6.彼の揺れゆく想い
「おい、どうした、そんな大声出して」
「編集長! ス、スクープですよ、大スクープ!」
「何、スクープだと? どんなスクープなんだ」
「この写真を見て下さいよっ。ほら、これ!」
「ん……。ここに写ってるのは、夢百合香稟か?」
「その通り! この現場がどこだかわかったらびっくりしますよ」
「おいおい、もったいぶらずにどこだか教えろよ」
「連章琢巳が借りているマンションですよっ」
「ということは、まさか――!」
「すごいでしょ!? これこそ大スクープですよ! こういう見出しはどうですか? あのトップアイドル夢百合香稟、売れっ子タレント連章琢巳と深夜の密会!」
「これはすごいぞぉ! よし、明日の朝刊、これをトップ記事に載せろ!久しぶりに芸能が一面だぁ!」
深夜零時、あるスポーツ新聞社の編集部での一幕だ。
誰も見向きもしない地味な一面を予定していただけあって、いきなり飛び込んできた芸能スクープは編集部全体を騒然とさせた。
編集長が鼻息を荒くして大声で指示を出すと、編集部にいる誰もがやりかけの仕事を投げ出して慌ただしくなった。朝刊に間に合わせるために今夜は徹夜になりそうだ。
――天変地異を揺るがすほどの大ニュース、それは夢百合香稟にとって、人気絶頂のスーパーアイドルにとってあってはならないスキャンダルであった。
* ◇ *
翌日の朝、ここは唐草潤太の自宅である。
彼はまだ夢の中にいた。幸せそうな顔をしているところをみると、現実ではお目にかかれない楽しい夢でも見ているのであろう。
そんな楽しい一時を、大声と物音でぶち壊す者がいた。
『ドンドンドン!』
「おい、兄貴、起きろよぉ! 大事件が起きちゃったんだよ!」
その声の主は弟の拳太だった。彼は叫び声を上げながら、ドアを壊さんばかりにノックし続ける。
朝早くから突然の慌ただしさ、そのせいで潤太は楽しい夢の途中で深い眠りから目覚めてしまった。
「何だよぉ……? まだ、七時じゃないかぁ……」
「とにかく出てきてくれよ。テレビでとんでもない大事件をやってるんだよ!」
「……大事件? 言っておくけど、地震とか火事とか、そういうニュースなら興味ないから後にしてくれよ」
「違うんだよ! 香稟ちゃんのニュースなんだよ!」
「…………」
なぜかここで沈黙。寝起きのせいか、頭の回転が鈍いのだろう。
そして、数秒間の沈黙の後――。
「――か、香稟ちゃんのニュース!?」
潤太は驚きのあまりベッドから飛び起きた。
香稟に関する大事件、いったい何が起きたというのか。彼はものすごい勢いで自室のドアを開ける。
「ニュースって何だよ! 香稟ちゃんに何かあったのか!?」
眠気もぶっ飛んでしまった潤太は、乱れた寝ぐせも衣類も整えないままに、拳太に連れられてリビングにあるテレビの前までダッシュした。
リビングにあるテレビでは朝の情報番組を放送していた。その番組の芸能コーナーで取り上げられていた内容とは。
「――――!」
それは夢百合香稟のスキャンダル報道だった。それを伝える映像が、寝ぼけ眼だった潤太の両目にはっきりと焼き付いた。
彼はテレビの前で呆然と立ち尽くし、テレビに映し出されるテロップを何度も何度も心の中で読み上げる。
(スーパーアイドル夢百合香稟に恋人発覚か……。相手は売れっ子タレントの連章琢巳……)
彼の頭の中は真っ白になっていた。予想もしなかった事実、この信じがたい現実に、頭をトンカチで叩き付けられる思いであった。
(う、嘘だろ……? そんなことって……)
呆然としているのは潤太ばかりではない。香稟の大ファンを自称する拳太も同様だ。
「やっぱりさ、香稟ちゃんも年頃の女の子なんだよな。相手があの連章琢巳なら無理ないよな……」
拳太は続けて、このスキャンダル報道を詳しく説明する。
「昨日の夜、連章の住んでるマンションに入っていく香稟ちゃんと、迎えに来たマネージャーと一緒に車で走り去るのを激写されたらしいよ。ドラマの打ち上げパーティーの後の密会らしい」
「…………」
それを補足するように、情報番組のキャスターと芸能記者が淡々と解説している。ゴシップ専門のスポーツ新聞社がすっぱ抜いた記事であり、まだ具体的なところは不明で信憑性に欠ける点もあるから詳細はこれから発表されるであろうということだった。
そういう状況にも関わらず、拳太はこのニュースを真実として受け止めているようだ。本当なら認めたくはないが、認めるしかないという諦めの気持ちが彼の沈んだ表情から窺い知れる。
しかし、潤太はまだ現実として受け止めることができずにいた。彼女からそういった話題を聞いていないし、それらしい雰囲気もなかった。ただ彼の場合、それを受け止めたくないという心理の方が強いのかも知れない。
香稟のスキャンダル報道はそれからもしばらく続いた。どのチャンネルを回しても、テレビ局各社は放送予定を変更してまで彼女のニュースを取り上げていた。さすがは日本中が注目するスーパーアイドルのスキャンダルだけに、その影響力はとてつもなく大きいものだった。
そんなニュースばかりに煩わしさを感じてか、潤太はリモコンを操作してテレビの電源を切ってしまった。そして、テーブルの側にある椅子に崩れるように腰を下ろした。
その時、彼の頭の中には、友人である色沼と浜柄の二人が話していた会話が思い浮かんでいた。
(つまり、ゲイノースキャンダル! 夢百合香稟、連章琢巳と熱愛発覚かぁ、とかいうニュース速報が飛び込んでくるかもってことだ!)
