考察
まず問題の発端。あの鉄骨落下事件について。
実際に起こった事象だけをまとめるなら、俺は鉄骨が落下し、人が一人なくなったという事件に遭遇した、で完結する。だが、その直前に俺が見た回想のような時間。その中でも鉄骨が、同じ場所で落下し、そこで俺はその真下に立っていた。だが、その後に俺の視界に広がった妙な空間。そこで俺は、メイドへ『ゲームセンターへ行こう』と提案した。その結果、その一瞬後には俺はゲーセンの中で立ち尽くしていた。
そして今日。あの数学のプリント。
提出しなければいけないプリントを俺は家に忘れてしまっていた。それは鞄をくまなく探したから確かだ。しかし、俺はふいにこの家に自分がいる回想を見て、そこの俺はその数学のプリントをしっかり鞄に入れた。その結果、目を覚ました俺はプリントを手に持っていた。
「一番可能性が高いのは、俺の頭がいかれた、ってことなんだろうが……」
あいにく、この事象の原因を自分の頭がおかしくなったから、と結論づけられるほど俺の性格は適当ではなかった。
雑な字でノートにまとめられた内容を何度も見返して、何回も反例を探したが、結局のところ、俺がたどりついたのは最初から頭に浮かんでいた仮説一つ。
……そうだな、一つ試してみよう。
「圭人様、お食事の支度ができました」
意外と長く考え込んでしまっていたようだ。メイドの落ち着いたその声に、俺は顔を上げる。
「あぁ、ナイスタイミング」
鍋をこちらに運んでくるメイドに俺がそう言うと、彼女ははて、と小首をかしげた。
俺はノートとペンを持って勉強机から離れ料理の並ぶローテーブルに向かうと、正面に座ったメイドとともに手を合わせる。
「「いただきます」」
彼女が合わせているのか、自然と合っているのか、妙にそろった声で食前の祈りをささげると、俺たちは食べ始める。最初は俺が言わないとメイドは箸を持たなかったが、もう慣れたのかいい意味で遠慮なく彼女は料理を口に運んでいる。
「実は明日のために仕込んでいたものなのですが……。ちょうどよかったですね」
今日のメニューはシチューだった。S級の兎肉は入っていないが、野菜の柔らかすぎず固すぎない程よい食感と、たまに口に飛び込んでくる肉の旨味がたまらない。味付けも格別だ。きっとホワイトソースから手間をかけて作ったに違いない。
「うん、今日も美味い」
「そう言って頂けることが何よりうれしいです。ささ、おかわりもどうぞ」
「まだ入ってるって……」
褒められたのがうれしいのか、お玉を持って俺の皿を取ろうとしてくるメイド。それに苦笑しつつも俺は断る。
それに「あっ、すみません……」と恥ずかしそうにうつむくメイド。その様子を、ほほえましいという言葉以外でどう形容すればいいのか。
……すっかりしようと思っていたことを忘れていた。メイドがあらかた食べ終わったころを見計らって、俺はノートとペンを取り出した。
「メイ――アヤノ。ちょっとした実験に付き合ってもらいたいんだが」
「――? えぇ、もちろんです」
やはり不思議そうな顔をするメイドに、俺は何も書いていないノートの一ページを見せる。その真っ白なページへ、俺はいっぱいに大きな『〇』を描いた。
「見たか? 俺は円を描いた」
俺の問いかけに、彼女は頷く。それを確認してから、俺は机の上へノートを伏せて置いた。
あたりまえだが、この伏せたノートには大きく『〇』が書かれているはずだ。そこに別の要素が介入する余地など存在せず、事実はそれ一つでしかない。
ここで、だ。
俺は目を閉じた。そして、その『感覚』を頭の奥から引っ張り出し、手繰り寄せ、イメージする。
そうして目を開いたそこは、変わらず俺の部屋。だが、俺はちょうど目の前のメイドへ真っ白なノートを見せているところだった。加えて、色合いは少し不自然に淡く、部屋の壁はところどころ歪んでいる。
ここで、俺はそのノートへ大きく、『×』を描いた。直後、視界は白い閃光に包まれる。
「……っ、帰ってきた」
目を開くと、そこはすべてが元に戻った俺の部屋。色も壁も普通で、机の上には一冊のノートが伏せておかれている。目の前では、メイドが何が何やらわからない、という風に眉をひそめていた。
彼女のその反応は予想していた通りであったので無視し、俺はノートを表に向ける。
「なぁ、ここにはどんな図形が描かれてる?」
俺はあえて、メイドに尋ねた。
「え? 『×』ですけど……。当たり前ですよね、圭人様はそう書かれましたから」
「俺がそう書いたから……ね」
俺はこのノートを置く前、『〇』と描いたはずだ。しかし、彼女の様子を見ると、俺はこのノートに『×』を描いたことになっているらしい。
……これで、あの仮説は立証されたな。
「ごちそうさま。残りはまた明日食べる」
「お粗末様でした。わかりました。ラップして冷蔵庫に入れておきますね」
そうして席を立って、また勉強机に向かう。
先ほどの俺の妙な行動、それによって俺は一つの仮説を立証した。それは――俺が意図的に時間逆行をすることができる――という突拍子もない説だ。つまり俺は先ほど、あの一瞬でノートに『〇』を描く前へ戻り、『×』を描いた、という事実にすり替えた、ということらしい。
まだ確定するのは早計だ。だが今のところ、この現象を説明するためにはこの時間逆行を事実として受け入れるしか方法がない。
「まったく……SFかよ……」
サイエンスファンタジー以上にこの状況をうまく説明した言葉があるだろうか。いや、ない。……反語表現を使ってもまだ強調しきれないほど、馬鹿馬鹿しい。
「圭人様、お風呂はどういたしますか?」
「あぁ……入ってくる」
てきぱきと皿洗いを進める彼女に促され、俺は風呂場へ向かった。頭から熱湯をかぶりながらまた考えを進める。
とりあえず、これで鉄骨落下、数学プリント事件の理屈はついた。しかし大事なのはどうしてこんなことになったのか、だ。一番に睨んでいたのはメイドの関与だが、あの様子を見る限り何も知らないように思える。
それより解せないのが、今日の矢代の発言だ。
彼女は、『どうして君は生きているの』と俺に尋ねた。それが、あの鉄骨落下事件のことを指しているというのなら、彼女はいったい何者なのだろうか。創作物上でよくあるのは、俺の時間逆行で失われるはずの記憶を失わない人物、といったところだが、今のところ全くわからないというのが実情だ。
加えて、どうして三山と池内はメイドのことを忘れていた? 素直に考えるなら俺の時間逆行と何らかの関連があるのだろうが、そうすると先ほどの、メイドは時間逆行には関与していないという考察が崩れてしまう。
「あー……わかんねぇ……」
いかんせん、情報が少なすぎる。第一、毎日を無為に流してきたこの俺に、そんな推理力があるはずもないのだ。むしろ、ここまで考えていることをほめてもらってもいい。
いっそ、すべて知らないふりをしてやろうか。その考えが頭をよぎったとき、浴室のドアがノックされた。
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