第9章 思わぬ成長



 屋上の柵に肘をついてぼんやりと景色を眺めているその人は、久しぶりに再会した人だ。


 緊張しながら私はそこにいる人物へと声をかける。


「何してるんですか?」

「何だ、ステラードか」


 だが、返されたのはそんな言葉。

 長い間会えていなかった人間に声をかけられた後の第一声が「何だ」。それはない。


「何だですって? ひどい言い草ですね、これでも心配してたんですよ。ずっと連絡も寄越さないで」


 刺々しくなる口調だが、そんな私の言葉を聞いても先生の態度は全く変わらない。

 ツヴァイ・ブラッドカルマ。ツヴァイ先生。

 ずっと前は私のお医者さんで、剣も教えてくれた先生だ。


「悪ぃ悪ぃ。拗ねんなよ」

「許しません。先生の悪いは、謝ってる悪いじゃないので絶対許しません」

「やれやれガキの頃は騙されたのに、成長してやがるな」


 どうしてそこで意外そうなものを見るような目で見られるのだろうか、人間なのだからそれくらい分かるようになるに決まっているではないか。


 嘘だって見破れるようになったし、誤魔化されたりもしなくなったのだから。


 お説教がてら近づくと、アルコールの匂いがした。

 お酒でも飲んだのかもしれない。


 面している先生からはどこか投げやりな空気が感じられた。


 健康とかちゃんと気遣っていたんだろうか。体は壊してないのだろうか。


「改めてお久しぶりです。病気とか、してませんでした? 怪我は?」

「してねぇよ。小さな子供じゃあるまいし、お前こそどうだったんだ、調子は」

「平気です、先生のおかげでもうすっかりこんなですから」

「ああ、驚いた、あのちびっ子が、まさかこんなお転婆になるとはな」

「ちびっ子って……、もう」


 確かにあの時は、小さかったけれど、今はそれなりに大きく育ったつもりだ。

 牛乳を呑んだら背がのびるからって言われたから毎日飲んだし、大きくなる様に一生懸命早寝早起きして、毎日運動だってしていたのだから。


「当然です。先生の言いつけ守ってちゃんと健康を維持してましたから」

「言いつけ? ……ぁああ、あれか。あー、そうか良かったな、さすがだな」


 今、妙な間があったのは気のせいだろうか。

 私、ひょっとして嘘付かれてた?

 あれ、見破れてない?


