週末に

 彼女がうちに来てから、三日が経った。たまにすっとぼけたところがあるが、快活で真面目なその性格は好印象であったし、なにより家事の腕がとても良い。先述の通り料理は旨いし、洗濯掃除もそつなくこなす。さらに何かを指示しようと思ったらすでに終えていることさえ珍しくない。したがって彼女の存在は何かとすることの多い独り暮らしの俺にとって、かなりありがたいものとなった。


 ご機嫌に鼻歌を歌いながら、皿を洗うメイド。もう違和感を感じなくなってしまったそのメイド服は、洗い替えまで例の段ボールに入っており毎日しっかり洗濯している。


「あ、そうだ」


 そう小さく一人ごちてから、彼女は課題を進める俺を振り向いた。


「圭人様、お願いがあるんです」


 濡れた手をハンカチで拭ってから彼女はこちらに来る。そしてローテーブル、俺の正面に座ると少し言いにくそうに口を開いた。


「なんだ?」


「明日は学校お休みですよね」


「そうだけど」


「もしお時間がありましたら、わたしを買い物へ連れて行ってくれませんか?」


 明日は土曜だし買い物ぐらいな当然いいのだが、別に平日でもいいのではないだろうか。

 いや、わざわざ休みの日に、ということだから街のほうに行きたい、という意味か。


「いいけど。何が欲しいんだ?」


「そうですね、主にはお洋服でしょうか」


 その言葉に少し驚いた。言っては悪いが、彼女はもうメイド服しか着ていないイメージが定着してしまっていたので、別の普通の服を着ている姿が想像できなかったのだ。

 しかし、俺の様子を見て彼女は言葉を加えた。


「あっ、わたしのではありませんよ? 圭人様のお洋服です」


「は? なんで俺のを?」


「クローゼットを見たのですが、圭人様の衣装は少し少なすぎます。高校生なのですからもっとおしゃれをなさるべきですよ」


「いや、いらねぇよ……」


 言外に、外出ないし、と付け加えてから俺は参考書へ目線を落とした。これで引き下がってくれるかと期待したがメイドは意外にしぶとい。


「どうかそう言わないでください……。とりあえず見てみるだけでも……ね?」


 わざとらしく顔を俯かせて、上目遣いでこちらを彼女は見上げてきた。……アンドロイドにこんな機能追加した奴は馬鹿だ。


「いいって。大体外観にこだわる人間は自分の内面に自信がないからそうやって取り繕うんだよ。その点、俺は自分の内面に絶対的な自信があるから、わざわざ着飾る必要なんてない」


「へぇ、圭人様がそんなに完璧な人格者とは私知りませんでした。これは差し出がましいことを申し上げましたね」


 なんとも皮肉っぽく言ってくれる。その細められたジト目に居心地が悪くなり、俺は少しだけ肩をすくめた。

 そんな俺に、彼女は「でも」と前おいてから言葉を継いだ。


「内面が完璧なら、あと外見をしっかりすればもう圭人様に怖いものはありませんよ。きっと素敵な青年になるはずです」


 そうやって彼女は、一切の他意を感じさせない純粋な笑顔で笑った。素敵な青年。なんともまぁ俺に似つかわしくない言葉があるものだ。しかし、だからこそ俺はそれに少しばかり憧れのようなものを感じてしまった。


「まぁ、本当に内面が完璧かは知りませんけどね」


「うっせ。一言多いっての」


「申し訳ありません。以後気をつけます」


 してやったり、とメイドはクスクス笑った。形のいい手を口に添えるその仕草はどこか艶めかしく、このような少女と自分が正対しているという事実に引け目すら感じてしまう。


「……じゃあ、8時な」


「え?」


 ベランダから取り込んだ洗濯物を畳み始めていた彼女へ、俺は自分でも聞こえないほど小さな声でそう言っていた。

 別に何か理由があるわけじゃない。ただなんとなく、たまには外に出てもいいかと思っただけだ。

 

「明日。8時には出る。遅れるなよ」


「――っ! はいっ! ありがとうございますっ」


 どうして、この程度のことで彼女はこれほど嬉しそうに笑うのだろうか。

 俺ははっきり言って、よく笑う人間というのが好きではなかった。信用できないへらへらした人間であると分類していた。

 だが、彼女に関しては認識を改める必要があるだろう。信用できるかどうかは置いておくとして、俺は、彼女の笑い方が嫌いではなかった。




   *   *   *



 日付は変わって土曜日。例にもれず空は胸がすくような晴天で、道を歩くと心地よいそよ風が頬を撫でた。

 揺れる緑の木の葉は夏の残り香を感じさせながらも、空気ははっきりと秋の訪れを語っている。ついこの間まで激しくわめいていた蝉たちは、きっともう一匹残らず息絶えたのだろう。妙に静かさを感じる道を、俺とメイドは駅まで歩いた。


