微かな違和感

 その後の時間は飛ぶように過ぎていった。だがその中でも必死に頭を回して考える。何が引き金なのか、なぜ自分が、このような現象に巻き込まれているのか、この現象は誰が引き起こしているのか。しかしいくら考えようと俺の足りない頭では一つたりとも答えは出なかった。


 終業のチャイムが学校中に鳴り響く。それにはじかれたかのように、生徒たちは一斉に放課後に移っていく。


 俺自身には、別に何か変わったことなんて――。


 そこまで考えてから、一つの可能性にやっと俺はたどり着いた。こじつけかもしれない、だけれど俺にとっては最も可能性がある事柄。あの、自称アンドロイドの少女が家にやってきたという出来事。それに、俺はこの不可解な現象とのつながりを疑った。


「となると、とりあえずは……」


 そう呟きながら、友人と話す一人の男を見やった。三山啓介。ひとまず話を聞くべきはあの男だ。彼の友達が離れるのを待って、俺は三山へ話しかけた。


「なぁ三山。これから少しいいか」


「え? あぁ、どうしたんだい、浅田くん」


 突然話しかけたのがいけなかったか、三山はかなり驚いた様子でこちらにそう問い返した。


「えっとな……少しここでは話しにくい。廊下でいいか?」


 俺のその言葉に三山は短く「あぁ」と返事すると、俺のあとに着いて廊下に出てきてくれた。放課後の騒がしい廊下。ここなら話を盗み聞かれる可能性も低い。


「それで、話ってのは?」


「あぁ、突然すまん。この前話してたことなんだが」


 そう言えば伝わるかとも思ったが、三山は少し怪訝な顔で首を傾げた。少しアバウトすぎたようだ。


「あれだ。アンドロイドとか、平行世界とか。確か先週話してたろ?」


 あれだけ意気揚々と話していたのだ。ここまで話せばさすがにわかるだろう。そう考えていた俺の予想は、しかしながら簡単に散った。


「……ごめん、そんな話をした覚えはないな」


「……まじか? いや、とぼけるなよ」


「とぼけるもなにも……」


 三山は本当に戸惑っているようだった。思い出そうとしているような素振りは見せているものの、その目ははた迷惑な狂言者を見るような、どこか蔑みを帯びている。


「大丈夫かい、圭人くん? 何か勘違いしてると思うよ」


「いや、そんなことない。じゃあ、あれは。メイドのことは? それは覚えて――」


「メイド? 知らないよ」


 あっけらかん。一刀両断。なんでもなく、彼はそう一声で言い切った。とても、嘘をついているとは思えない。だが、それ自体がありえないことで、理解できない。


「申し訳ないけど、僕はもう行かなくちゃ。それじゃ」


 そうして、本当に三山は俺の目の前から去っていった。その後、俺はしばらくの間呆然と廊下に立ち尽くしていた。


 ……つまり、三山はあのメイドのことも、この前話した内容も、すべて覚えていない、と。


 なんでこんな時に限ってあいつは……と、悪態をついても仕方がない。問い詰める相手がいなくなったのだから、もうできることは決まっている。今はとにかく考えろ。存在する可能性を洗い出して、一つ一つ検証していくのが先だ。


 俺の身に起こった短い時間逆行。あれは、あのメイドがうちに来てから始まったことであるから、彼女に原因があるという可能性が高い。それについて話を聞くため、あの彼女を俺に強く推した三山に尋ねてみたが、あいつはあのアンドロイドのことを忘れていた。


 最初の一行目から最後の一行目まで常軌を逸しているが、実際自分が体験したものなのだから否定しようにもできない。


「……帰るか」


 誰に言うでもなくそう呟いて、俺は廊下を歩いた。


 相変わらずの、夕方の学校だ。それは小学校でも高校でも変わらず、どことなく気持ちが浮足立ち、尚且つどこか薄気味悪い。黄昏時は、人と人ならざる者の境界が曖昧になるとき、なんて話を聞いたことがある。大した根拠のないそんな伝承だが、この光景を見てしまうと少し納得してしまう自分がいた。