 先生は、以前と全く変わらない様子で、私の頭を乱暴に撫でてきた。


「えらいえらい、よく頑張ったなステラード。ほれ、よしよしよし」

「こ、子供扱いしないでくださいよ!」


 大きくなったとか言った口で、すぐこれだ。

 そうだ、この人はこんな人だった。


 こうやってこの人は、何かあるとすぐ意地悪しようとするのだから、まったく困った大人だ。


 とりあえず、聞きたかった事を尋ねなければ。


「それで、どうして先生はこんな所へ? 嬉しくないわけじゃないですけど。というより、今まで一体何してたんですか本当に。連絡待ってたのに……」


 ツヴァイ先生はこの騎士学校の教師となった。

 剣の教師で、そしてステラの教室の担任でもある。


 医者の面を良く知っていたステラには疑問だった。

 あの頃は医者が本業だと聞いていたし、剣を握るのはあまり好きではないように思っていたのに。

 何か心境の変化があったのだろうか。


「先生って、剣を人に教えて大丈夫なんですか」


 それに、ツヴァイはあまり剣の話が好きではなかったはず。


『誰も救えない剣なんて、握っててもしょうがねぇよ』


 昔そう言ってのに……。


「それは……」


 ツヴァイは、視線をそらして言いよどむ。

 何かこちらに言えない事情があるのだろうか。


 首を傾げていると、こちらに頬に手を添えられた。


 ツヴァイが手を伸ばして触れて来たのだ。


「えっと、これは?」


 答えはない。

 代わりに反応はあった。


 つままれる。

 引き延ばされる。

 痛い。


「にゃにするんですか」

「ああ、悪い悪い。生き物の感触だなって思ってよ」

「生きてるんだから当然です」


 ようやく手を放してもらえる。

 赤くなってないだろうか。

 触ってみるが、当然そんな事では分からない。


 しかし、どうしてこの人ツェルトみたいな事したんだろう。


「ステラード、お前は死んでたりしないよな」

「当たり前じゃないですか。もしかして、やっぱり酔ってるんですか?」


 ずっと目の前で話していたと言うのに、ステラが幽霊だとでも思っているのだろうか、この人。

 こんなにたくさん喋って触れ合っていると言うのに。


 先生は、目を伏せて自分に言い聞かせるように言葉を続けていく。


「ああ、そうだ。生きてる。ここにいる奴らは全員。今、俺が見ているのは夢なんかじゃないんだよな、俺に都合の良い幻でもなんでもない現実だ」

「先生……?」


 一体何があったのだだろう

 私の知らない所で。

 私の知らない間に。


 見つめる先にある、先生の瞳は悲しみで溢れていた。


「皆、死んじまったからな。俺は守れなかった」


 先生はおそらく、誰か親しい人を失くしたのだろう。それも大切な人を。

 それで、きっと今傷ついている。


「俺は、守れなかった。くそ……っ。医者でいる事を止めてまで剣を取ったってのに、何の為の剣だ。やっぱり誰も守れやしなかったじゃないか」

「先生……」


 ステラードはそんな人間にかけてやる言葉を知らない。

 悲しみに暮れている人に、絶望している人にかける言葉を知らない。

 どうすればいいのかも。


 だが……。


 自分がしてもらった事はできる。


「どうして、この学校に来る事になったのかは分かりませんけど……、私達はそう簡単にはいなくなりませんから。元気出してください。今は出せなくても良いけど、そのうち元気になるまで私は傍にいますから」


 私は決していなくなったり、そう簡単に死んだりはしない。

 私が死ぬ事で、消える事で誰かを悲しませたりしないから。


 私がいなくなったら先生が悲しむって、昔言ってくれたから。

 だから今のステラがある。


 その恩返しをしたいと思った。


 私は自分の手をこすって温めた後、その人の耳を両手で挟み込んでみた。


 冷たい。

 お酒を飲んでる人は体温が上がっていそうだけど、冷たかった。全然酔ってなんかいなかったのだ。アルコールの匂いがするのに。

 

