賢明な判断
「ご来客みたいですね。それでは……」
「ちょっと待って」
扉を開けようとするアンドロイドの後ろ手を俺はつかんだ。彼女はこちらを振り向いてなぜ、と言わんばかりに小首をかしげる。その仕草が妙に魅力的で、俺は思わず顔をそらしてしまっていた。
「あーごめん、えーっと、ちょっと隠れててくれないか」
「隠れる?」
俺は頷いて、彼女を再びリビングに連れて行った。
いま訪ねてきたのは十中八九あの男、三山啓介だろう。どうせまた夕飯をせびりに来たに決まっている。
それも別に、俺が日常の中にいる時ならいい。むしろ喜んであの好漢に飯を振舞おう。だが、今はだめだ。
一人暮らしの男の部屋に、メイド服を着た銀髪の少女。あいつが俺にこの状況の理由を追及してこないわけがない。むしろ、散々事情を聞いた挙句、明日にはクラスで言いふらしている可能性だってある。
別にクラスの連中にどうこう言われるのは別に構わない。しかし、あの三山に嬉々として冷やかされるのは御免だ。
「すまん、すぐに追い出してくるから」
「えーと、はい、お気になさらず」
苦笑するアンドロイドを玄関から見えない位置に隠してから、俺は玄関へ向かった。
おーい、開けろー、と間延びした声を響かせるそいつに、居留守でも使ってやろうかとすこし思ってしまうがそれはさすがにやめておく。どうせ居ることはばれている。
「何しに来たんだよ」
「おっ、やっと出た。いい夜だね、圭人」
「お前が現れなかったらきっといい夜だったろうよ」
やはりと言うべきか、扉の先に現れたのは中肉中背でどこか芝居がかった笑みを浮かべる男、三山だった。片手にはコンビニのビニール袋を持ち、暗闇を背に背負う姿は学校で見るそれと比べて大人びて見える。
「そう言わないでくれよ。ほら、お土産も持ってきたし」
「すまん、今日はちょっと帰ってくれないか」
「ん? 何か用事なのかい?」
「まぁ、そんなとこだ」
こういう時、下手に用事があるから、とかいう方便を使うべきではない。あれこれ問答しているうちにいずれぼろが出るし、何より嘘はできるだけ吐くべきではないというのが俺のスタンスだ。この三山も見る限りでは常識ある人間だ。良識ある、とは言えないが、俺に何らかの事情があることは悟ってくれるだろう。
「……いつもならここでおとなしく帰るんだけどね」
「は?」
妙にくぐもった声が聞こえたその次の瞬間には、三山は俺の側を通り抜けて玄関に上がり込んでいた。慌ててその腕をつかもうと手を伸ばすが、それもむなしくそいつは歩いていく。
「おい、お前っ!」
「おじゃましまーす。っと、……あぁ、これか」
俺が止める間もなく三山はリビングへ足を踏み込むと、何かに気づいてその動きを止めた。
その視線の先に、なにがあるのかは、一瞬で俺も理解した。きっと、三山が見つめる先には壁際に立ち尽くす、銀髪の少女が居るのだろう。
「……別に変なことしてたわけじゃないからな」
「それは事情を聞いてからにするよ。とりあえず、飯でも食おう」
「その飯は俺が作るんだが……」
「圭人様ごめんなさい。見つかってしまいました」
「……いい、しょうがないし」
申し訳なさそうに頭を下げるアンドロイドをフォローしてから、俺は台所へ向かった。
そこで(あくまで自分用に)用意していたおかずを皿に盛りつける。二日分ほど作っていたのだが、きっと明日の分は残らないだろう。
今晩のメニューはじゃがいもの肉みそ煮だ。味付けは適当。材料も残っていたじゃがいも、にんじん、たまねぎなどをとりあえず使ったものだが、見た目はそう悪くない。ただ、どこからどう見ても肉じゃがにしか見えないのが欠点だが。
それと茶碗によそったごはん、朝の味噌汁をテーブルに出して、食卓は完成する。
「ほら、食え」
「おぉー、今日も旨そうだ。さっそく頂くかな」
遠慮なく食べ始める三山を見ながら、俺も席に着いた。んまいっ、とニコニコして箸を口に運ぶ三山。彼に続いて味噌汁をすする俺。と、そこで気が付いた。