あの言葉が現実になるなんて――。夢だったら覚めてほしい、そう願って頬をつねっても、鈍い痛みばかりが神経を駆け巡る潤太であった。
朝食もまともに喉を通らないまま、彼はいつも通りに学校へ行く支度を始める。途方に暮れながら、いつも通りの通学路を歩いて学校へ向かうのだった。
* ◇ *
その日、潤太の通う学校内では、当然ながら夢百合香稟のスキャンダルの話題で持ちきりだった。
信じられずに落胆する者もいれば、予想通りだなと納得する者もいる。スーパーアイドルのニュースは、それぞれの学生達にもさまざまな反響を呼んでいたようだ。
この日の潤太は朝からやる気を失っており、授業中はすっかり上の空であった。思い詰めた表情で、窓の向こうに浮かんでいる雲をただ目で追うばかりだった。
しかし、彼が見つめる視線のさらなる先には、愛らしい笑顔を浮かべる香稟がいた。
このスキャンダル報道は本当なのか、それとも嘘なのか。電話でもいいから話を聞いてみたい。だが、彼は自分から彼女に連絡を取ることができない。
「ふぅ……」
彼の深い溜め息は、心の中の苛立ちやもどかしさを表すかのように灰色に包まれていた。
◇
時刻が午後三時を迎える頃、潤太のクラス内がガヤガヤと騒ぎ始めた。
それが気になったのだろう、彼はすぐ近くにいた友人の色沼と浜柄に何事かと声を掛ける。
「なぁ、みんな、どうしたんだ?」
「これから香稟ちゃんの記者会見があるんだ」
「だから、テレビのところに集まってんだよ」
色沼と浜柄は教室に備え付けてあるテレビを指差した。
そのテレビの周りには、夢百合香稟のコメントを一目見ようとクラスメイトの半数以上が集まっていた。
「お、いよいよだぞ!」
このクラスだけではなく、もしかすると日本中が注目する中、午後三時から放映されるワイドショーが始まった。
番組の冒頭から、司会者が神妙な顔つきで夢百合香稟のスキャンダル報道を抑揚のない口調で語り始める。
「おっと、オレ達も見なきゃな!」
色沼と浜柄の二人も見逃すわけにはいかないというわけで、クラスメイトの群れの中に割って入っていった。
友人が去った後も椅子に座ったままの潤太。いつもならお澄まし顔で放置する彼だが、今日ばかりは気が気ではない様子だ。香稟の口からどんな答えが語られるのだろうか、彼も席を立つなりテレビの方向に向かって走り出した。
ワイドショーの映像が、記者会見が行われるひな壇に切り替わった。するとそこには、報道陣に囲まれたスーパーアイドル夢百合香稟の姿が映し出された。事情が事情だけに、彼女の表情にいつもの明るい笑顔は見られない。
眩しいカメラのフラッシュの嵐、四方八方から飛び出す集音マイク、そのすべてが、ひな壇に立つ一人のアイドルへと向けられていた。
潤太は何とか人混みの隙間に入り込むと、ブラウン管越しの彼女を見つめた。彼の鼓動が不安と緊張のせいでバクバクと早くなる。
テレビのスピーカーから、やかましくてしつこい報道陣の質問ばかりが聞こえてくる。
「香稟ちゃん、この報道について教えてください! 本当に連章さんと密会していたんですか!?」
「ハッキリ答えてくださいよ! 連章さんとは正式なお付き合いをしてるんですか!?」
矢継ぎ早に飛んでくる報道陣の質問攻撃。いくら報道の自由とはいえ、十代の少女に対していささかやり過ぎな印象を感じなくもない。事実を知りたい者がいるから事実を伝える者がいる。これが現実なのだから致し方がないだろう。
いくら追い詰められても、香稟は壇上から逃げたり背中を向けたりしない。これは釈明や弁明のための記者会見の席なのだ。だから、そのしつこい報道陣に向けて重たい口を開く。
「……報道にある通り、連章さんのマンションに行ったのは事実です」
彼女はややうつむき加減で弁解を始める。
「ただ、マネージャーと一緒でした。連章さんとマネージャーは昔からの知り合い同士だったので、それがきっかけであたしも誘われたんです」
それを聞いた報道陣の一人が、彼女に鋭く問い返してくる。
「しかし香稟ちゃん! 記事によると、連章さんのマンションに入った時は、あなたと連章さんの二人だけって話だけど? マネージャーは迎えに来ただけって話だけど、それについては?」
「そ、それについてですが、マンションに入ったのは確かに連章さんと二人きりだったけど……。マネージャーとは後から合流する予定になっていたんです」
「改めてお伺いしますが、香稟ちゃんは、連章さんとのお付き合いは否定する……ということなんですね?」
「はい。連章さんとは、ドラマで共演しただけでそれ以上のことは何もありません……」
香稟は連章琢巳との真剣交際を真っ向から否定した。
ちなみにここでの彼女の弁明だが、これはマネージャーの新羅が事前に準備してくれた台本に書かれた台詞であった。報道陣からいくら質問されても、台本通りに返答すれば最悪な事態は避けられる、そう判断してのものだった。
ただ、報道陣も真実を暴くその手のプロである。台本通りにいかない質問も当然ながら出てくることもあるわけで。
「香稟さん、連章さんとマネージャーが知り合いでも、深夜という時刻にマンションに出入りするのは不謹慎ではありませんか?」
「そうですよ。こうなると、恋愛報道とは違って何か別の意図があると受け取られかねませんが、その辺りはいかがですか?」
「え、あ、あの、それについては……」
報道陣の厳しい質問攻めが続く。香稟はしどろもどろになり、ついには口を閉ざして黙り込んでしまった。さらに、いたたまれなさからうっすらと瞳に涙を浮かべてしまう。
