バッドエンドは嫌ですね
彼女の提案で喫茶店に入った俺たちは、軽食を摂り、しばし駄弁って店を出た。そこでメイドに「お前は機械なのに飯をたべるんだな」と訊いたところ、その点に関しては企業秘密ですので、とはぐらかされた。しかし結論として、彼女の動力にガソリンが必要だったりはしないわけなので、家計的にはとても助かる。
「あ、すまん」
喫茶店を出て、ショッピングモールの出入り口まで戻ってきたところで俺はメイドに声をかけた。
「財布をどこかに忘れてきたかもしれない」
「そうですか。では私が――」
すぐに歩き出そうとするメイドを制して、俺は首を横に振った。。
「いや、ここで待っててくれ。すぐ戻ってくる」
着いて来ようとするメイドを振り切るようにして俺は小走りでその店まで戻った。そして、目的のものを回収してから、もとの場所まで戻る。
「悪い、待たせた」
「いいえ、お気になさらないでください。さぁ、行きましょうか」
彼女に促されて、俺は店を出た。
* * *
「あぁ……泣けた」
「そうですね、あの女の子が自分を犠牲にするシーンはもう……」
「なぁ……健気すぎるよなぁ……」
映画館から出てきた俺の胸には、筆舌に尽くしがたいわだかまりが渦巻いていた。折角ですから、というメイドの提案で映画を観た俺だったが、その内容があまりにも衝撃的で、久々に映画館で涙を流した。
「映画はバッドエンドじゃだめだろ……」
主人公の幼馴染であるかわいらしいヒロインの少女が主人公の身代わりとなって命を失い、その後主人公も彼女のあとを追って死ぬというなかなかにキツいラストをこの映画は迎え、幕を閉じた。
この世界、なかなか完璧なハッピーエンドなんて存在しない。現実においては、たとえ事がうまく運んでも、それがきっかけで何かしらの不都合が出たり不利益を被る人間が出たりする。そんな面倒くさい現実をひと時は忘れ、心地よい理想に浸れるのが娯楽の最大の魅力だと俺は思っていたのだが。
「バッドエンド……。バッドエンドは、嫌ですね」
斜めうしろを見ると、彼女が両手を胸の前で握りしめ、虚ろな目でそれを見つめていた。
……どう形容すればいいだろうか。きっと、人が「おまえは一分後に死ぬ」と宣言されたなら、こういう表情をするのではないか。そう思わせるほど、彼女の表情は憂いに満ちていた。
家での雑談で、お前は感情を持っているように見えるがどうなのか、と尋ねたことがある。それにメイド――アヤノは、これは人の感情を模倣したプログラムだと答えた。
しかし、この目の前の少女の表情は、本当に0と1で構成されたプログラムなのだろうか。
「あっ、申し訳ありません。少しぼーっとしてしまいました」
「あぁ。それじゃあ、帰るか」
「えっまだ日は高いですよ? もう帰るんですか?」
なぜうちのメイドはこうも主人を家に帰したがらないのだろう。しかし、機械に支配されていては人間の名も廃る。いつまでも彼女に屈するわけにはいかない。
「いや、もう帰ろう。疲れたし」
「そうおっしゃらないでください。あのゲームセンターにでもちょっと寄ってから帰りませんか?」
……何か、不自然だった。普段、と言えるほど長く彼女を見ているわけではないが、アヤノは基本的に、常に一歩引いているような、控えめな性格だ。たまに俺をからかったり、わからないくらい微妙に拗ねたりする様子はあったが、ここまで彼女が譲らないことは珍しい。
そう感じながらも、帰るといった手前俺が折れるのも癪で俺は駅のほうへ歩き出す。
「すまん、外に出るの自体結構きついんだ。帰らせてくれ」
俺が正面を向いたままそう言うと、彼女は後ろから小さく「そうですか」とつぶやくように言った。……これだから引きこもりは……みたいなツッコミを期待していたのだが。
高いビルが立ち並び、今もなおそれぞれが建て替わっていく街。コンクリートと鉄でできたこの街では、メイド服を着た少女はきっと目立つだろう。そして、全身をユニシロでそろえた凡庸な見た目の少年は、きっと誰からもすぐに忘れ去られてしまうはずだ。
人が多い。車道は車が詰まり、歩道では人がほとんどひしめき合うようにして歩いていた。
このような場所に来ると、いつも考えてしまうことがある。すれ違うこの人々全員に、自分と同じような人生があって、自分と同じように感情があって、自分と同じように、生きているのだよな、と。あたりまえのことだ。だが、意外と俺たちはこのことを日常に流される中で忘れてしまう。
何となく、歩きながら後ろを振り返ると、メイドが小さな女の子に微笑みかけていた。その子は優しそうな母親の後ろに隠れながらも、にこりとメイドへ笑い返した。
なんでもない、ただの街の風景。そこにあるのは、ありふれたつまらない、ただの雑踏。
ふと、足が止まった。
別に、意識的にそうしたわけではない。ただ、自分の頭上で何かが外れるような、少しだけ気味の悪い音がしたのだ。周囲の人々は、進むことに夢中で気づいていない。
「――あ」
気づいたときには、もうそれはほとんど目の前と言っていい位置まで迫っていた。人間の反応速度なんて所詮そんなものだ。
振り向くと、アヤノが俺のすぐ後ろまで近づいていて、俺の手を弱く握っていた。