 夜風に吹かれてた分だけ温もりが奪われたのだろう。

 冷たいその場所にできるだけ温かみを与えられるように、しっかりふれあわせる。


「……ステラード?」


 こちらの行動の意図が読めなかったらしいツヴァイが目を丸くして驚く。


「何やってる」


 何ってちょっとだけ、大胆なことを。

 といっても、これくらいで全部返せる恩だとは思っていないけれど。


 当てていた手をずらしてこちらの声が聞こえるように調整。


「あったかいと、心もちょっとだけ温かくなるんです。先生がまだ私の先生だった時、寒がってた私に教えてくれたじゃないですか」

「いや、それは子供だから……」


 反応がなかなか帰ってこない。

 あまり手ごたえがないようだ。


 ツェルトはこうすると喜んでくれたんだけど。

 先生は違うのだろうか。 


「大人は違うんですか?」

「これじゃあ子供扱いされてるみたいで恰好悪いだろ。当たり前だ、第一こんなこっ恥ずかしい恰好、いつまでもしてられるか」


 がしっと私の手を掴んで、あてられていた耳からひきはがした。

 そして、そこがあるべき位置だとでも言わんばかりに、気をつけの姿勢へと手の位置を持ってく。

 どうやらステラードの行動は効果が無かったようだ。


「ごめんなさい。余計な事でしたか?」

「でも、いや、助かった」


 謝れば、相手から返って来たのは苦笑だ。


「そうだな。いつまでも落ち込んでたらせっかく良くなった元患者にいらん心配をかけちまう、病後のケアもするのが医者だ」

「先生」


 ちゃんと効いたのかどうか分からないけれど、元気な声を聞くのは嬉しかった。


「お前は全然変わらないな。昔のまんんまだ」

「そんな事ありませんよ、私結構剣の腕とか強くなりましたし。ほんとですから」

「いーや、まだまだ子供だろ。そうやってすぐふくれて、拗ねるところとか、な」


 それは先生が意地悪な事を言うからだ。


 けれどそんな風にしながらも、あの時みたいに先生は笑みを浮かべてくれた。

 ベッドの上で初対面の人間に不安がっていた時のステラードへ向けて、浮かべたあの笑みみたいに。


「だけど、まあ……ありがとうな」

「はい、どういたしまして」





「くそーっ、はーなーせー。ステラがー、俺のステラがー、ぽっと出の登場人物に横取りされる!」

「おいおい、落ち着きなってツェルト、嫉妬は見苦しいぜ。なあニオちゃん」

「そーそー。久々の再会に水を入れようなんて、野暮が過ぎるよツェルト君。ライド君、引き続きしっかり引き留めておいてね」


 外野が騒がしい事に気が付いて視線を周囲へ向ければ、離れた所にツェルトを羽交い絞めしているライドがいた。

 ニオは再び親指を立ててこちらに見せ、「良い仕事したでしょー」みたいな顔になってる。


「うるせぇ奴等だな。おい、ステラード。何だあれ」

「ええと、何だと言われても。私にも何が何だか」


 先生に聞かれても、本当によくわからないので、自分では答えようがなかった。


 けれど、私から見た意味不明な光景は、先生にはなじみ深い物だったらしい。


「ははぁ、なるほどな。どこにでもあるもんだな、ああいうのって」

「え、何か分かったんですか」

「さてな。解決したかったら、お前があの一番喧しいのの話し相手にでもなってやれ。それですぐ収まんだろ」


 そう言って先生は私の背中を押して、ツェルト達の元へ行くように促した。


「お友達たくさんってか。良かったじゃねーか」





 教員用宿舎

 夜が更けていく中、俺は先程あった事を思い出していた。


 何も言わずにあの少女の前からいなくなってからどれだけ時間が経っただろう。

 学校に勤めることになって、懐かしい人間と話をした。

 ステラード・グランシャリオ・ストレイド。

 元王女の今はただの貴族の少女。


 しばらくぶりの再会にステラードは、当然の様に怒って、心配して、出会いに喜んでいた。


 接した時間の中で返って来た反応は、まったく予想通りのものばかり。


 相変わらず、と言いたくなるような患者の小娘だった。


 その変化のなさに救われていた所もあるので、そう文句は言いはしなかったが。


 だが、変わったものいくらかもある。

 数年前にあった時は、間違っても頼りにできなさそうな子供だった人間が、それなりに成長していた。

 まさかあんな方法で励まされる事になろうとは思っていなかったのだ。


「ったく、生意気になりやがって」


 それを頼もしい態度ととるか、何も知らない能天気人間ととるかは意見が分かれる所ではありそうだが、おおむね天秤は歓迎の方へと傾いている。


「いつの間にやらってやつだな。あいつの前ではちゃんとした大人でいるつもりだったんだが……」


 気づいたら安心して弱音を吐いていた。格好悪い醜態を見せていた。

 普段は手を付けないアルコールを戯れに飲んでいた影響も少なからずはあるのだろうが、大体の所は気が緩んでいたせいだろう。


 慣れ親しんでいた土地が滅んで、国をまわしていた王族達が死んで、治療道具を手放して騎士として走り回っていた俺は誰も救えなかった。


 剣を取って、誰かを傷つけてまで守りたかった何かがあったというのに、それすら守れずに。


 俺は、自分が何者なのか分からなかった。

 何者でいれば誰かを救えるのかも。

 何者でいるべきなのかも。


 ツヴァイ・ブラッドカルマは未だ何者でもない。

 何者にもなれていない。

 誰かを救いたくて、誰かの力になりたくて選んだ道はことごとく俺を拒絶してくる。


 救いたかった人間だけが死んで、大切にしていた人間だけが死んでいって、俺だけがいつも生き残って来た。


 その事実が俺にとってはかなり堪えていた。

 一時期は、どうすればいいのか分からなかった程だ。


 けれど、そんな俺を導いてくれたのはあの少女だった。


 ツヴァイ・ブラッドカルマはステラ―ドの前では間違いなく「お医者さんの先生」なのだと、そう教えてくれたのだから。


 そう、自信を持てるようになったのは、あの少女のおかげだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る