記者会見の場は騒然となってきた。このままでは収拾がつかなくなると判断し、マネージャーの新羅が素早くその場に割って入ってきた。
「大変申し訳ありません! 時間に余裕がありませんので、本日はこれでご勘弁ください!」
新羅は香稟の手を掴むなり、記者会見の場から立ち去ろうとする。
まだ会見終了には早過ぎる、まだ正式な答えをもらっていないなど、ざわつく報道陣にもみくちゃにされながら、彼女達二人は逃げるようにその場を後にした。
その一部始終を見ていた潤太のクラスメイト達。それぞれの意見や感想はさまざまで、それこそ十人十色である。
「怪しいよなぁ。二人きりでマンションにいてさ、何もないなんてありえねぇよ」
「そうかなぁ。あたしは何にもなかったと思うよ。だってさ、ドラマで共演してたとはいえ、たかが二時間ドラマでしょ? 期間が短すぎると思うけどな」
「いやいや、それはアマチャンの考えだぜ! 相手はあのプレイボーイの連章琢巳だぞ。香稟もさ、あいつの毒牙にかかったと考えるのが妥当だと思うぜ」
「毒牙って、おまえ露骨な言い方するなぁ。まるで、香稟が連章に騙されたみたいじゃんか」
「ん~、確かに連章の女癖悪いの有名だもんね。その線はまんざらハズレとも言い難いわね」
クラスメイト達は予測の範囲ながら言いたい放題である。ただ、交際否定を信じる者は少数派であった。つまり、“シロ”ではなく“クロ”だと思っている者が多いようだ。
潤太はどうかというと、白黒の判別なんてできるはずもなかった。彼女の身の潔白を信じたいが、クラスメイト達の話が四方八方から飛んでくるたびに、気持ちはますます不安と焦りに埋め尽くされる。
「おい、見ろよ。連章のインタビューが始まるみたいだぞ!」
その一声により、クラスメイト達が皆、テレビの画面に釘付けになった。
こちらの映像は生放送ではなく収録放送であった。つまり、香稟の真相激白よりも少し前の映像ということになる。
噂の相手である連章琢巳がブラウン管を通じて映し出された。いつも通りに澄ました顔でまったく動揺している様子はない。むしろスクープを喜んでいるかのように見える。
香稟の記者会見の時と同じく、報道陣が津波のごとく押し寄せて彼の周囲を取り囲んでいる。
「連章さん、教えてくださいよ。昨日の夜は、夢百合香稟さんと二人きりで過ごしたんですか!?」
「連章さん、夢百合香稟さんとの交際報道に関して一言いただけませんか!?」
こういう報道にすっかり慣れているのか、連章は素振りも落ち着いており口調も滑らかだ。
「ホントにあんた達はまるでハイエナだね。ちょっと新聞でスクープが出ると、ここぞとばかりに湧いて出てくるんだものな」
「いやぁ、これがわたし達の仕事ですからね。ねぇ、どうなんです? 答えてくださいよ」
連章は小さく溜め息を零すと、澄ました表情のままで話し始める。
「香稟ちゃんがぼくのマンションに来たのは事実さ。だけど、途中で彼女のマネージャーに連れて行かれたよ。これからって時にね」
「これから? これからってどういう意味ですか?」
「おいおい、野暮な質問はお断りだな。一応、そういうことだからさ。ぼくもこれから収録なんだ。これで勘弁してくれないかな」
「あっ、待ってください。もう少しでいいからお願いします!」
連章は意味ありげな含み笑いを浮かべながら、報道陣の前から早々と去っていった。さすがはこの手のインタビューに慣れっこのせいか、報道陣を煙に巻くのはお手の物といったところか。
連章のインタビュー映像が終わるや否や、教室内は再びクラスメイト達の評論タイムとなった。
「やっぱりさ、間違いないんじゃない? あの二人、絶対にできてるよ」
「そうかも知れねぇな。アイツのあのはぐらかすような言い方さ、前のスキャンダルの時と同じだったぜ」
「う~ん、香稟の言い分と連章の言い分とが食い違ってたし。今のところ、信じるとしたら連章……ってか?」
先程は交際否定説を支持する者が少なからず見受けられたが、連章琢巳のインタビューの後になったら、その少数派のクラスメイト達も否定説から肯定説に傾いたようだ。
そういう状況もあってか、潤太はもう何を信じたらよいのかわからなくなっていた。
(……アイドルは、やっぱりボクの住む世界の人じゃないんだ。所詮、ボクと香稟ちゃんは、単なる知り合い同士に過ぎなかったんだ)
彼は心の中でそう囁く。何度も何度も繰り返して。少しでも期待してしまった自分の愚かさを悔いるように――。
* ◇ *
次の日、土曜日の夜だった。
潤太は自室の机に向き合い、趣味である風景画の色付けをしていた。
しかし……。
「くそっ! どうしても、いい色が出ないなっ!」
彼は苛立ったように絵筆を床の上に投げつける。
焦りと戸惑い――。今まで経験したことがないほど、彼の心は激しく揺さぶられていた。
絵画に没頭しようとしても、頭の中に夢百合香稟の顔がよぎると無意識のうちに手が止まってしまう。それぐらい、彼女のことで頭がいっぱいになっていたのだ。
前日ニュースが発表されて以来、彼女からの連絡は一度もない。多忙な芸能活動の最中に巻き起こった騒動、その火消しの対応に追われてそれどころではないのだろう。それは彼も十分にわかっていた。
それでも、こういう時ほどおしゃべりがしたい。交際を認めようが認めまいが、彼女と会話ができるだけできっと安心できる。だから、彼女からの連絡を期待するしかなかった。
「よし、こうしてみるか」
そんな焦燥感に邪魔されながらも、彼はひたすら机の上のスケッチブックに集中しようとしていた。