その後一秒もしないうちに、自分が鉄骨に押しつぶされているという未来を、俺は簡単に想像できた。
――違う、こうじゃない
突然に自分の身に降りかかった偶然に、俺は思考が硬直した。
バッドエンドは間違っている。世界にバッドエンドはあってはいけない。少なくとも自分の周りには。いや、自分には。自分だけには、そんな終わりが用意されていていいはずがない。
自分という存在があやふやになる、という不思議な感覚を俺という自分は感じた。そこに矛盾は存在せず、また論理も存在せず、ただあるのは俺が何を思ってどうしたいかという願いだけ。ほのかに感じる熱は、おそらく右手に触れるそれから来ている。それが機械の発する無機的な熱だとしても、今この瞬間はどうだっていい。
不思議と、どうすればいいかはわかった。自分が何をするのかはわからなかった。
ふと気づくと、俺は映画館の前に立っていた。
『バッドエンド……バッドエンドは嫌ですね……』
視界は全体的に色合いが淡かった。だかそこは疑う余地もなく現実で、目の前にいたのは間違いなく家に勤めるメイドだ。
周囲の風景が、不気味に加速している。ところどころぐにゃりと歪んだり、ぽっかりと穴が開いていたり、その街並みに存在する違和感を挙げたならきりがない。
メイドに意識を移す。どうやら彼女はこの周囲の異変に気が付いていないようだった。俺の目線に気が付いたのか、彼女ははっとしてこちらを向く。
『あっ、申し訳ありません。少しぼーっとしていました』
小さく頭を下げる彼女。どう返していいかわからず、口ごもりそうになるが、
「あぁ。それじゃあ、帰るか」
俺の口は、何の難もなくすんなりと動いていた。一切自分の意識は関係なく、まるで口元だけが別の生き物であるかのように。
『えっ、日はまだ高いですよ? もう帰るんですか?』
俺の放った言葉に、メイドはどこか聞いたことのあるような言葉を返した。
ここで……いや、だめだ。
脳内に響くように散乱した、自分の意志。もはやそれが自分のものなのかさえ曖昧で、だけれどそれを信じなければいけないという確信だけはあって、だから俺は、自然と動こうとする口を、必死に噤む。そして、できるだけ落ち着いて、自分の意志で口を開く。
「……ゲームセンターにでも寄っていくか」
その瞬間、世界は白の閃光に包まれ、俺は一瞬意識を失った。
くらりと、立ち眩みのような意識の揺らぎを感じながら、再び目を開く。そこに、もう白の光は存在せず、あったのはどこか雑然とした刺々しい光と電子音だけ。
「大丈夫ですか?」
後ろから声が聞こえる。振り向くとメイド服をまとう少女がこちらを心配そうにのぞき込んでいた。
目の前にたくさんあるのは百円やメダルを入れて遊ぶタイプのゲーム機たち。加えて、小さな子供や高校生がちらほら。一切の疑いなく、俺はここがゲームセンターであると理解した。
「……あぁ。大丈夫、だと思う」
さっきまで俺は映画館の前に立っていたはず。だが、現状はゲームセンターの入り口付近で立ち尽くしている。そして気になるのが、さっきの……回想? いや、あれは何だったのだろうか。
「……まぁ、気にしたら負けか」
何事も考えすぎていいことはない。妙な方向に思考がずれて、面倒なことになるのは御免だ。
「何かおっしゃいましたか?」
「いや、何でもない」
苦笑しながら俺はかぶりを振って、正面に視線を戻した。ゲームセンターにいるのだし、少し遊んで行くことにしよう。そう内心に呟いて俺が足を一歩踏み出した――――瞬間。
腹の底から突き上げられるような、轟音があたりに響いた。
「……なっ――」
慌ててゲームセンターを出て、音源の方向を見やる。周囲にいた人々もただならない事態を察知して、俺たちと同じように道端に立ち尽くした。
唖然、という言葉が似合うであろう表情が、辺り一帯に広がっていた。こちらから見て通りを挟んだすぐ向こう。街路樹とビルに挟まれた広めの歩道。そこには当然のように、巨大な鉄骨がただ静かに、横たわっていた。
「圭人様……!」
見てしまった。俺は、その鉄骨の下に広がる赤い液溜まりを見てしまった。そしてそれが何を意味するのかも、一瞬で理解できてしまった。鉄骨と地面の間から、一本の細い腕が――
「――ひっ、きゃあああ!」
「きゅ、救急車! 救急車を呼べ!」
何もないように通り過ぎる車と正反対に、歩道は阿鼻叫喚の混乱に一瞬で包まれた。その場から走って立ち去ろうとする人、腰が抜けて座り込む人、冷静に携帯で警察や救急車を呼ぶ人、その光景を動画に収めようとしている人。
その中、俺はただひたすらに、その鉄骨を眺めていた。
「あぁあ。あれじゃもう助からないだろうな」
隣から、粘つくような気色の悪い声がした。その声には、明らかに好奇の色が貼りついている。
だが、それに対して怒りや不快を感じる心の余裕もなく、俺はただ、そこに立ち尽くしていた。
「なぁ、あんたもそう思うだろ?」
黒いパーカーを着た男が、俺にそう問いかけて、人込みの中へ消えていった。
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