつ思案を巡らせる。


魔王城への道を最短で駆け抜けることは容易い。

しかし俺が目指すのは、確実な魔王の殺害。これ以上の勇者人生の連鎖から脱すること。

だとすれば最短ルートを進むのは、正しいやり方ではない。まずは魔王軍の力を削ぐべきだ。

近場の村を散策し、装備や人員を整えるところから始めなければ。


そこまでで考えをまとめた時、階段が終わり地上への道が開く。

最後の一歩を踏んだその時。

横を這っていた壁が途絶えた場所から、白いものがにゅっと現れる。

それが人の足だと冷静に判断しつつ、俺は勢い余って激突した。


脛に重く打ち付け、響く大きな衝撃。前々世だったら叫んで転げまわっていただろう。

そんな風に客観的に、じわりと痛みが広がる足を見つめつつ。


「痛…………」


現状把握のための感想を口にした。

足の痛みはそれとして、つまらない悪戯を仕掛けてきた人物を一瞥する。


「何のつもりだ、シェロ。人の足を刈る格闘の練習なら、別の場所でも出来るはずだ」


俺に名を呼ばれた少女は、肩より下まで伸びた群青の髪をかき上げ、つまらなそうに嘆息した。


「そうは言ってもね。そこにあなたが居たなら足を掛けざるを得ないじゃない」


至極当たり前のように暴論を言ってのけると、髪よりやや紫を帯びた瑠璃色の瞳で俺の顔を覗く。


「怒った?」


「いや、全く」


彼女の名前はシェロ。この世界における、俺の幼馴染のような、腐れ縁のような微妙な関係の女だ。

俺が勇者として王城に連れてこられた時から既にここに居て、時に協力し時に争いを繰り広げてきた。

昔からこの類のスキンシップもとい嫌がらせは、何度も受けているので今さら動じない。どの攻撃を仕掛けてきても、対策方法は考えてある。

昔からこの性格故出会って間もない頃は、その当時は髪もまだ短かったことも相まって完全に男だと思っていたことは、本人には口が裂けても言えない。髪を伸ばし始めた時は女装に目覚めたと勘違いしたぐらいだ。


「今ので俺が足を踏み外し、頭から落ちて首の骨を折るような事態を招いていればどうなっていた? この世界が終わるぞ」


「それで死ぬ勇者なら、居なくても世界は終わるから安心しなさいよ」


美しくも不躾で尖った印象の眼で俺を見下ろす。

この広い世界の中で、俺のことをここまで軽んじているのもこの女ぐらいのものだろう。


「……それで、何の用だ。まさかこんな下らない遊びをするためにここまで来たわけではないだろう?」


こいつの場合、その可能性がゼロではないのが末恐ろしいところだが、俺の言葉でおどけた態度を止めたので、そうではなく今日は何らかの名目があるらしい。


「そこまで私も馬鹿ではないわ。もちろん用事があってあなたに会いに来たの」


「ほう、そうか。では何の用だ? 俺は王の命により、魔王討伐に向かわなければならないのだが」


お前の相手を長くはしていられないというニュアンスをたっぷり含ませ、もう一度質問を聞き直すことにした。

するとシェラは、にんまりと不安しか残らない笑みを浮かべ、俺の肩に手を置いた。


「まさにそれと関係することよ。あなたが魔王討伐を近々国王から仰せつかるだろうって話は、騎士団内でもよく話題に挙がっていたの。姫の件は、あなたよりも先に情報を掴んでいたわけだしね」


そういえば騎士団所属だったか。しかしそれなら、来るのに時間の掛かる手紙より先に伝えてくれれば良いものを。

その他人のヘイトを溜めることに特化した笑顔を崩さないということは、俺が今このような思いを抱くことを分かった上での所業か。


「つまり?」


「私が言いたいことを要約するとね。あなたのお供に任命されることになったわ、たった今から」


……は?

久しぶりの意味不明な言葉に脳が追い付かない。

戦闘中に聞いていれば、頭がショートしその間に即死していただろう。

少し遅れて理解した。

俺の魔王軍討伐メンバーにこいつが加わるという、あまり喜ぶことのできない意味を。

だが、意味は理解しても意図は理解できなかったので、微妙な顔をしたままシェラを見つめることになった。

一拍開けて、シェラが気づいたように言う。


「お供って言っても、“夜の”とかじゃないわよ?」


「ああ、そうだろうな」


別にそこに疑問を持ったわけではない。

シェラは「分かっているなら良いわ」と言って、王城の出口への道を、指で指し示した。


「てことで行きましょうか。魔王討伐より重要なことなんてあなたには無いだろうし、善は急げという言葉もあるようだしね」


急かすように俺の前を小走りに駆けるシェラを見る。

魔王を前にすれば、戦士だって剣士だって魔法使いだって。

基本はただの人間。一段階も二段階も下の下等生物なのだ。

それならいっその事、手練れの他人より戦う姿を間近で見てきた友人の方が、いざという時に頼りになる。それは十分なほどにあり得る。

それが無くても、この青髪が人の話を真摯に聞くとは思えない。俺がお供を嫌がれば、喜んで付いてくる。そういう人間だ。


だったら良いか、と。

この選択が最善手だったと後で思えるように俺が行動するほかない。


目に差し込む白い光。それを受け入れ空を見る。

のどかな空。平和な空。戦いを知らない空。

これからそう仰ぐ機会のないだろう一つ上にある青い世界をしばらく眺めると。


「……行くか」


王城とお別れするべく門を潜った。

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三度目の勇者 形無めつ @katanasimetu

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