その直後、一階から彼の母親の声がこだまする。
「潤太、電話よ~!」
この電話はもしや――!?彼はすぐさま反応すると、部屋のドアを乱暴に開けるなりドタドタと駆け足で階段を下りていく。
(香稟ちゃん――)
彼女であってほしい、いやきっと彼女に違いない。彼の心臓は騒がしいぐらい激しく高鳴っていた。
息子が血相を変えて駆け下りてきたものだから、母親はびっくりして仰け反ってしまった。
「ちょっと、あんた! 家が壊れちゃうわよぉ」
母親の文句などまるで聞く耳持たず、彼は奪い取るように受話器を手にした。
「も、もしもし!?」
期待、不安、歓喜、興奮。いろいろな感情が交錯しながら、受話器の向こうからの反応を待った、が。
「おう、オレだ、浜柄だよ」
「……何だ、おまえかよぉ」
まさかの友人の声に、ガックリと肩を落としてしまう潤太。
「何だよ、その言い方は。それじゃあ、誰だと思ったのさ?」
「いや、おまえには関係ないよ。……で、何か用かな?」
「さっき、色沼から電話があってさ。明日の日曜日に街へ出掛けようって話になったんだけどさ、おまえも付き合えよ」
有無を言わさない強引なお誘い。しかし、潤太はとても遊ぶ気分にはなれなかった。製作中の絵画もあり、明日の日曜日はそれを優先したい思いもある。
街で遊んだ方が嫌な気分も紛れてスッキリするのかも知れない。普通の人ならそうだろうが、もともとアクティブな性格ではない彼の場合、家にこもって趣味に没頭した方が気が紛れるというわけだ。
「悪いけど、遠慮するよ。そんな気分じゃないんだ」
「おいおい、オレ達はおまえのために誘ってんだぞ。昨日のおまえ、やけに元気なかったからな。おもしろいところに連れていってやるから付き合えって!」
さすがは無二の親友。意地悪なところもあるけれど、潤太の落ち込みをそれとなく気に掛けてくれていたのだ。
それが余計なお世話であっても、その善意、厚意に応えなかったら申し訳ない気持ちもある。潤太はしばらく考えた末、少しばかり気分転換しようと思って、彼らからのお誘いを受け入れることにした。
「わかった、付き合うよ。で、どうすればいいの?」
「明日、おまえのところへ迎えに行くからさ、家で待機していてくれ」
「わかった、それじゃあね」
潤太は話を終えると、そっと受話器を置く。
(たまにはこういうのも悪くないかもな。そうと決まったら、あの絵を一気に仕上げなきゃ)
風景画の色付けを続けようと自室へ戻ろうとした、まさにその直後だった。
『プルルル――、プルルル――』
『ドキッ!!』
電話機のベルが静かな廊下に鳴り響いた。
それにすぐさま反応し、彼の両足はピタッと止まってしまった。
(……まさか、今度こそ)
今度こそ彼女なのだろうか、いや彼女であってほしい。心からそう願わずにはいられないだろう。
『プルルル――、プルルル――』
急かすように鳴り続ける電話機のベルの音。留守だと思われて切られる前に受話器を上げなければ。
彼はゆっくりと深呼吸をして、そしてそっと受話器を持ち上げる。
「もしもし……?」
果たして、受話器の向こうにいる人物は香稟なのであろうか?期待に胸を膨らませて返答を待つ。
「おー、オレだ、色沼だぁ!」
またしても、ガックリと肩を落とした潤太。正直なところ、受話器を壁に投げつけたい心境だったりする。
「……何か用?」
「何だよ、やけに愛想がないじゃんかぁ! 友達相手に、そういう態度はないだろ?」
無愛想もそうだが、潤太の声は明らかに苛立っている。
「ボク、忙しいんだよ。用があるなら早めに言ってくれない?」
「あのさ、さっき浜柄にも言ったんだけどさ……」
「明日、出掛けようって話でしょ? もう聞いてるよ」
「あら、そうなの? それなら話は早いな。で、おまえはどうするんだ?」
「OKしたよ。特に用事があるわけじゃないしね」
「よし、そうか! それじゃあ、明日よろしくな!」
潤太は深い溜め息を漏らして受話器を置いた。
相手は彼女ではなかった。やはり期待するだけ無駄だったのか。今夜は寝付きの悪い夜になってしまいそうだ。
『プルルル――』
「わっ!? ま、またかよ」
今夜に限って、とてもやかましい電話である。これほどの短時間で立て続けに電話が来る家も珍しいのではないか。
彼は不気味に感じつつ、恐る恐る受話器を持ち上げた。
「……もしもし?」
「わりぃ、わりぃ、浜柄だよ」
肩を落とすというよりも、潤太は怒りが込み上げて爆発寸前だった。
「もう、何なんだよ!? まだ何か用かい?」
「そう怒るなよ。あのさ、明日は午前十時過ぎに迎えに行くからさ。寝坊しないようにな」
「わかったよ! で、もう終わりかい!?」
「それだけだ。じゃあな」
『ガチャン!』
もうかけてくるな!心の中でそう叫びながら、潤太は壊れんばかりに受話器を叩きつけた。
(やっと部屋に戻れる……)
彼は疲れ切った顔をしながら電話機に背を向ける。そして二階につながる階段へと片足を置いた、その瞬間――。
『プルルル――、プルルル――』
またしても鳴り響く電話機のベルの音。これで連続四回目の着信である。
これが友人達の仕業なら悪意すら感じる。夜にこれほどのイタズラ電話はさすがにやり過ぎだ。彼の怒りはついに頂点に達した。
「いい加減にしろ、あいつら! 何回電話すれば気が済むんだぁ~」
彼は怒鳴りながらきびすを返し、鳴り止まない電話の受話器を掴んだ。
「もしもし! おい、しつこいぞ! 言いたいことはまとめて言ってくれよっ!」
「……あ、あの、もしもし?」
「えっ?」