「ほら、お前も」
「え……?」
部屋の端に座る少女に、俺は声をかけた。ご飯も味噌汁も取り皿も、すべてすでに三枚用意してある。そのことに気づいたらしい彼女は、「いいのですか?」と控えめに尋ねた。
「一人だけ食わないのもおかしいだろ。遠慮しなくていい」
「さっすが圭人。紳士だね」
「うるせえ」
三山から肉みそ煮の大皿を少し遠ざけつつ、俺は少女に箸を渡した。
彼女はゆっくりとじゃがいもに箸を伸ばし、その小さい口へそれを運んだ。
「……おいしい、です」
「そりゃどうも」
少し驚いたように目を見開いた後、彼女はやさしい微笑みを浮かべた。そんな顔をされたら、こうして料理を出した甲斐もあるものだ。
「さて、と。じゃあそろそろいいかな」
口を開いたのは三山だ。その目は先ほどまでのそれと違い、至極真剣で、こちらをまっすぐに見据えている。
「彼女について聞かせてくれるよね、圭人」
「あぁ……」
俺はそうして、彼にそのアンドロイドが家に届いた経緯を話した。彼女は家事目的に作られたアンドロイドであること、情報の取違が原因で彼女は家に送られてきたということ、しかし自分には彼女を所有する権利があるということ、そのほかすべてだ。
そうしてすべて話し終わったあと、三山が言った一言は、
「うらやましい」
という、短いものだった。
「いや圭人? ハウスメイドアンドロイドのプロトテスト対象者募集っていう話があってるってことはこの前話したよね?」
「……話したか?」
「話したんだよ! 圭人はまともに聞いてなかったかもしれないけどね。それで、このテストの当選確率は宝くじの一等を取るよりよっぽど難しいんだ。それに君は応募もせずに当たった。それがどれだけすごいことかわかるか?」
そう話す三山はかなり興奮している様子だった。どうやらそれは本当にすごいことのようで、世界中でこのテストは大騒ぎになっていたようだ。それが俺の目に入ってこなかったのは、家にテレビがなく、また俺がほとんど携帯電話を起動しないことに起因するだろう。
「よく考えてくれよ。アンドロイドのメイドさんを無料で雇えるんだぞ? それを素晴らしいと君は感じないのか?」
いや、そう思わないこともない。というより、俺も三山のその意見には激しく同感だ。しかし、何か胡散臭いというか。現実離れしているというか。そういう理由で俺は首を縦に振れていなかった。
「圭人は彼女を返品するつもり、って言ったね?」
「あぁ」
「まぁ、考え直しなよ。とりあえず一日置いてみて、何かおかしかったら返品すればいいじゃないか」
彼の言うことは珍しく真っ当な意見に聞こえた。確かにこちらは一銭も払っていないのだし、損はない。いや、だが、追加で料金を請求されるという線も…………やめた、これじゃ埒が明かないな。どうやら、ここで俺は腹をくくるしかないようだ。
「わかった。とりあえず、な」
「賢明な判断だよ」
そうして、三山は帰っていった。彼の帰り際に言った「ごちそうさま。まぁどうかお幸せに」という言葉はどうにも釈然としなかったが、気にすることでもないか。つまりこの男のおかげで、俺はメイド型アンドロイドを家に置くことになったのだ。
彼が帰り、時は八時前。なんだか今日の夜は、どっと疲れた。早く机を片付けて寝よう。そう決めて俺が立ち上がり、皿を片付けだすと、黙っていたアンドロイドが立ち上がり、口を開いた。
「圭人様、どうか座っていてください。わたしが片付けますから」
彼女の白い手が、俺の手を握っていた。彼女と触れる小さな面積に心拍を速めながら、俺は首を横に振る。
「いや、俺がやる。あんたこそ座っていてくれ」
「酷いです。それではわたしの存在意義がありませんよ。どうかわたしにお任せください」
