第7話

無駄に広い体育館の清掃を適当に済ませて響と一緒に渡り廊下を歩く。

響は、水泳部に所属しており、火曜、水曜、たまに金曜という活動サイクルで、今日は、水曜日。

今日は、一人で帰る日だ。

「早く帰って寝ようかな」

「いいよな。俺だって寝たいよ」

響は、呆れたように溜息をついた。

県内でも好成績を残す選手らしく、顧問も期待しているらしい。

まず、この高校の水泳部自体のレベルが高い。

そんなくだらない話をして、玄関を出ればいつものように帰宅出来る。



はずだった。



階段前で響と別れ、玄関に向かい歩き始めてすぐ、僕の警戒レーダーが何かを捕捉する。


エネミー。


下駄箱に寄りかかり、無言で床につま先で何かを描いている君は、足元にリュックを置いていた。

僕は、たまたま持ち合わせた小説を開き、目が合わないようにして、足早に君の前を通過することにした。


不運なことに僕の他に帰宅する生徒の姿はなく、この作戦しか僕に実行出来るものは、なかった。


心のなかで「気付かないでくれ」と叫ぶが、その懇願に近い心の声は、今にも口から出そうな程だ。


僕は、黙って君の前を早足で歩く。


「うおっ」


何かに躓いた僕は、変な声を上げてしまった。

慌てて何に躓いたのか、足元を確認すると、故意に伸ばされた君の細い足がそこにはあった。


「しれっと帰ろうとしない」

君の笑顔は遠くから眺めているくらいがちょうどいい。

君の小悪魔的笑顔に隠された、部活勧誘という目的を知っている僕にとって、君の笑顔はもう見飽きた。



「名案でしたね。テストに入部届をくっつけるなんて」

「君が何も言ってこないからだよ」


なるほど。

そういうことか。


「じゃあ、ここではっきり言います。入部したくありません」

今まで何も言わずに黙っていたから、こんなにしつこかったのだろう。

「まぁ、入部届を入部拒否届って書き換えて提出するくらいだもんね」

僕の意思表示は、ちゃんと君に届いていたらしい。

入部届を入部拒否届と書き換えて提出した僕は、それで十分だと思っていた。


「なんで先輩は、こんなに僕を入部させたがるんですか?」


「前にも言ったけど、壁紙が綺麗だったから」

「それだけですか?」

そんな何となくの理由で、僕は君につけまわされていたのか。


「え?何?私が君のこと好きたがら誘ってるとか期待してた?」


「そんなこと思ってないっす」


「まぁ、取り敢えず君には、これを渡します」


そう言って君は黒いバッグを差し出した。


「何すかこれ?」


「まぁ、とにかく受け取って」

ここは、素直に受け取らなければ、また長くなる。


差し出されたバックを受け取ると、そこそこの重さに僕は驚いた。


「その中に私のカメラが入ってる。明日までに、地面、壁以外の物を適当に五枚撮って来て。それで君のセンスを見極めます。わざと下手に撮ってもバレますんで」


「使い方分からないですけど」

僕がそう言うと、君は僕の持つバックから慣れた手つきでカメラを取り出す。


このカメラが高いのか安いのか。

性能が良いのか悪いのか。

僕には全く分からない。


「ここが電源。ここがズーム、ここで撮った写真の確認。ここのファインダー覗いてピントが合ってるか確認して。ここ押せば撮れるから。あと、ここはいじらないで」

君の説明はサバサバしていたが分かりやすいものだった。

肩が当たっていることを気にしていない君は、どんどんと近づいて説明を続けた。

「ここで、ATとMTの切り替え。初心者には自動でピントが合うATがおすすめだけど、君はMTでも大丈夫かな?」

淡々と説明を続ける君だが、僕の頭の中にはほとんど入って来ない。



君の胸が僕に当たっているせいで。



「まぁ、適当に五枚撮ってきて。今、ちょっとファインダー覗いて確認してみな」

君はそう言うとカメラを僕に返し、リュックを手に持って笑顔を見せた。

「明日までっすよね?」

「そう。まぁ頑張れ。」

君はそう言って笑顔で手を振るとローファーに履き替えた。

君は僕に背中を向け歩き出す。


僕は習ったようにファインダーを覗いてみた。


モデルのような、すらっとした体格の君。

スカートから覗く君の細く白い足。


直接目で見ると恥ずかしいし、君の視線もあるが、カメラ越しなら、なんだか合法な気がする。

取り敢えず、シャッターボタンに指を乗せる。

「期待してるよ」

笑顔で振り返った。

「はい」

ぶっきらぼうに答えた僕は、君が振り返ると同時にシャッターを押していた。

思っていたより、シャッター音が静かなことに驚きつつ、無意識にシャッターを押していた僕に僕自身が驚く。

シャッター音に気付かなかったのか、君は何も言わずに校舎を出た。


写真を確認してみよう。


適当に押したのだから、ブレていたり、ボケているだろう。


習ったように再生ボタンを押す。


センスあるかも。

そう思ってしまった自分が恥ずかしい。


ひらつくスカートから覗く君の細い足。


胸元を彩るリボンと少し膨らんだ胸。


サラサラな髪が光を通してきらめく。


そして、ピントもばっちり。



一眼レフの液晶に表示された笑顔の君の姿はとても美しかった。

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