受話器から聞こえてきた声は友人達の声ではなかった。しかもその声は、彼にとって聞き覚えのある、荒ぶっている心を安らかにしてくれるあの子の声だった。
「……香稟ちゃん?」
「うん、久しぶりだね」
受話器の向こうにいるのは夢百合香稟。彼が待ちに待っていた、声が聞きたくてたまらなかったあの彼女であった。
「うわぁ、ご、ごめんなさい、いきなり大声出しちゃって!」
「ううん、気にしてないよ」
イタズラ電話と勘違いして、思わず怒鳴り声を上げてしまった恥ずかしさと申し訳なさ。彼は上擦った声を上げながら、受話器の向こうの彼女に繰り返し謝罪した。
一方の彼女はというと、間違い電話かと思って慌てて電話を切ってしまいそうだったが、彼の声だとすぐに気付いて冷静になってから返答をしたという。
「ひ、久しぶりだね……。元気だった?」
「うん、なんとか元気だよ」
電話越しの彼女の声は明らかにいつもと違う、陽気さが感じられないアイドルの声だ。昨日テレビから流れたあの記者会見の時と同じように弱々しく沈んでいた。
連絡をしてくれたのは嬉しいが、いざ彼女の声を聞いてみると切なさが伝わってきて胸が締め付けられる思いがする。会話も途切れてしまい、彼は受話器を握る手が汗ばんでしまうほど動揺した。
それから数秒間の沈黙の後、彼女が小声で話し始める。
「……あたしのニュース見たよね。驚いたでしょ?」
「……うん、驚いてないといったら嘘になるかな」
そんなことよりも、ニュースの真相が知りたくて知りたくて仕方がなかったはずだ。でも、それをはっきりと口にできない臆病な彼がそこにいる。
真相を知りたいが、今は彼女を元気付けることが優先だ。作り笑いを浮かべて、精一杯明るく振る舞おうとしてみるものの――。
「た、大変だよね、アイドルって。あんなに報道陣に囲まれちゃってさ、疲れちゃったでしょ?」
「うん……」
「ボクの学校でもさ、香稟ちゃんの話題ですごかったんだ。記者会見もね、テレビの前にみんなで集まって見たんだよ」
「そうだったんだ……」
「え、えーっと……」
――またしても会話が途切れてしまった。彼は言葉に詰まり困惑するばかりである。
気まずい静けさがしばらく続いたが、口を開いたのは、小さな声で問いかけてくる彼女の方であった。
「ねぇ、潤太クン。あなたは、あたしの言ったこと信じてくれる?」
「えっ!? し、信じてるって何を……」
「あたしが、記者会見で言ったこと」
香稟が記者会見で言ったこと、それは連章琢巳とはドラマで共演しただけで恋愛関係は一切ないという釈明のことだ。
「あ、ああ、そのことね……。うん、ボクは信じてるよ」
潤太は素直なままにそう返答した。しかし、彼の心中はまだ揺れ動いており、信じてよいのかどうか正直なところわからなかった。
「ホント?」
「う、うん。本当だよ」
「ホントにホント?」
「本当だって」
彼女は繰り返し聞き返してくる。このたびの騒動で、世間から卑しい目で見られる恐怖心から疑心暗鬼になっているのだろうか。
繰り返し聞き返されたところで、彼の答えが揺らぐことはなかった。今は信じるよりも、彼女を安心させたいという思いが強かったようだ。
それにホッと胸を撫で下ろしたのか、彼女の声のトーンが少しずつ大きくなり明るくなっていった。
「よかったぁ……。あたしね、潤太クンに信じてもらえなかったらどうしようかと思ってたの」
「香稟ちゃん……」
この時、彼の心が大きく揺さぶられた。そして、頭の中を覆っていたもやもやが晴れていく感覚があった。それは、戸惑いや不安が消えていくような、そんなスッキリとしたような感覚だった。
彼はここでひとつの結論に辿り着く。信じるのかどうかではなく、信じてあげることが大切なのだ。それが、わざわざ電話してくれた彼女への感謝の気持ちと誠意なのであると。
「あのね、潤太クン。明日の日曜日なんだけどヒマかな?」
「え――」
ついさっき入った予定を思い出し、彼は言葉に詰まってしまう。
明日の日曜日は、残念ながらも友達の色沼と浜柄から誘われて街へ遊びに行く予定が入っていた。これを断ると、後からどんな意地悪をされるかわかったものではない。
「もしかして、もう予定がある?」
「う、うん……。ついさっき、友達と遊びに行く予定を入れちゃって」
「そうなんだ。残念だけど、また今度だね」
「ゴメンね。また、次の機会に声掛けてよ」
「そうする。もう遅いから、そろそろ切るね。それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
潤太は静かに受話器を置いた。
それから数秒間、電話を終えたにも関わらず、どうしてかその場から離れようとはしない。
この時の彼は、彼女との会話の余韻に浸って満足感を噛み締めていたのだ。単純な性格と言えばそれまでだが、彼女とおしゃべりができたこと、彼女からまた誘ってもらえたことがただ嬉しかったのである。
「……こんなことになるなら、無理やりアイツらの誘いに乗るんじゃなかったなぁ」
彼は悔しそうに舌打ちする。先に入れてしまった予定を今になって後悔しても、時すでに遅しであった。
* ◇ *
翌日の日曜日。
今日のお天気はあいにくの曇り後雨。今にも雨が降ってきそうな鉛色の空だった。
「ごめんくださ~い」
午前十時過ぎ、唐草潤太家への来訪者は色沼と浜柄の仲良しコンビだった。街へお出掛けということもあり、彼ら二人は髪型も身だしなみもきちんと整えていた。
「あら、いらっしゃい。ちょっと待っててね、今呼んでくるから」
そんな彼らを愛想よく出迎えるのは潤太の母親だ。彼女は玄関から大声を上げて潤太の名前を叫んだ。