どうにも、彼女は強情らしかった。しょうがない。俺は「じゃあ好きにしてくれ」と言い捨てるようにして自分も片づけを始めた。それに彼女は、「はいっ」と嬉しそうに返事をし、皿を引き始める。
そうしてすべての皿をシンクに持ってきたら、二人並んで洗い始めた。
「圭人様」
手は止めず、目は皿に向けたまま、彼女は俺の名を呼んだ。俺はそれに、無言を返し言葉の先を促す。
「わたしをここに置いてくださり、ありがとうございます。こうしてお側にいることができて、本当にうれしいです」
その声音は、とても柔らかかった。俺はそれに対する返すべき言葉を見つけることができず、ただ淡々と皿を洗い続けた。あらかたスポンジで洗い終わったら、次はすすぎ。彼女が泡を流して、俺はそれを乾燥棚へ並べる。それからしばらく、その光景がそこにあり続けた。
少し開いた窓の隙間から、今更じみた蝉の鳴き声が聞こえる。もう涼しささえ感じるこの秋口。なんともまぁ酷い寝坊をしたものだと俺はその蝉に少しばかり同情した。
一人暮らしというものは、実に悠々自適で、尚且つ孤独なものだった。この家に自分が立てる以外音が存在しない。それを妙に気味悪く感じることさえある。だから、自分以外の存在がそこにあるだけで、俺は少しだけ心が安らぐ思いだった。
「これで最後です」
「あぁ」
手拭で水滴をとってから皿を乾燥棚へ置き、今日の片づけは終了。いつもよりかなり早く終わったのは、言うまでもなく彼女のおかげだろう。少しだけ表情を綻ばせて手をハンカチで拭く彼女を俺は見つめていた。
「……どうかしました?」
視線に気づいた彼女が俺にそう尋ねてくる。もちろん何かを思ってそうしていたわけではないので、首を横に振り「いや、すまん」と一言謝る。それに彼女は、「別に謝るようなことじゃありませんよ」と困ったように笑った。
そうして俺たちはリビングに戻ると、向かい合って床に座った。
「……えー、確認すると、あんたはアンドロイドなんだよな」
「はい、そうですね」
どうしても受け入れられないその事実を俺は再び確認していた。澄んだ藍の瞳と、きめ細かい白の肌。二つに分けられた銀の長髪。それらすべてがはっきりとした生気を持ち、とても人間が作ったものとは思えない。
「圭人様。私をどうかお好きにお使いください。あなたの思うままに。だって、私はアンドロイド。作り物の機械なのですから」
「……そうだな」
彼女はそう言うが、もちろん俺にそんな気持ちはなかった。たとえ彼女の見た目は人間でも、中身は機械なのかもしれない。感情をもっているように見えても、それはプログラムされたパターンに過ぎないのかもしれない。だが、俺に彼女をモノとしてみることは、まず無理だった。
「ごめん、俺はもう寝る」
「お風呂はよろしいのですか?」
「明日の朝入るよ。おやすみ。あんたも眠くなったらベッドを使ってくれ」
「……わかりました。おやすみなさい」
そうして、俺はそのまま床に転がった。床と言っても、カーペットを敷いているのでそう固くはない。全く眠れないことはないだろう。
なんだか、今日は妙に眠い。あまりの非日常にいきなり触れたせいだろう。だが、俺は一つ聞き忘れていたことを思い出した。重い瞼をもう一度開けると、メイドはすぐにこちらに気づいて「どうしました?」と問いかけてくる。
「そういえば、名前を聞いてなかった」
「名前?」
「あぁ、あんたの名前。俺はなんて呼べばいい」
そう尋ねると、彼女は少しだけ表情に影をおとした。それがうかがえたのはほんの一瞬だ。だがだからこそ、それはひどく異様に見えた。しかし、彼女はすぐに完璧な笑顔を取り戻して、鷹揚にこう語った。
「私の名前はアヤノ、です。呼び方はメイドとでも、アヤノとでも、お好きにお呼びください」
その名に、意味を見出したり理由をこじつけようとするのは、理想を抱く子供のすることだ。
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