 駅から電車に乗り、一度の乗り継ぎを経た俺たちはすぐに、ショッピングモールや名立たるチェーン店の並ぶ街の中心部へ到達した。


「で? どこ行くんだ? ウニクロ?」


「お洋服=ウニクロ、っていうのは青春真っ盛りの高校生としていかがかと……。まぁ良い商品多いですけどね、ウニクロ」


 そうだ。ウニクロは最高なのである。夏は涼しく飾り気の少ないTシャツ、冬は全くかさばらないのに羽織ればとても暖かいダウン。オールシーズン、俺、浅田圭人はウニクロにお世話になっている。


 ちなみに、最近では系列のジーウーもなかなかいい。特にジーンズとかだと。


「……大丈夫ですか? ウニクロに思いを馳せてないでとりあえず歩きましょう」


「心読むなっての……。アンドロイドにはそんな機能までついてるんかね」


「アンドロイドでも、心なんて読めませんよ。人間と同じように、です。……ちなみに圭人様、口に出してましたから」


 あ、ウニクロ愛が強すぎて自然と口に出ていたのか……。恐るべし、ウニクロ。

 と、そんなことはどうでもいい。メイドのいう通り、とりあえず歩いて物色するのがいいだろう。最初はあのでかいショッピングモールに入ってみるのが妥当か。そう内心で決定して歩き出すと、メイドは俺の三歩後ろをついてきた。……メイドなのに、やけに大和撫子なんだな。


 店の中に入ると、そこは外より少し冷えていた。おそらく冷房が入っているのだろうが、少しばかり肌寒い。


「寒くないか?」


「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 にこりと微笑みを返す彼女に俺は小さく頷いて歩き続ける。別に、「小さな気遣いができる俺」をアピールしたかったわけではないのだが、なんとなくそう相手に取られはしないかと妙に気になった。変に意識しすぎている。相手はアンドロイド、ということを忘れてはいけない。


様々な店を冷やかしながらあるくことしばし。ポケモンのトレーナーか、ってくらい視界に入った瞬間こちらに寄って来る店員さんをなんとか回避しながら物色していると、メイドが、あっ、と小さくつぶやいた。


「どうした?」


「えと、いえ、なんでもありません」


「……そうか」


 彼女の視線をたどって、そこにあったものを把握した俺はとくに気にする様子は見せないよう、買い物を続けた。

 いろいろと試着なんかをさせてもらっていると、次第に気分が乗ってくる。それはそうだ。店員さんから、あと後ろのメイドから、試着するたびに褒められるのだ。気分がよくならないわけがない。


「素材は悪くないんですよね……」


 ふとした時にメイドが放ったその一言。その真意を考えるのさえどこか恥ずかしく、俺は早めに適当に、派手すぎないものをチョイスして購入した。ちなみに家計のこともしっかり考え、三割引きのセール対象品である。三割引きの、安く良いものを買うことができた感は異常。


 と、いうことで、今日の外出の目的「俺の洋服を買う」は達成。、俺は当然のように、さぁ帰るか、とつぶやいたわけだが、メイドにジト目で見つめられたのでもう少し店内をぶらつくことにした。なんだそれ。


 しかし、やはり週末のショッピングモールというのは人が多い。一番多いのは家族連れ。それに次いで男女の二人組だろうか。公衆の面前だというのに、手をつないだり妙に肩を寄せ合っていたりと、本当に最近の若者は。まったくなっていない。


 ……という風に、一週間前の俺がもしここに来ていたらひたすらリアルが充実している方々への恨み節をつらつらと語っていたことだろう。だが、今の俺は違った。


 すれ違う幸せそうな家族も、ベンチでいちゃつくカップルも、群れて騒ぐ男子高校生どもも、だれだってこちらを見るや否や目を丸くして唖然としていた。

 それもそのはず。この現代日本で、メイド服を着た銀髪美少女を侍らせている人間などほとんどいないはずなのだから。いやむしろ、俺のほかにいるのならぜひ会ってみたい。


「やはり視線が気になりますか?」


「まぁ、な」


 恐る恐る、といった様子で尋ねてきたメイド。俺が頷くと、彼女は少しばかり悲しげな影を目に宿して、申し訳ありませんと小さく言った。


「いや、謝るな。むしろ逆だ」


「逆?」


 フォローというより、ここは率直な今の自分の心情を述べるべきかと思い、口を開いた。


「そう、逆だ。普段俺のような――なんていうか、孤独な人間を表で嗤っている奴らが、たとえ好奇が混じっているとしても羨望のまなざしでこっちを見てるんだ。これほど気味がいいものはない」


 往々にして、一人でいる人間というのは周囲からその存在価値を低く査定される。そこに理由なんて必要なく、ただ一人でいるということが「みんな」とやらからしたら悪であり、罪なのだ。個人ではなく、集団として、集団から排斥された人物をさらに外へ追いやる。そして、自分たちを囲う張りぼてを、さらに厚く、確かなものにしていく。


 くだらない、と俺はそれをいつも嗤う。だが、それこそが彼らにとっての正当な日々の過ごし方であり、彼らから見ればその正当な行為を遂行できていない俺のような人間は必然的に悪なのだ。その理論を俺は逆に用いて彼らを嗤っているわけだし、そこはもうお互い様、なんて俺は結論づける。


 そこまで俺が話すと、メイドは面倒くさい方ですね、と笑った。

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