すると、しばらくして二階から潤太が駆け下りてきた。
「やぁ、おはよう」
「オッス、早く行こうぜ」
潤太は特におしゃれもせず、ブルーのパーカーとブラウンのチノパンといういつものスタイル。そして愛着のあるリュックサックを背負っている。ちなみに、このリュックサックにスケッチブックが入っているのは言うまでもない。
彼はスニーカーに両足を突っ込むと、友達と一緒に曇り空の外へと出掛けていく。
「なぁ、雨が降りそうじゃないか? 傘いるんじゃないかな」
鉛色の上空を見上げながら潤太は心配そうな顔をする。彼は傘を持参していないが、よく見ると、色沼も浜柄も傘を持参していないようだ。
「大丈夫だって! 出掛ける前に天気予報チェックしたら、降水確率六十パーセントだったし」
「おいおい、それ、やばくないかっ!?」
降水確率が六十パーセントならかなりの高確率だろう。お天気キャスターの誰もが傘を持って外出するようお勧めするはずだ。潤太が焦るのも無理はない。
「百パーセントじゃないんだぞ。心配することないさ、ハッハッハ」
「そうそう。降ったら降ったでなんとかなるって! ハッハッハ」
潤太の心配をよそに、色沼と浜柄はこの曇天を晴らすかのような高笑いをした。彼ら二人はどうやら、行き当たりばったりに行動する能天気な性格らしい。
「それはいいとしてさ、今日はどこに連れていってくれるんだい?」
「黙って付いてこいよ。こんな嫌な天気をスカッと晴らすような思いをさせてやるからよ」
「?」
彼ら三人は街まで行くというが、果たしてどこまで行くのやら。
潤太は目的地もわからぬまま、能天気な友人二人の後ろに付いていくのだった。
◇
色沼と浜柄、そして潤太の三人は中央線の電車に揺られて新宿駅に辿り着く。それから山手線へ乗り換えてやってきた先とは、若者の街原宿であった。
原宿といえばメインストリートである竹下通りが有名だ。全長約三百六十メートル沿いに、さまざまなジャンルのお店が所狭しと軒を連ねている。ファッションやカルチャー、さらにグルメなど最新トレンドを求める若者達で今日も大賑わいだ。
その一方で、代々木公園や明治神宮の森林に隣接しておりのどかで落ち着いた雰囲気も合わせ持っている。原宿とは賑やかさと落ち着いた空間が同居するそんな不思議な街だ。
潤太は改札を越えると、不思議空間とも言うべき駅周辺をキョロキョロと物珍しそうに見渡す。彼が原宿の街へ来たのは、小さい頃に両親に連れられてお買い物に来た時以来だった。
「原宿はいいけど、ここで何すんの?」
「もうすぐわかるって」
「いいから付いてこいよ」
色沼と浜柄の二人は駅を背にして歩き出した。潤太はそれに従うしかないわけで、迷子にならないよう彼らの背中を追いかけていく。
先導する男子二人は誰かを探しているような素振りだった。ここで誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。
「おっ、あそこにいた」
探している人が見つかったのか、色沼はある方向に向かって大きく手を振っていた。
よく見ると、今風のカジュアルな服装の女の子三人組がこちら側に手を振っている。どうやら、彼女達と待ち合わせをしていたようだ。
「やぁ、待ったかい?」
「まぁね、五分ちょっとね」
女の子達はみんなおしゃれな衣装で個性をアピールしていた。ほんのりとお化粧もしており、パッと見だと高校生というよりは大学生に見えなくもない。
彼女達はいったい誰なのだろうか?潤太がチラッと見た限り、クラスメイトでもないし同じ学校の同級生でもない感じがした。
その疑問に答えてくれたのは浜柄だった。彼は女の子三人組を紹介してくれた。
「彼女達はね、都内の学校に通ってる女子なんだ。ちょっとしたイベントで知り合って、そこで仲良くなってな。今日はデートのお誘いに来てくれたってわけさ」
「そ、そうなんだ……」
今日の予定がまさか女の子とのデートだったとは……。予想外の展開に、潤太は少しばかり戸惑ってしまった。
浜柄は女の子達に潤太のことも紹介する。
「で、コイツがオレ達の友達の唐草潤太。おとなしくて無口だけど根はいいやつだから仲良くしてやってよ」
「よろしくねぇ、潤太クン!」
「あ、よ、よろしく……」
気さくに明るく振る舞う女の子達。どの子も人懐っこくて物怖じしない性格のようだ。
それに引き換え、消極的で引っ込み思案の潤太は、恥じらいながら伏し目がちに挨拶するのが精一杯であった。
「それじゃあ、まずはどこに行く?」
「表参道をブラブラしない? ちょっと行きたいところあるから」
「よし、行こうか」
こうして男女六人は、目的地となる表参道に向かって歩き始めた。
賑やかな街並みを、隣り合って楽しくおしゃべりをしている男女グループ、ところが、たった一人だけ置いてけぼりの男子がいる。それは何を隠そう最後尾をポツンと歩いている潤太だ。
女の子に積極的に声を掛けるのは苦手、しかも女の子と共通の話題も見つからないときたら、自然と群れから離れて独りぼっちになってしまうのも無理はない。
これに気付いた色沼と浜柄が、女の子達の会話から抜け出して最後尾の潤太の隣に詰め寄ってきた。
「おい、潤太。おまえ何してるんだよ!」
「今日はデートなんだぞ、わかってるのか?」
「わかってるも何も……。どうしたらいいのかわからないもん」
うつむいて下を向いてしまう潤太。これには、友人二人も嘆かわしくて呆れ返ってしまう。
「せっかく、かわいい女の子を誘ったんだぞ。とにかく積極的に話しかけろ。こんなチャンス滅多にないんだからな!」