 下駄箱で靴に履き替え建物から出ると、すぐのところにメイドが待っていた。


「迎えなんてこなくていいのに」


 まだこちらに気づいていないメイドにそうやって声をかける。俺に気づいたメイドは、「そう言わないでください。わたしのちょっとした楽しみなんですから」と微笑した。


「そもそもだけど、どうやって俺の学校を?」


「簡単ですよ。圭人様の制服をインターネットで検索したんです」


「あぁ、そういうことか。全く、怖い時代になったもんだな」


「確かに。でも、便利な時代、でもありますよ」


 そんなことを話しながら学校前の坂を下り、校門まで歩いていく。遠くにかすむ山は、心なしか色が少しずつ抜けている気がする。生命力あふれる夏の緑から、どこか寂寥のにじむ秋の緑へと変わっているのだ。


「あっ、浅井圭人くん……だっけ? お疲れ様」


 後ろから声をかけられたと思ったら、いつぞやの池内がそこにいた。というか、同じクラスだろ? そう何回もフルネームで名前確認しなくていいから……。妙に心削られるから……。


「あ、あぁ。お疲れ」


「こんにちは」


 手を挙げてとりあえず挨拶を返す俺の横で、メイドがしとやかに一礼した。その彼女の様子に、池内は魂を吸われたかのように息をのんで黙り込む。……まぁ、その気持ちもわからないでもない。こんな女の子が突然現れたらフリーズするって。ん? いや、待て。この前の校門で、池内はメイドを見てるはずじゃ……。


 とりあえず気にしても仕方ない。路上で活動停止している池内の目の前で俺は手を振って意識を戻させた。


「おーい、生きてるかー?」


「え、あ、うん、すまない! あははは……」


 俺の声で現世には帰ってきたらしいが、そいつの視線はメイドから離れていない。それをどう受けているのか少し気になり横を見やると、メイドが小さく一歩、俺の後ろに隠れた。


「えーと、なぁ浅田くん、彼女は?」


 妙に頬を染めて視線をそらしながらそいつは尋ねてくる。男のテレ顔なんて需要ないっての。


「あぁ、うちで働いてるメイドで……って。お前はこの前も見たろ」


「え?」


 何を言っているのかわからない。そういう顔だった。虫が背中を走るような、嫌な予感を俺は感じた。


「彼女と会うのは今日が初めてだけど……。そんなにかわ、美しい方を一度見て忘れるわけがない」


 うちのメイドを何気なく口説くな、という言葉は自然の喉奥で引っかかった。そんな適当で、軽い言葉は出そうとしても、口に出ることはなかった。

 彼は彼女――アヤノを見たことなどないと言った。しかし、それとは矛盾して俺の記憶の中で池内は確実にメイドと会い、あの日の校門前で俺に話しかけている。一般論でいえば、他人に関する記憶より自分についての記憶のほうが確実だ。それを信じるなら池内はメイドと会ったことなどなく、俺の記憶は間違っている、となるのだが……。


「どうかした? 浅田くん」


「あ? ……あぁすまん、大丈夫だ。それじゃあ、また」


 そうして俺は手を低く上げてその場を去る。後ろから名残惜しそうな目線を感じた気もしたが、俺はそれを無視して家に帰った。

 唯一安心できる場所、自宅に到着した俺は鞄を置いて、制服を着替える。今晩の夕食当番は俺か……。いや、今日はあまりにもたくさん情報を得すぎた。少しでも早く整理しておきたい。


「ごめん、今日の夕飯はお願いしていいか? 代わりに明日から二連続で俺作るから」


「え? はい、もちろんです。というか……」


 制服を脱ぐ俺に、メイドは少し困ったように笑って言う。


「そんなに申し訳なさそうにしないでください。私は圭人様のために働けることが何よりうれしいのですから」


「そ、そうか……。ごめん」


「そういう時は、ありがとう、と言って頂けるとメイド的に嬉しいのですが」


 開いた冷蔵庫の扉。そこからひょっこり顔を出して、彼女はそんなことを言う。なんともまぁ、そんなに恥ずかしいセリフをよく言えたものだ。俺は言われただけで顔真っ赤なのに。あぁもう、調子狂う。


「……サンキュ」


「ありがとう、って言わないところが強情ですよね。……どういたしまして。滅相もございません」


 最初に本音を言った後、付け加えるように建前を並べるあたり、やはりこのメイドもただものじゃない。

 そんな何でもなく見える会話。しかしこれさえ一週間前までの俺にとってははるか遠く、手など届かない浮雲のようなものだった。そう考えると、今までの自分の孤独が、誤魔化してきた痛みが、ぼんやりと浮かび上がってくる。


「それじゃあ、任せた」


 はいっ、と答えるメイドを確認してから、俺は壁際の机に向かい、ノートを開く。

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