「積極的って言われても……。どうすればいいのさ?」
「アホか、おのれは! そんなくだらない質問するんじゃない! 気に入った子がいたら、どんどん声を掛けろよ。このままだと、いつまで経っても彼女ができねぇぞ」
潤太はムッとした表情で友人二人を睨みつける。
「何言ってんだよ。おまえらだって、いつまで経っても彼女できないじゃないか」
「う……」
色沼と浜柄は思わず口ごもってしまう。当たっているだけに言い返せない彼らであった。
さて、男子達が言い合いをしている中、女子達はどうしているかというと――。
「あ、ここ! ここ行きたかったんだぁ!」
「うんうん、入ろ入ろ!」
女子達はすっかりマイペース。男子のことなどお構いなしに、お気に入りのお店を発見するなり突き進んでいった。
「おいおい、オレ達も置いてけぼりじゃん」
呆然と立ち尽くしている場合ではない。彼女達とのデートを成功させるために、彼らも慌ててお店に向かって駆け出していった。
◇
それからというもの、男女六人は原宿界隈から渋谷まで繰り出し、デザートを食べたりウインドウショッピングをしたりして賑やかなデートタイムを楽しんだ。
歩き疲れた彼らは休憩がてら、洋風スタイルのオープンカフェまでやってきた。それぞれがお好みのドリンクを手にして、街の外が一望できるテーブル席へと腰掛ける。
それにしても、女の子三人はパワフルで元気いっぱいだ。テーブル席についてもぺちゃくちゃとおしゃべりが止まらない。色沼と浜柄もその会話の中に混ぜてもらおうと必死だった。
「…………」
その一方で、潤太はボーっとしながら街行く人々を眺めていた。
彼はまだこの雰囲気に馴染めず、女の子の誰一人ともまともに会話をしていなかった。声を掛けられたら応じるものの、会話という会話が続くことはなかった。
それを見るに見かねた色沼と浜柄は次なる作戦を考えていた。それは当然、友人である潤太のために一肌脱ごうとする親切心でもあった。
彼ら二人はトイレに行く振りをしてテーブル席を離れていく。その途中、作戦についてコソコソ話で相談を始める。
「よし、そろそろ別行動といくか」
「そうだな。時間も時間だし」
作戦というのは男女ペアになっての別行動。これなら女の子と二人きりになり、否が応でも会話をしなければいけない状況となる。これこそが、彼らが考えた潤太にとってありがた迷惑な作戦だった。
相談を終えた彼らはテーブル席へと戻ってきた。そして、それを全員に伝える。
「みんな聞いてくれ。これからさ、一対一のペアになって別行動に入ろうと思う」
「――――!?」
まさに想定外。いきなりの発表に、潤太は飲みかけたドリンクを吹き出しそうになった。ペアになっての別行動なんて冗談ではない、彼はしどろもどろになって慌て始めた。
では、女の子達の反応はどうだったのだろうか。これについてだが、彼女達は意外なほど前向きに捉えてくれた。
「いいよ。それじゃあ、どう分かれようか?」
乗ってくれたらこっちのもの。色沼と浜柄がテキパキと話を進める。
「勝手で申し訳ないけど、オレ達が指名するってのはどう?」
「わかった。みんな、それでいい?」
女の子達は嫌な顔ひとつせず、あっさりと賛同した。
この状況で賛同していないのは潤太一人だけであろう。それを証拠に、彼は友人達に向かって首をぶんぶんと横に激しく振っていた。だが、そんな思いなど届くはずもなく……。
このまま帰ってしまおうかとさえ考えた彼は、そっとテーブル席から去ろうとした瞬間、友人二人に腕を引っ張られて強引に連れ戻された。
「おい、潤太。おまえは誰にするんだ?」
「今日は特別だ。先に選ばせてやるぞ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! ボ、ボク、そんなの決められないよ!」
「バカヤロウ! せっかく二人きりにさせてやろうとしてんだぞ? しかも、おまえを優先させてやるんだから感謝しろよな」
「感謝も何も、いきなり二人きりだなんて困るよぉ!」
グループ行動で仲良くできなかったからといって、二人きりならば仲良くできるかといったらそれは違う。まともに会話もできないのだから女の子を選べるはずもない。潤太が必死になってそう訴えても聞いてもらえるわけもなく。
彼は駄々っ子のごとく抵抗したが、両腕をがっちり固められて逃げ出すことができなかった。泣きっ面にハチとはまさにこのことである。
色沼と浜柄は度胸を見せろと喝を入れて奮起を促してみる。この期に及んでまだ抵抗するなんて男らしくないしあまりにも情けないからだ。
「ここで勇気出さなきゃ、おまえいつまで経ってもこのままだぞ?」
「そうだぞ。だからおまえ、夢野香ちゃんに逃げられちゃうんだぞ」
「…………」
潤太は誰にも聞こえないぐらいの声でポツリと漏らす。“逃げられてなんていないやい”と。
つくづく今日の予定を恨めしいと思った。これさえなければ、夢百合香稟と楽しい時間を過ごせていたかも知れないのだから。もしかすると、彼女と二人きりのデートを楽しめたのかも知れないのだから。
すっかりいじけてふて腐れてしまった潤太。これには色沼と浜柄もふーっと重たい溜め息をついて呆れ顔をするしかなかった。
「仕方がねぇな。オレ達で先に決めちまおうぜ」
「そうだな。もうコイツは最後ということで」
「……え?」
彼ら二人はお気に入りの女の子を指名するなり、軽やかな足取りで賑やかな市街地へと繰り出していった。
(そ、そんな……。ボクはどうしたらいいの?)
潤太はテーブル席の側でひざまずいたままだ。そこに、指名されずに残っていた女の子が一人、澄ました顔のまま近寄ってきた。
「ねぇ、潤太クンさー。あたしらもここ出ない?」
「え――。そ、そそ、そうだね……」
彼は緊張と不安で汗びっしょりだ。香稟以外の女の子と二人きりでデートするのは当然初めてである。
逃げ帰りたい心境をぐっとこらえて、泣きたくなる気持ちもぐっと抑えて、彼は女の子にリードされるがままデート後半戦へと連れ出された。
◇
「…………」
「…………」
渋谷の街を歩く潤太と女の子の二人。デートだというのに、この二人に弾んだ会話はまったくない。
「ねぇ?」
「え、何?」
「あんたさ、何もしゃべんないんだね。お腹でも痛いわけ?」
「い、いや、そういうわけじゃないけど……」
潤太は伏し目がちにそう返答した。別にお腹が痛いわけではない。でも、おしゃべりしたいという気分ではないのは事実だ。
「そういえば、名前教えてなかったね。あたしはね、ルミっていうの」
「ボクは唐草潤太……です」
「うん、知ってる」
「あ……。そうだったね、ゴメン」
「ねぇ、潤太クンってさ、何でそんなにビクビクしてんの?」
「べ、別に何でもないよ……」
この二人、こんな感じでまるで会話が噛み合わなかった。
ちなみにこのルミという女の子だが、ネックレスやイヤリングをぶら下げて、肩先まで伸ばしたソバージュの髪は目立たない程度に茶色に落としている。今時の流行りの大人びた女子高生という印象だ。
香稟と同年代ではあるが、やはり清純派アイドルとはまるっきり印象が異なっている。純情な彼から見たら、少しばかり苦手で敬遠したいタイプと言えよう。
というわけで、このままでは仲良くなるどころではないが、彼にしたらそんなことはもうどうでもよかった。早く家に帰りたい、早く家に帰って趣味の絵画を仕上げたい。彼の頭の中にはそんな思いがぐるぐると巡っているだけだった。
「ねぇ、聞いてる!?」
「――ハッ!?」
ボーっと考え事をしていた彼は、彼女の怒気が混じった声で我に返った。
「ゴ、ゴメン。何か言ったかな?」
「新宿に行こうって言ったの! どう?」
「ボクは構わないよ。どっちみち帰り道だから」
潤太とルミは、渋谷駅から山手線を経由して新宿駅へと向かう。
混雑している日曜日の山手線の電車内。彼は手すりに掴まりながら、車窓に映る街並みを眺めていた。
(香稟ちゃんに会いたいな……。またすぐに電話があるといいけど)
彼は心の中でそうつぶやいた。香稟とまた、楽しいデートができる日がやってくることを心待ちにしながら。
◇
潤太とルミの二人は新宿駅へと辿り着いた。
新宿の上空はどんよりとした曇り空。空気もひんやりと冷たくて、今にも雨が降ってきそうだ。
「こっちよ。ほら、早くしなよ」
「う、うん」
もうすっかり彼女のペースである。というよりは、彼女が無理やり彼を連れ回していると言ってもいいだろう。傍目で見ても、楽しくデートしているという雰囲気ではない。
そんな彼ら二人は新宿駅東口のすぐ真ん前にある、大型映像モニターでお馴染みのビルの前までやってきた。
(…………)
うつむいている彼の目線は足元にあった。ここにいても、きっと楽しいことなどない、つまらない時間に飽き飽きしていたその表情に明るさなど微塵もなかった。
腹痛という仮病を訴えてここでお別れしよう……と思ってもみたが、この日をセッティングしてくれた色沼と浜柄のことを考えると、罪悪感が重くのしかかりなかなか言い出せなかった。
『ドン――!』
心ここにあらず。下を向いて歩いていた彼は、目の前を歩いていたはずの彼女とぶつかってしまった。
「あ、ゴ、ゴメン……」
「ねぇ、それより、アレ見なよ」
「え?」
ルミが指し示した方向には、ビルに備え付けられた大型映像モニターがある。どうやらニュース速報が入ったらしく、街行く大衆の人々も立ち止まってその映像に見入っていた。
どんなニュース速報だろうか。潤太も皆と一緒になって大型モニターに視点を合わせてみた。すると――。
(――――!!)
それは、彼の思考回路をショートさせるぐらいショッキングなニュースだった。モニターには次のようなテロップが流れていた。
“スーパーアイドル夢百合香稟 連章琢巳との交際を認める! 今話題のカップル誕生か! その真相がこれから明らかに――“
彼の全身がけいれんしたかのようにガタガタと震え出した。
(う、嘘だよ……。だって昨日、信じてくれてよかったって言ったはずなのに……)
彼は呆然と立ち尽くし、大型モニターの映像に釘付けになっている。すでに周囲は何も見えてはいない。
「ふ~ん、やっぱりね。何だかんだ言っても、夢百合香稟も人の子だよねぇ。清純派アイドルなんてこの世にはいないのよ」
ルミは他人事のようにそう吐き捨てると、デートの続きとばかりにその場から歩き出した。
――しかし、デートの相手はそこから一歩たりとも動かない。
「何してんの。ほら、早く行くわよ」
「…………」
「ちょっと、ねぇ、何ボーっとしてんのよ! 早く行こうってば!」
「…………」
「お~い、潤太ク~ン。生きてるぅ?」
耳元に近づいて大声で叫んでみたが、彼は生きているのかどうかわからないぐらい反応が鈍かった。
「……悪いけど、もうボクのこと、放っておいてくれないかな」
「は?」
潤太にはもう何も聞こえてはいなかった。
街を行き交う人の声や足音、高架線を走る電車の音、そして隣にいるルミの甲高い声すらも、今の彼にはまったく聞こえてはいなかった。
「何よ、コイツ、バッカみたい!!」
彼女は怒りをあらわにしながら、彼の側から消えていった。
「…………」
大型モニターを見上げていた潤太の顔に、一滴の水滴が落ちてきた。
『ポツ――、ポツポツ――』
上空から水滴がいくつも落ちてくる。それは、非情なまでに冷たい水色の雨だった。
いきなり降り出した雨、新宿の街は傘の花に彩られた。
傘を持っていない人々は、これをしのごうとして駅やビルの中へと走っていく。
その慌ただしさの中でも、彼は雨宿りもせず大型モニターの映像を見つめ続けていた。
雨足はますます強くなってきて、小雨から夕立のような大粒の雨へと変わっていた。パーカーも、チノパンも、そしてお気に入りのリュックサックもびしょ濡れになっていく。
落ちてくる冷たい雨は、彼の衣装だけではなく悲しみに打ちひしがれた心までもびっしょりと濡らしていった。
「…………」
彼はゆっくりと上を向き、灰色に濁った上空を仰いだ。
(ボクはどこまで信じたらいいの……? 教えてくれよ。ねぇ、教えてくれよ、香稟ちゃん……)
それからも、雨はしばらく降り続いた。
潤太もしばらくの間、そこに立ち尽くしていた。
彼の目に滲んだ涙は、降り注ぐ雨と一緒になって新宿の街へと零れ落ちていった――。
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